地方銀行員が海外バリスタを経てPdMへ。一杯のコーヒーがひらいたグローバルな未来
Kurasuではさまざまなバックグラウンドを持つメンバーが活躍しています。新卒で入社した銀行を辞めて、ワーキングホリデーでコーヒー文化の盛んなオーストラリアのメルボルンに渡り、現地のカフェでバリスタとして働いた経験を持つNaruoもその一人。
2021年にKurasuに入社し、海外器具事業「Kigu」の立ち上げを担った後、現在Kurasu全体のプロダクトマネージャーを務める彼に、入社のきっかけや取り組んでいる仕事、今後のビジョンについて聞きました。
新卒で入った銀行を退職し、メルボルンへ移住
——Naruoさんのこれまでの経歴について教えてください。
僕は京都出身で、滋賀にある大学の経済学部を卒業して、新卒で銀行に入社しました。明確な目標があったのではなく、周りに地元の大学を出て地元の金融機関に就職する人が多かったので、なんとなく「そうするもの」だと思っていたんです。
銀行では、営業として個人のお宅を回って金融資産の運用提案をするのが主な業務でした。投資信託や預貯金などの金融商品は手に取って見せることはできないので、お客様との関係構築やコミュニケーションを重ねて売っていかなくてはなりません。
最初は「力試しができそう」と前向きに考えたのですが、予算を達成するための積み上げがかなりのストレスとなり、働くことがつらくなってきました。3年目に支店異動を命じられて環境もさらに厳しくなり、「もう無理だ」と感じて退職することにしたんです。
当時、僕のストレス値が限界を超えていたせいだと思うのですが、「会社から逃げ出そう、それなら、いっそ日本からも離れよう」と考え、海外に飛び出すことにしました。
——思い切った決断ですね! なぜ海外へ行こうと考えたのでしょうか。
僕は社会人1年目の秋から、京都にあるシェアハウスに住んでいました。5~6人のシェアメイトは全員日本人でしたが、ワーキングホリデーを経験していたり海外旅行によく行ったりして、すごくグローバルな人たちだったんです。彼らはコミュニケーション力も高くて、外国人の友人や知り合った訪日旅行者をよく家に招き、共有リビングで交流を楽しんでいました。
僕も海外の人との交流に興味はあって、たくさん話してみたかったのですが、当時は英語が喋れなくて。それがとても悔しく、「自分も英語を話せるようになりたい!」と強く思うようになりました。そんな状態で退職を決意したので、このタイミングで海外に行って、英語を学ぼうと考えたんです。
学生時代から付き合っていた彼女(現在の妻)にはいろいろ言われましたが、最終的には「行ってらっしゃい」と送り出してくれました。まずフィリピンに1か月の語学留学に行って英語の基礎を学び直したあと、ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアのメルボルンに移り住みました。
——ワーホリで行ける国は複数あると思いますが、どのような理由でメルボルンを選んだのでしょうか。
ふわっとした理由ですが、僕は昔からコーヒーが好きで。特に詳しいわけではなく、休日にカフェに行ったり、コンビニでコーヒーを買って飲んだりする程度でしたが、ワーホリで何をしたいか考えたとき、「好きなものといえばコーヒーかな」と思ったんです。
メルボルンは世界的に見てもコーヒー文化が盛んな都市と聞いていましたし、比較的ビザも取りやすく、文化的にも寛容なイメージがあったので選びました。
実際にメルボルンに渡り、カフェに入ったとき、「コーヒーってこんなにおいしいんだ!」と衝撃を受けましたね。街中のコーヒー屋さんやレストラン、どこに行っても「バリスタ」という職種の人がいて、きちんと調整したエスプレッソ系ドリンクを出してくれるんです。これはすごい、僕もメルボルンでコーヒーを出す側になりたいと思いました。
とはいえ、やはりネックになるのは英語が喋れないこと。当時の僕の英語力では現地のカフェで雇ってもらえるはずもなく、最初の3か月は、午前中に語学学校で英語の授業を受け、夕方から現地の日本食レストランでウェイターのアルバイトをしていました。オーダーを取るのもギリギリで、お客さんにメニューを渡し、指をさしてもらっていたほどです。
語学学校を卒業後、バリスタスクールに通ってコーヒーの作り方を覚え、メルボルン郊外にあるカフェにバリスタとして採用してもらえました。これが僕のコーヒーキャリアの始まりです。
現地でバリスタの経験を積み、帰国後kurasuと出合う
——メルボルン郊外のカフェではどれぐらい働いたのですか。
オーナー夫婦に気に入ってもらえて、日本に帰るまでの1年半、ずっとそのカフェで働き、バリスタとして腕を磨くことができました。
もともとワーキングホリデーは1年間の予定で、2020年5月には帰国予定だったのですが、その数か月前からコロナが始まったんです。知り合いの日本人の多くはホスピタリティ業界で働いていたので、コロナで働き口がなくなり、日本に帰ってしまいました。
しかし、僕が働いていたカフェは住宅地にあったので、ロックダウン中もテイクアウトに限定して営業を継続しました。むしろオフィスに出社しなくなったお客さんがたくさん来るようになって、けっこう忙しかったんですよ。ロックダウンでお家コーヒーを楽しむようになった人もいますが、オーストラリアの人たちには、外に出かけてコーヒーを飲む文化が強く根付いているのでしょう。
しかも、そのタイミングでメインバリスタがいなくなって……。というのも、たまたま彼が母国に帰っているときにコロナが始まり、オーストラリアに戻ってこられなくなってしまったんです。そういうわけで、僕がバリスタとしてたくさんの仕事を任せてもらうようになり、その中で技術も英語力も伸びたと思っています。
——そこからどのような流れで帰国を決意し、Kurasuと出合ったのでしょうか。
オーナー夫妻はよい人たちで、仕事も楽しかったのですが、そこからメルボルンでキャリアを伸ばしていく道筋が見えなかったんですよね。英語力がある程度ついてTOEICの目標スコアも取れたし、彼女(現在の妻)を待たせているし、やっぱり日本も好きだし……と考えて、2021年4月に帰国しました。
当時は日本入国後に2週間の隔離が必要だったため、隔離中のホテルで「日本でもコーヒーに関われる仕事ができたらいいな」と、京都のカフェの求人を調べていました。
ただ、これはメルボルン時代から感じていたことですが、「もっと多くの人に影響を及ぼしてみたい」という想いが自分の中にありました。バリスタとして、店頭で地元のお客さんにおいしいコーヒーを提供するだけでなく、コーヒー豆の焙煎や生豆の輸入といった領域に携わって、より広い視点でコーヒー産業に関わってみたかったんです。
ちょうどそのとき、KurasuのInstagramで、海外からコーヒー器具を輸入するポジションの募集を見つけたんですよ。器具の仕事は考えていなかったものの、広範囲に影響を与えられる面白そうな仕事だと感じましたし、器具自体も好きだったので、すぐに応募しました。
隔離中のホテルからオンラインでYozoさんと話をし、隔離期間が明けた次の日に京都のKurasu Ebisugawaに行って面接を受けて、その場で採用していただきました。Yozoさんに「いつから働けますか」と聞かれ、「いつからでもいいです」と答えたら、「じゃあ、明日から来てください」と言われて驚いたことを今でも覚えています(笑)
海外器具事業の立ち上げから、プロダクトマネジメントへ
——入社してから現在に至るまで、そのような業務を担当してきましたか。
「世界中の優れたコーヒー器具を輸入して日本のコーヒーラバーに販売したい」というYozoさんの想いを、ゼロから形にしていくことを任されました。ShopifyでECサイト「Kigu」を作り、商品ページを設計したり、SNSアカウントを立ち上げて投稿したり……。Webサイトの制作など、自分にとって初めての挑戦がたくさんあって、手探りでプロジェクトを進める日々でした。
あとは物流体制の整備ですね。当時はEbisugawaで商品を梱包して発送していたのですが、海外からコーヒー器具がコンテナで大量に届くので、外注の倉庫を探し、倉庫からお客さんに発送してもらうシステムを整えました。
そして、取り扱いブランドを拡張していくことも僕の役割でした。最初はFellow(フェロー)のケトルとエアロプレス用アタッチメントのPrismo(プリズモ)くらいしかなかったのですが、少しずつ扱えるブランドを増やしていきました。
物量が少なかったとはいえ、海外メーカーとのやりとりや発注、通関、仕入れ、カスタマーサポートなど、やることは多岐にわたっていましたね。現在は、カスタマーサポート、ECサイト、SNSとチームができて、任せられる体制になっています。おかげで現在は、Kiguに留まらず、Kurasuの新商品開発など全社的なプロダクトマネジメントに集中できている日々です。
——大変なことや、やりがいを感じることがあれば教えてください。
以前は、仕入れから物流、販売、カスタマーサポートまで、全タスクの担当者が自分でした。つまり、それぞれの業務について、自分さえ分かっていれば問題はなかったんです。
でも、プロダクトマネージャーの立場になった今は担当メンバーが働きやすいように仕事を割り振ることが重要で、自分の報連相(ほうれんそう、「報告」「連絡」「相談」)の未熟さを痛感しています。メンバーとのコミュニケーションという基本的なことに、改めて向き合う毎日です。
日々、世界各地のメーカーさんたちとやりとりするほか、グローバルなスペシャルティコーヒーイベントに大きなブースを作って海外からゲストを呼んだり、海外出張させてもらったり、達成感を覚える瞬間がたくさんあります。
「英語を喋れるようになりたい」と思っていたシェアハウス時代の自分が、国際的なビジネスに携わっている今の僕を見たら、めちゃくちゃ喜んで「お前、マジか、よくやった!」と言ってくれるんじゃないでしょうか。
——入社から丸3年、Kurasuってどんな会社だと思いますか。
自分のやりたいことを叶えられる会社だなと思います。ポジティブなチャレンジや変化を、前向きに受け入れてもらえる環境ですね。
今は事業を拡大しているフェーズなので、成長痛のようなひずみを調整していかなければならない大変さはありますが、そんな状況も含めて楽しめる人にはすごく合っている組織だと思います。
例えば、Kurasuでは日本でまだ普及していない新商品を取り扱っています。そういった商品がどれくらい売れるか、ある程度まで理論的に予測できても、本当のところは実際に売ってみないとわかりません。成功するにせよ、失敗するにせよ、「やってみないとフィードバックは得られないから、やってみよう」というカルチャーが、Kurasuには浸透していると思います。
だから、「こんな提案してもダメだろうな」と思わずに、みんながアイデアを出しあい、思ったことを口に出していけます。間違えそうになったら周囲がちゃんと言ってくれるし、間違えたとしてもフォロー体制が整っています。失敗しても大丈夫、そんな安心感のもとで、誰もが挑戦していける会社です。
どこでもおいしいスペシャルティコーヒーを飲める日常を
——今後コーヒー業界に期待することやKurasuで成し遂げたいことはありますか。
日本のコーヒー産業全体におけるスペシャルティコーヒーの割合が増えて、どこに行ってもおいしいコーヒーを飲めるようになったらいいな、と思っています。
そのためには、街中のコーヒー屋さんがどんどんおいしいコーヒーを出すことと、お家でおいしいコーヒーを淹れるための高品質な豆や優れた器具が流通することの両方が必要です。僕は、プロダクトマネージャーとしてまだまだ半人前だと思っていますが、日々の仕事を通じて日本のコーヒーラバーによい商品を届けていけたら嬉しいですね。
そして、みんなにお家でコーヒーを淹れてほしいと思っています! コーヒーを淹れることは楽しいし、ゆっくり抽出される様子を眺めていると心が落ち着きます。日々忙しいけれど、意識的にそんな時間を持てたら、誰もがちょっぴり幸せになれる気がするんです。
——Naruoさん、ありがとうございました。最後に今お気に入りのコーヒーと器具を教えてください!
僕は浅煎りのフルーティーでジューシーなコーヒーが好みで、最近はKurasuの「ルワンダ ルリ ハニー(Ruli Honey)」がお気に入りです。
収穫したコーヒーチェリーの果肉だけを取り除き、粘液質を残したまま乾燥させる「ハニープロセス」を採用しており、甘い香りと焼きリンゴのような味わい、黒糖のような甘い余韻が楽しめます。浅煎りのコーヒーや、甘いコーヒーが好きな人には特におすすめです。ぜひ試してみてください。
そして、今気に入っている器具は、熱伝導率のよいアルミニウムでコーティングを施した、日本ではまだ珍しいドリッパー「Graycano Dripper (グレイカノドリッパー)」です。圧倒的な存在感があって格好よく、しっかり豆の味わいを抽出できて、おいしく淹れられます。グレイカノドリッパーについてはYouTubeで熱く語っているので、興味のある方はぜひご覧ください!
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