しるし、を作っていた
こんにちは
今回は、あまり触れてこなかった家業、倉島木工所で進めているプロジェクトのお話になります。
このnoteでは主にボク主体の仕事、自社製品KURAMOCOに関わるお話をしてきました。
ですので、こうして倉島木工所本体の業務を見ていただくのも初めて?かもしれませんね。
というのも現在進めているプロジェクトが興味深くて、noteで綴ってみたいなぁと思ったので今回はそのお話をしていきます。
それでは、ちょっとだけ耳を傾けてもらえたらたら嬉しいです。
■それはずっと在った
今、弊社では神社の木燈籠改修工事を進めています。
で、実はその神社というのはボクが生まれ育った地域にある神社で、子どもの頃はよく境内で遊んでいた場所。
その木燈籠は幼少期から今に至るまで何十年も「ずっと、そこにあったモノ」であり、それを手掛けるというのはなんとも言えない感覚を覚えます。
そう、「ずっと」ということは老若男女問わず地域の暮らしている人たちにとって神社は、当たり前の場所・風景、です。
新しくなった木灯籠もまた誰かの記憶に残っていくんだ、とそんな風に考えていくと、このプロジェクトに関われたことに感謝と感慨深さが湧いてきます。
また木灯籠づくりの視点でみていくと、以前の木灯籠から今回は弊社が製作させていただきましたが、数十年後には別の職人さんが手掛けるかもしれません。
木灯籠を通じてバトンリレーのように次の人、世代へと引き継がれていき木造作の技術も当たり前の風景も残っていく、もっと言えば残していくために動いた人たちがいた、ということに気づきます。
何とも言えない感覚の中身は、こうした視点で考えた時に見えてくる事柄に興味深さを感じているんだと思います。
■生きてきた証
もう少しだけボクのお話にお付き合いください。
建築史家の藤森照信氏の著書の中で、
建築とは[その人が生きてきた証だ]、という一文があります。
建築関連の人は専門的な視点で考えるかもしれませんが、多くの人からすると建築という視点よりは、暮らしの中で見てきた景色、の方が、しっくりくるかも、と思います。
特定の建築物ではなくて、
例えば、通っていた学校だったり商店街だったり公園だったり、その人の日常、生まれ育った街の風景の一部に建物や街並みがある、といった感じで、年月が経ってもその場所に足を踏み入れると当時の、記憶が甦える、みたいなことってありませんか?
もう一度、神社の新しくなっていく木燈籠に目を移していくと、
今、神社境内で遊んでいる子供たちが数十年後、大人になったその子達が神社に来た時、懐かしいなって思える一つのスイッチが木燈籠だとすれば、ボクたちが作ったものは、ただのモノ、ではなくてちゃんと誰かの、しるし、なのかもしれません。
木灯籠が直接的に、しるし、なるかはわかりませんが、風景の一部として当たり前のように、そこに在る、ということに大きな意味があると思うんです。
このような感じで、建築は生きた証、という意味を深掘りしてみると、思い出の風景、とも言い換えることが出来るかもしれません。
藤森照信氏の一説から建築や造作物には、無くなる寂しさとこれから始まる希望、そのどちらの想い同居しているんだと、ふと気づきます。
ということで、
今回は倉島木工所の仕事を通じて感じたお話でした。
ここまでご覧くださりありがとうございました。
ではまた
※木灯籠づくりのプロジェクトは年をまたいで続いていきます。
工事進行中のため神社の場所・名前は控えさせていただいております。
ご理解の程、よろしくお願いいたします。
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