この人の前では誤魔化しはムリ、っていう話
こんにちは
唐突ですが、
この人には言い訳や誤魔化しは通じないな、っていう人はいますか?
何か相談したり近況を報告したり、ちょっと自分には不利な内容をボカシたりすると何故かそこを見抜かれるような。
粗探しとは違って、自分にとって曖昧な所を詰めが甘い部分として露わにされ、結果丸裸になっていた的な感じで、この人を前にしては誤魔化しは効かないな、と思わせてくれる人のことです。
今回はそんな、やっぱりこの人には敵わないな、っていうお話をしていこうと思います。
お付き合いくださると嬉しいです。
それでは始めますね。
■関係のはじまり
建築を学んでいた学生の頃からお付き合いが続く恩師がいます。
ご本人についてではないのですが、以前にnoteでもエピソードに交えてちょっとだけ触れた時があります。
▼エピソードの一つとして触れています
卒業してからも不思議と縁が続き、建築やデザインのアレコレについて話したりする先生と生徒の関係が今日まで至っています。
建築史家の先生で、歴史や文化から読み取れる建築空間の在り方や民家再生、まちづくりなどのプロジェクトに関わっている方です。
▼恩師が出版した日本建築ディテール書籍
100%ではありませんが、ボクの考え方やモノゴトの見方は大きな割合を占めていて、大きな影響を恩師から受けています。
■確認作業になっている
〇〇とは何か?
そんな問いかけをいつもされます。
答えの多くは、え?、です。
辞書に載っている意味や定義ではなく、そのモノゴトの本質だったり概念だったり在り方を問い掛けてきます。
初めの頃は発する言葉の意味がよく分からず、表面的な内容で受け取っていました。
なので、こういうことですか?と聞いても、そうじゃない、その視点ではなくて、、といったやり取りが多かった記憶があります。
今ではそのやり取りの慣れもありつつ、自分なりに建築やまちを色々見て回ったり、本から得た知識だったり、学びを積み重ねたこともあり、昔よりは会話が出来るようになってきました。
そう、恩師が発する言葉や言っている内容がどのような意味で話していてどのような視点でモノゴトを見た上での言葉なのか、がわかってきたという意味です。
もう少し言うと、会話を通じて共通の認識(イメージ)が浮かぶ実感から自分の成長を感じたりしています。
そうすると現時点で自分が、どの程度建築やデザインについて理解しているか、の「物差し」にもなっていることでもあるんです。
■待っている自分がいた
恩師からの言葉は的確で、
ボク以上に、アートや建築やデザイナーや建築家に触れ、知識も桁違いです。
そのような方からの言葉は本質的ですし、デザイン的にどこにつまづいて、修正すべき部分なのかをちゃんと見抜いてくれます。
先日の全国建具展示会もご覧なってくださいました。障具を中心とした展示アイデアについて良いところもダメなところも全てお見通しで、多くのアドバイスをいただきました。
その言葉一つ一つが面白いくらいしっくりきて、ある程度自分でも感じていた展示作品のブラッシュアップ部分はちゃんと指摘事項としてお伝えくださいました。
やっぱりそこですよね、です。
恩師からの指摘は確認作業です。
それは、展示した作品に対してボクなりに、こうした方が良かったかな、など感じて確信が持てなかった所をちゃんと見抜いて伝えてくれるからです。
それ故にボクはその言葉を待っていたんだと思います。
自分の現在地がわかりますし、自分でも違和感だった部分にも同じように感じていて、こうするなら、こうじゃない?と言ってくれます。
変に誤魔化さずに、今の自分が出せる作品を展示したからこその恩師からの言葉は身に染みます。
これからも学ぶことが多そうです。
ということで、今回はこの辺りで失礼します。
ここまでご覧くださりありがとうございました。
ではまた。
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