見出し画像

道徳の授業

小学2年生の頃、私のことが道徳の授業のテーマになった事があるんですよ。

その名も、「信用」。












当時の私は、今の性格とは真逆で人を傷つけまくって、自我を出しまくって、しょうもない奴だった訳です。思い出したくもない。本当の黒歴史。

人のものを盗んで隠したり、
人の良いなって思ったものを真似して買ったり、
人の悪口を言ったり。

友達にも、友達の親にも、先生にも、私の親にも、無茶苦茶迷惑をかけました。嫌な思いをさせてしまった。

そりゃあもう、当時学校で問題になったくらいですからね。もう、本当。あの時の自分に、声をかけられるなら伝えたい事が死ぬほどある。












とあるその日の道徳の授業のテーマは「信用」。
急に先生が言い出した。

「信用って言葉の意味は分かるか?」

何となく、分かる。し、なんでこのテーマなのかも、何となく、分かる。心当たりが無茶苦茶あった。

周りの生徒たちはガヤガヤ発言しだす。
するとまた先生は口を開いた。

「(私)さんは今信用を失うようなことをしてるんだよ。分かる?」

私は涙が溢れてきた。
悪い事をしている自覚はあった。
だから、私は自分が覚えている限り、してしまった事を詳しくクラス全員の前で話した。














すると1人の男子が発言した。

「俺も靴隠された!」

続けて女の子も発言した。

「私もロッカーの中身を◯◯ちゃんのと入れ替えられてた!」

俺も背中押されたりもした!」

「私はえんぴつ盗まれた!」

「私も!!」

「私も!ある!」

「俺も!」












…正直、やってない事もたくさん言われた。
でも、悪い事をした事実は何個もあるし、今更否定もできなかった。

クラス全員の前で公開処刑される私。
嘘をついて皆んなの前で私のやってない事を言い出す友達。
そんな声が私の前からも右からも後ろからも左からも聞こえてきて頭が真っ白な状態でガヤガヤしている音だけが聞こえて涙が止まらなかった。

今でもトラウマだ。でも完全に、私が生み出した状況。私が悪い。












「やった側は覚えてないかもしれないけれど、やられた側は一生覚えているものだからね。」

先生は厳しく教えてくれた。

私は泣き続けた。

そんな私だけの更生させるための道徳の授業があった。













そんなトラウマになった授業を経て、私はその日から更生していった。
詳しくは覚えてないし、どんな気持ちで過ごしたかも、どう治したのかすら覚えていないが、とにかく時間と共に先生に良くなったねと褒めてもらえた記憶がある。

自分が好奇心でやった悪事は、人を傷つける事を時間をかけて伝えてくれたあの時の先生には頭が上がらない。きっとあの授業がなければ私はそのまま今よりも最悪で心のない大人になっていただろうに。

社会に出た今、私は上司からの心無い発言で苦しめられて一生忘れないであろう傷が出来た。
それは小学2年生の頃の私が逆の立場でやっていた事だったと今更身をもって知った。










あんな悲しくて苦しい授業、一生忘れないと思うけど、あの時間は本当に、私の人生の中で1番大事な時間だったと思う。

しっかり心に留めていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?