ニートになりたかった理由②
私は願望を捨てて働いた。
そして、親の言うとおり極力お金を節約して使った。
今でこそ自分のお金はまわり物で、上手使えば、一周まわって自分に返ってくると価値観が変わったが、当時は、働いて得たお金の使いは分からなかったのもあり、親の価値観に染められ、私は歪んだお金の使い方をダイレクトに受け継いだ。
お金は極力使ってはいけないもの。
お金を使うのは我慢しなくてはいけない。
だから、お金を使うのに躊躇しながらもお金を自己投資に使った時でさえ、「あ、お金使っちゃった」と罪悪感に苛まれていた。無意識に。
お金を貯めなきゃ。
節約しなきゃ。
もちろん、ただ欲望のまま散財するのは良くないし、破産にも繋がる。生活だって破綻する。だから、お金の使い方は考えなくちゃならない。
親の考え方にも一理ある。
でもね、自分の欲しいものを諦めて、やりたいことをお金の為に我慢しすぎるとどうなるか。
働いてお金を得る
↓
お金を極力使わず生活する
↓
生活に張りがなくなる
↓
生活に充実感がなくなる
↓
人が生きるのは、働くためだ。
人は働くために生きていくのだ。
生きる=働くこと
と私は解釈するようになってしまった。
働くだけの人生か。
つまらないな。
苦しいな。
でも、唯一、夢だった保育士には就けた。
せめて、働くことに意味を見出そうと思って、自分を奮い立たせた。
「ただ親の言いなりに働いたら、働く事そのものが嫌いになる。これから何十年と働き続けなくてはならないのに、途中で息が切れて働けなくなる。」
考えて。
まっ、悪くはないが、仕事に「やりがい」「楽しみ」「評価」を求め始めた。
でも、当たり前だが現実は厳しい。
自分に合わない事もやらなくてはならない。
楽しいだけじゃなく辛いこともある。
評価してくれる人もいれば、見向きもしない人、相性が悪ければ理不尽な批判だってある。
ネガティブ人間な私には、“当たり前”の事が流せなかった。中でも人間関係のアレコレには振り回されてまくった。だって、コミュ障だから。
さらに、働く中で上手くいかないことや理不尽な毎日が永遠に続くようなり、挫折した。
やがて働くことに嫌気が差した。
生きる意味を見失った。
生きる=働く
そんな人生なんてまっぴらだ。
働くことに背を向けた。
ニートになりたいと考えるようになった。
そして、ついに憧れのニートになれたのだ。