人間にできることはほとんどない。それでも努力する。『スピノザの診察室』感想
夏川草介さんの『スピノザの診察室』(水鈴社)がとてもよかったです。
今日は読書感想文とおすすめの書籍の紹介です。
今度映画化されるので、ネタバレなしの範囲で話したいと思います。
軽く自己紹介すると、30代男性、教員です。メンタルダウンを経験し3年間休職しました。その後復職し、「5年後も笑って働く」を目指しています。よろしくお願いします。
どんなお話?
凄腕のお医者さんが、京都の町のお医者さんとして働くようになり、さまざまな患者と出会うお話。病気を治すというより、最後に寄り添うような場面が多く、「幸せとは何か」を考える物語になっています。
著者の夏川さんは医師として20年以上現場に携わっています。ここで描かれるのは権力闘争や半沢直樹的なドラマではなく、あたたかい対話。勇気、誇り、優しさ、希望。この辺りがテーマになっています。
気になる方は、こちらのサイトをご覧ください。
面白いポイントは?
まず、主人公のマチ先生(雄町哲郎)のキャラがいい。甘いお菓子を食べるのがお気に入りのコーピングで、優秀なのに、あまりいい悪いを判断しない。彼の性格や行動のベースにあるスピノザについては、後で話します。
次に、会話がいい。患者や医療スタッフとの会話の中に、優しさや穏やかさが溢れている。人生の最後の描き方も着眼点がよくて、「その人が何を大切にしたいか」が立ち現れてくるのが面白い。
最後に、ストーリーがよい。会話が中心の温かみのあるドラマだと思ったら、最後にしっかりと盛り上げるシーンがある。個人的にはクライマックスが2つあったと思って、1つ目でワクワクして、2つ目で泣きました。
ここからギアを上げて、好きに話しますね。
スピノザを知っているとさらに面白くなる
タイトルを見たとき、「おぉ、スピノザ行くのかー」と思いました。
自分は國分功一郎さんのこちらの書籍で勉強したのですが、スピノザは哲学者の中でもちょっと異質で。ニーチェやハイデガーなどいろいろ読んできましたが、スピノザを理解するには、OS自体を入れ替える必要がある。
哲学の歴史はバトンを渡すようなところがある。先人を引用して、批判して、注釈をつける。そういう営みの中で、スピノザは少し外れている。
「スピノザはスピノザ!」という感じが、マチ先生のキャラクターにも反映されていると勝手に想像しました。
スピノザは難しい。でも、すごくざっくり言うと、次の3つが面白いです
①善悪は物事の組み合わせ
例えば音楽それ自体は善くも悪くもないけど、組み合わせ次第。悲しみに浸っている人はクラシックが心地よいけど、明るいJ-POPは聴きたくない。そもそも、音楽は聴きたくないかもしれない。すべては組み合わせ次第。
→マチ先生は「こうあるべき」を押し付けず、あまりいい悪いを判断しません。組み合わせ次第と知っている印象を受けました。
②賢者の姿勢とうまく生きるコツ
すべては組み合わせ次第なので、自分を爽快にして元気づけることはとても大切。好きな食べ物、心地のよい音楽で自分を満たそう。力が増大するとき、人は喜びに満たされる。いい組み合わせの中にいることが、うまく生きるコツ。
→マチ先生にとっては、甘いお菓子が力の増大の源。賢者なので、ちゃんといい組み合わせに辿り着いています。
③自由は制約のない状態ではない
自分が与えられている条件のもとで、その条件にしたがって、自分の力をうまく発揮できること。スピノザの自由はこの辺りにある。魚にとっての自由は、空を飛ぶことではなく、水の中でゆったりと泳げること。
→ある程度の制約や条件の中にも、幸せはあるんじゃないかなと探し続けるマチ先生。僕自身もテーマにしていることなので共感を覚えました。
別にスピノザを知らなくても十分楽しめるのですが、知った上で読むと面白いのでおすすめです。
ネガティブケイパビリティめっちゃ大事だ
『スピノザの診察室』と併せて読んでみてほしいのがこの一冊
ネガティブ・ケイパビリティとは、「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える力」とされています。
もっと簡単に言えば、結論づけず、モヤモヤを抱える力です。
現代人はすぐにわかろうとするし、結論づけようとする。「それってこういうことだよね」に落とし込もうとする。でも、そこで立ち止まって、結論を保留にすることも大事なんじゃないか。そういう一冊です。
自分はメンタルダウンした頃に主治医に紹介してもらって、大変助けられました。休職中って、いろいろと不安で、安易に結論に飛びつきたくなってしまうんですよね。もう退職したほうがいいんじゃないかとか。
『スピノザの診察室』を読んで、『ネガティブケイパビリティ』を実践している物語だなと思いました。
たくさんの患者との対話の中で、すぐに課題を解決しようとせず、宙ぶらりんの状態のまま、ひとまず様子を見るという姿勢が似ていたからです。
それは消極的な姿勢とも混同されることが多いのですが、死の直前や休職中など、困難な状況においては救われる概念なんですよね。
『スピノザの診察室』では、マチ先生のスタンスに疑問が呈される場面があり、彼がネガティブケパビリティを発揮して、ひとつ困難を乗り越えるシーンがあります。カッコいいですよ。
おわりに
マチ先生は大きな病院で凄腕として働いていましたが、あることがきっかけで町のお医者さんになります。
そこに悔しさや後悔はなく、シンプルに人生のステージが移行しただけで、新しい場所でコツコツとがんばるようになる。
だから、大きな病院で働くことにもリスペクトをきちんと持っているし、町のお医者さんが「本来の姿」なんて思っていない。カッコいい。
教育の世界にも、教師が前に立って教え込むことは「本来の姿」ではなく、子どもが自ら考えて学ぶことが「本来の姿」みたいな考え方があります。
ただ、そこに囚われてしまうと、つまらないんですよね。
マチ先生は書いてきた通り、あまりよい悪いを判断しない、すべては組み合わせだと知っている方なので、そんな彼の魅力が描かれてます。
人間にできることはほとんどない。それでも努力する。
彼の価値観は、どこか普通から外れているように思われる。
腕があるのに町の医者はもったいないんじゃないか。
他者からのそんな評価に一定の理解を示しつつも、彼は彼の軸を持ち、問いを持って生きて行く。その背骨にあたるのがスピノザなんです。
マチ先生の魅力に触れてみたい方は、ぜひ手に取ってみてください。