12年のアルツ観察記録:母は自宅で逝きました(113):2019年12月
発病から10年11ヶ月/死まで2年1ヶ月
12/1
夜中・明け方平穏。トイレなどへの動きも通常。その後も昨晩の異常事態のようなことはない。
ヘルパーのIさんによると、10/12台風19号の折、避難の呼びかけはいつになく頻繁に行われ(特に老人。どのような媒体で行われたかを聞くのを失念)、近所の避難所も満員になったとの情報。母はどのように反応したのだろうか?
12/7
比較的まともな話が結構できる状態。当方からのお歳暮につき、わざわざ買いに行ってくれることを含め「よろしく言ってね」と感謝。病気の親族対応他、諸事について当方にまかせることを承認。少し発病以前を思い出した。
酒については少し減らして、スピードを留意した程度だが、問題なし。
12/8
「サラダにあれするやつ取って」と言うので「マヨネーズ?」と聞くと、「マヨネーズって赤いやつじゃない(ケチャップと誤認)」などと言う。
美容院へ。途中病院と美容院が混濁し、「家で横になっていたい」「病院に行かなければ逝くことができる」など無駄話。ややぐずぐずしたので3分くらい遅刻。
美容院の帰りに墓参り。トイレに行きたいと言うので行ってもらう。この時点で手ぶらであることに気づく。財布と鍵に入ったパッチのバッグを紛失。トイレを見ても無く、美容院に電話をしても無いので緊急事態モードへ。一応美容院にまた行き、トイレを含めて綿密に探し・探させてもらうがダメ。警察連絡しかないと腹をくくりつつ帰宅。鍵を開けると電話が鳴っているので、急いで取ると寺から。何か変な場所に掛けたのを他のお客さんが発見してくれたらしい。急いで取りに行って一件落着。
12/14
残金は多め。優秀というか活動レベルが低いというか。
洗濯物は洗濯機の中。部屋干しす。
ヘルパー日誌にはほぼ毎日「喉が痛い」と言って起きないという記録。
16時くらいに寝室に様子を見に行く。布団には入っているが、起きていて元気。
12/15
7:40に起こしにいくと「えっ、そんな時間?」という新しいパターン。比較的すぐ下りてくる。
毎日そこそこ早く起きていて、当方がいるときは先に起きてきちんと準備している(ここ9年そのようなことは全く無し)という自覚で、いつも起こされて、多くの場合拒否しているとは思ってもない。
ヘルパーはNさん。長時間雑談をしてくれる。
母にきょうだいの話をさせるが、名前をきちんと言うことに苦労。長兄の名は最後まで出なかった。
12/21
15:50着。
セラミックヒータのみの暖房、テーブル上には遅い時間に食べたと思しき「朝食」の跡、テレビは教育テレビとしてのTVKをつけた状態で突っ伏すという最近の典型的やさぐれ風景。
洗濯物は、仏間に籠を持って行って2つ干して断念した状態。残りを干す。
三角コーナーに菊の葉があるので、ヘルパーさん退出後に仏花を買いに行ったのかと意外に思ったら、レシートを見ると、木曜日に買っているので、今日やっと生けたということらしい。
12/22
夜中平穏。明け方のトイレは戻るまで何やらバタバタ時間がかかっていたように聞こえた。
8:10AMに起こしにいくと、「何であんた来なくちゃダメなの?」という新手の質問。「ダメだから来るんです」とか返す。そうこうしているうちにヘルパーのSさんが到着したので、起こし作業は引き継ぐ。
Sさんが不審者訪問の記録を事務所で見たということなので、後で確認してもらうことにする。12/19(thu)のYさんの朝の訪問時のことらしい。「昨日の電気代より今日のほうが高い」と意味不明のことを言ったらしい。8時台に来るとは何者か?応対したのがYさんだったので、手強い世帯主と相手が誤解してくれたことを期待。
12/28
ケアマネのSさんとヘルパーセンターのN副所長来訪。
私を息子でなく弟と認識しているように見える瞬間あり(以降増える)。
普通の話についていけないことがしばしば。例えば私が1994年に母が疎開した富山の町に行ったら、母の戦時中の話と同じ街並みだったという話をSさんとNさんにして、「いい話」として聞いてくれている中、母は「何のこと話しているかわからない」と言う。ついていけないのはいいが、ついていけない話では自分がネガティブな扱いと勝手に考えるのが困る。時間スケールもメチャクチャ。
当人は入浴せず。飲み物もチーズも食べたくないと言い、19:45に寝室に。きっと下りてくると思っていたら25分後に来る。
12/29
「昭和でなくて来年から令和なの?」とのぶっ飛び発言。「ぶっ飛び」も古いが、平成が無かったことに。