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【 ネタバレ有 】 すずめの戸締まり、サイコーじゃない?
皆様は、最近映画に触れ合っていますか?
kunikoは基本的にあまり映画を積極的に見るタイプではありませんが、話題になっているアニメ映画を見ることが多いです。今年は豊作の年で、結構劇場に足を運びました。呪術廻戦とか!ワンピースとか!
そんな中で、今年一番語彙力が飛んだ作品。出会っちゃいました。
タイトルにもあるとおり、「すずめの戸締まり」です。新海誠さんの最新作で、今までの作品の中で1番ファンタジー要素が強く、震災を題材にしたかなり挑戦的な作品でした。
まぁ〜〜〜〜〜、よかった。
日常に潜むファンタジー大好き女からしたら、ものすごくブッ刺さる作品でした。特に語らずとも、観ればわかる良さと言いますか…あまりにもいい作品になると語彙力が低下する現象あるじゃないですか。アレです。ストーリーの流れに厳しい友人たちも口を揃えてよかったと絶賛していました。
前情報は何も入れずに観た結果、色々と疑問点も湧いてきたので特典やパンフレットに目を通しながら考察というか、色々思いを馳せてみました。ちょっとここに書いて残しておこうかなと!
ちなみに注意ですが、多大なるネタバレを含みますので、ぜひ映画をご覧になってから読んでみてください!
それでは行ってみよう〜!
1.冒頭10分の疾走感と、本作に込められた想い
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全体的に物語の進むスピードがサクサクしててみやすかったんだけど、特に冒頭の勢いは、もはや始まったばかりだけど物語が終わっていってしまうんじゃないかと思うくらいすごいスピード感でしたわ。
スポーツカーくらいのスピード感でしたが、テンポよく情報が開示されていくので、置いてかれることなく見ることができました。
最初のアイディアとして、ふたつのことが頭にあったんです。ひとつは、場所を鎮めるというか、場所を悼む物語にしたいということ。もうひとつは、少女が異形の者と旅をする物語にしたいということ。そのふたつだけ、漠然とありました。
上記の想いを、きちんと物語の軸として成り立たせていました。冒頭を見るだけで、なんとなく物語の概要は把握できます。
人が寄り付かなくなった場所の扉が後ろ向きに開いてしまう状態=「後ろ戸」になると、その隙間からミミズが出てきて、土地に災いをもたらしてしまうということ。
なぜ後ろ戸が開くのか。それは、産土(うぶすな)と呼ばれるその土地の神様への信仰=人々の心の重さが消えてしまうから。
「悼む」って言葉、ちゃんと読んだの初めてでした。意味は人の死を嘆き悲しむこと。今回は廃れた「場所」と、関わった「人」に対しても意味していますよね。(そんな気がする
日本の信仰に近しい要素も組み込んだ、わかりやすい設定。八百万の神とか、信仰されただけ強くなる神様の図式に近いですよね。最近だとチェンソーマンでも似た設定があったり。とても日本らしいし、
設定めちゃくちゃにかっこいい、ナニソレ
何かを始める時は地鎮祭のような祈とうの儀式をするけれど、何かが終わっていくときはなぜ何もやらないんだろう
その土地の始まりとして、地震祭は開かれるけど、土地へのお疲れ様の気持ちを込めた儀式はないよねという視点から生まれたそう。いやー、確かに!盲点でした!
今回のお話を振り返ってみると、この設定って実は人間の心そのものというか、浅はかさみたいなものに触れているような感覚にもなりました。観た時は、「 震災の正体はミミズという存在=仕方のないこと 」として表現をしていていいな!と素直に感じたけども。その元凶って元を辿れば人間の身勝手さみたいなものもあるんだなーとか。ご馳走様が言えなかった悪意のない子供みたいな印象になったり。
振り返るとそんなことを思うkunikoですが、初見で物語を見たワクワク感、ぜひ体感して欲しいです。
2.少女と異形の物語、きっかけは ネコ 兼 神様
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一番最初この作品の存在を知ったのは、映画館の予告でした。素敵な主題歌をバックにイケメンとポニーテール少女がすれ違う。その後にいろんなシーンが挟まりますが、一番印象的なのは椅子がめっちゃ走ってる映像。
可愛い椅子が走ってるなー、なんか物語の中核を担う付喪神的な要素なんかなぁとか思っていたけど。まさかイケメンが椅子になるとは想像していなかったですね。
少女と異形の者と旅するって書いてあったけど、「異形」じゃなくて、「異形の者」って書いてあるのがミソですよね。だって「者」だもの。
神様である「ダイジン」が要石として場を納めていたけれど、すずめの一番になりたい想いと要石としての役割を他に渡すために、犠牲になった閉じ師兼イケメンの草太さん。
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未だかつてこんな不憫な始まりある?イケメンってこんなポップに困ることあるんやな。
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「ダイジン」は、日本の神様のそれですよね。すずめに可愛がられた結果、痩せ細った体からふっくらした艶やかな姿に。人の想いを糧に力を蓄えたり、自分の欲のために悪意のないシンプルな行動を平気でやるとか。どの神様のお話もそうだけど、結構やり方アグレッシブなのよね、神様たち。聖書もギリシャ神話も、日本の神道も。にわかだけどそう思います笑
なので「ダイジン」という存在は、まさに神様であるなーと朗らかな気持ちで眺めていました。結構物語の展開をリードしてくれる存在で、物語のキーにもなっていましたね。うまく物語をミスリードしてくれた存在といいますか。とにかく可愛いっすね。
3.厄災の正体がミミズという設定
現実だと、地震の起きるメカニズムというのは科学的にわかっていますよね。プレートの運動によって地震は起きるわけですが、『すずめの戸締まり』はそれとミミズによって起きる地震が同時に存在している世界ではなくて、日本列島の地下にある構造線のようなよの、そこに溜まるエネルギー、それ自体がミミズなんだという世界です。「目的も意志もなく、歪みが溜まればただ暴れて土地を揺るがす」と草太は言っていますが、彼や鈴芽の目には、その歪みといったエネルギーそのものがミミズのような生き物に見えている。そんなつもりで描写しています。
あ、プレートないんや。
ものすごく懐かしいけど、蟲師の光脈(こうみゃく)と近しい、計り知れないエネルギーが自然や人間に影響を与えているという。
なんだか、少し皮肉めいた表現にも捉えられますよね。今回のお話だと、厄災を防ぐのは人である閉じ師になるので、3.11も閉じ師がどうにもできなかったから、となっちゃうなぁ、悲しい。
ただ、ミミズという意志のない歪みのエネルギーと表現されるコトで、本当に致し方ないというか。プレートの運動でとか言われると、神頼み的な形で私が死ぬまで本当にやめてくれとはなるのですが、もう意志がないなら仕方ないかーと割り切り安いなとも思ったり。
災害については、アポカリプス(終末)後の映画である。という気分で作りたい。来るべき厄災を恐れるのではなく、厄災がどうしようもなくべったりと日常に貼りついている、そういう世界である。
監督の意図汲み取れてたかもしれない。ミミズって存在がいることによって、どうしようもなくべったりと貼りついてますわ。
なんにせよ、設定の立て方好きですね。
4.そもそも後ろ戸って?
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ちなみに、災害装置としての『後ろ戸』は、そもそもは古典能楽における概念であり、神や精霊の世界に繋がる扉のことである。日本古来の芸術表現は「後ろ戸の神」から授かる超常的な力が源泉と考えられていたそうだ。本作の『後ろ戸』は「常世」ーいわゆる霊界のような場所と繋がってしまったドアと描いているが、その意味では『君の名は』『天気の子』同様に、民俗学的なアイディアを物語の仕掛けとしている。
いくつものプロットを経ながら物語の輪郭が出来上がってきた頃に、ヒロインの名前をあらためて鈴芽と決めました。名前の直接のインスピレーションはアメノウズメノミコト(天鈿女命)でしたね。
扉という発想って、どうやって出たんだろう?と疑問でした。古典能楽や日本神話から来てたんですね〜。
うしろど【後戸】
仏堂の背後の入口のこと。この入口は本尊の背後にあることから宗教的な意味をもち,後戸を入った正面に本尊の護法神やより根源的な神仏を安置する。例えば東大寺法華堂の執金剛神,二月堂の小観音(こかんのん),常行堂の摩多羅神(まだらしん)などがその典型。法会儀礼のなかで後戸の神をまつる呪法は芸能化し〈後戸の猿楽〉という呼称が示すように中世芸能誕生の舞台となった。能楽の翁を後戸の神(宿神・守宮神)といい修正会(しゆしようえ)などの延年に登場するが,古来,修正会に後戸から鬼が出現するのもまた普遍的であり,ともに後戸の宗教性を象徴している。
全然知りませんでしたが、仏堂の背後のことを指してるんですね!そして、古典能楽では神や精霊の世界に繋がったり、鬼出現とも書いてあるし、、、結構物語に入れ込むには素敵な意味合いのある言葉ですね。
そして、インタビュー記事にも続きがありまして…
ー アメノウズメノミコトとは、最高位の神であるアマテラスオオミカミ(天照大神)が天岩戸(あまのいわと)に隠れて世界が闇に覆われたときに、その前で踊って、岩戸を開かせるきっかけを作った神様ですよね。
そうです。芸能の神様でしたよね。場所を悼むっていう発想がまずあって、最終的に扉を閉じていく話にたどり着いたんですが、そのアクションを行う主人公の名前ということで扉にちなんだアメノウズメノミコトのウズメの連想から、スズメ=鈴芽にしました。
もはや岩戸鈴芽ですもんね、もうちゃんとインスピレーション受けたお名前ですね笑
なんで天照大神が天岩戸に隠れたんだろう?と調べたのですが、スサノオの乱暴に心痛めて隠れちゃったらしいです。かわいい、天照大神。
下記の記事見ると分かりやすかったので、見てみると面白いです!
5.サダイジンはなぜサダイジン?
これ、観ながらものすごく疑問だったんですよね。東を納めてる、つまり右側の要石なのに、なんで左なんだろうと…
デザイン画みて分かりましたが、目のアイラインが左側だからなんですね。じゃあなんでダイジンはウダイジンじゃないんだ…めちゃくちゃスッキリしない…
あと、ダイジンとサダイジンの関係性って不思議ですよね。大きさ違うし、サダイジンのほうが強そう…
知人と見に行きましたが、親子なんじゃないかと言っていて、私にはない視点で目から鱗でした。
だから、出会った時にサダイジンから怒られると思って威嚇。でも、なんだかんだ諌められてしまったのかな?
親子以外だと普通に相棒だからとかなんですかねー。あ、うんの像とか、狛犬とか。そんなイメージでしょうか。
ただ、ダイジンとサダイジンが出会った時に威嚇したあの姿は、好きな鈴芽をいじめたサダイジンにご立腹だったら可愛いなーとも思うのです。
ありがとうと言われて復活しちゃう、可愛らしい神様ですから。
6.ダイジン×椅子の草太の共通点
2人とも、Twitterに拡散されてましたよね。
冒頭でもチラッと記載しましたが、ダイジンは鈴芽に可愛がられてかわいい姿へと変わりました。
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あの姿を持続させた要因として、Twitterの不特定多数の応援の力もあったと思うんですよ。拡散されたおかげで、力を蓄えることができたといいますか。
それと興味深かったのが、ただの猫を見ただけなのに、自然と名前がわかってしまうという。それは、ダイジンが神様だから、日本人の中に植え付けられた昔からの本能のようなものでふと名前を連想させたのかなーと。
そう思うとものすごく面白いですよね。
草太に関していうと閉じ師兼イケメンですが、あの拡散によって、少し要石としての力を蓄えたとも思えるんですよね。考えすぎかもしれませんが。
要石の役割を担う
↓
ダイジンを追いかける様子を人々が見る
↓
要石の土台として完成する
少し方向は違いますが、お互い人々に認知されることによって力が蓄えられてたら面白いですよね。
7.ジブリからのインスピレーション
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少女が旅に出て成長する物語にしようと思っていたときに、最初に先行作品として思い浮かんだのは、やはり『魔女の宅急便』でした。観返しても驚くくらい古びていないというか、むしろ今観ても新しいというか。
魔女の宅急便では、キキとトンボの少し恋愛要素もどきもありつつ、新たな街で出会う様々な女性をみて成長をしていく物語。
この映画には見事その要素も盛り込まれていましたね。色んな要素がてんこ盛りなのに、綺麗にまとまってます…
①閉じ師として後ろ戸を閉める冒険物語
②鈴芽と草太の恋愛物語(ちょっぴり
③鈴芽自身の成長物語
4:2:4ぐらいの配分だった気がします。
友人界隈でよく話すのですが、物語の恋愛要素は2割がベストというジンクスを語っているのですが、今回の作品は良い配分だったのではないでしょうか。
よかったですよね?←
ちょっとそれましたが、上記は実際に記事に書いてあるジブリ要素です。
ここからは、個人的に感じたジブリ要素になります。
①草太あまりにもハウル
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なんか、長髪黒パン白シャツイケメンって、もうハウルですやん。
と、じわじわ観ている中で思っていました。
その想いが強くなったのか、常世の世界観を合わせて見た時です。
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サリバン先生にハウルの姿が暴かれるシーンや、ハウルの過去をソフィが覗き見した秘密の庭の景色。かなりリンクしたんですよね。
少し現実とはかけ離れた景色、ソフィの言葉を借りるなら夢みたいな景色です。ファンタジーということもあって、今回参考にしたんでしょうか?
②ミミズもはやデイダラボッチ説
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これもすこーしだけ思いました。自然の摂理といいますか、神様という存在に近いものといいますか。参考にした部分もあったのかなーと。
もともと新海誠監督もジブリに入りたい意向を持っていた方なので、参考にされている部分もあるのかなーと。
ただ、似てる似てると言っていますが嫌味ではなく、ちゃんと新海誠作品として昇華されていることがすごいと感じて今回追記させてもらいました。
8.震災の咀嚼の仕方
子ども時代の鈴芽のことを制作現場では皆「小すずめ」と呼んでいるんですが、鈴芽が小すずめにかけた言葉は、ごく当たり前の言葉ばかりです。「あなたはちゃんと大きくなる」、それは誰の身にも起きるごく当然の現象です。ですから、今作は、自分が今まで作ったものの中でいちばん優しい映画なんじゃないかと僕自身は思っています。
個人的に、ここの解釈が素晴らしいというか、シンプルかつその通りというか。10年以上経った今だからこそこの表現で世に出せたんだなぁと、唸らされた内容です。
誰かに助けてもらうのではなく、自分で自分を救う話。どんな姿であれ、あなたは成長し続けていることを伝えるとてもいいシーンでした。
立派かどうかもわからないけど、熟れた気持ちや新たな思いを携えたら自分が未来で待っていてくれると思うと、心強い気持ちですね。偉そうな自分がもしもそこにいたら、ちょっと嫌ですし、癪ですけど笑
そして、みんなが涙腺崩壊したであろうシーン。東北の土地で暮らしていた人々の声。「行ってきます」「おはよう」「行ってらっしゃい」二度と聞くことが叶わなかった人もいた、挑戦的なフレーズ。日常に溶け込む、とても大事な言葉。
泣かないわけがなかったです。
劇場で観てましたし、鈴芽という主人公を通してこの物語に出会えたことで、おこがましい気持ちですが実感といいますか、伝わってくる感情がダイレクトではありました。
芹澤と鈴芽が東北の土地を見た時、芹澤がこの土地ってこんな綺麗だったんだなというフレーズに対して、鈴芽が驚いてましたよね。あのシーンみたいな想いの差って、どうしてもあると思うんですよね。
今回の映画では、想いの差を感じることができるということと、被災経験者の目線で感情を知ることができたということ。この点はすごく考えさせられたと同時に、観て良かったなと思ったポイントでもありました。
9.さいごに
十分語ることができました。kuniko大満足です。また次は数年後に映画が公開されるとは思いますが、楽しみに待っていようと思います!
そして、これを書いている最中に知りましたが、特典第二弾あるんですか…
エエェ…
もし手元に来ることがあれば、こちらについても書けたらなと思っています。
それではまたノシ