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エッセイ集『昭和であった』

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昭和30年代に少年期を過ごした私が心に刻んだ昭和を象徴する様々な断片... 思いつくままジャンルごとに整理し、シリーズエッセイとして書き下ろしていきます。 昭和という時代に興味の…
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記事一覧

昭和であった 〜まずは序文〜

余命1、2ヶ月の末期癌… その宣告を受けてから思い掛けず1年と9ヶ月もの長い月日が与えられ続…

川崎クニハル
5か月前
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昭和であった1 〜電畜ラジオの時代〜

私の記憶を遡ってゆくと、概ね2、3歳の頃から断片的に始まっている。 ようやく昭和が30年代に…

川崎クニハル
5か月前
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昭和であった2 〜身近だった映画館〜

昭和30年代… ラジオの時代は同時に映画の時代でもあった。 もちろん今と同じように映画館は非…

川崎クニハル
5か月前
22

昭和であった3 〜私の昭和ビート(その1)〜

私の父はサラリーマンだったが、戦前はプロのミュージシャンだった。 ジャズやハワイアンのバ…

川崎クニハル
5か月前
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昭和であった4 〜私の昭和ビート(その2)〜

さて、昭和30年代に入り、私は東京・品川の社宅から幼稚園に通い、さらに近所の小学校に入学……

川崎クニハル
4か月前
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昭和であった5 〜テレビ時代の到来!〜

昭和32年… 我が家は父の関西勤務が終わり東京に戻って来た。 東京で入居する予定だった社宅の…

川崎クニハル
4か月前
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昭和であった6 〜テレビ普及期の番組たち

昭和34年… その年の4月に皇太子殿下のご成婚があり、その式典の中継の全国放送を機にテレビの普及が全国に広まり始める。 とは言っても昭和34年のテレビ普及率はまだ20%台。 ただし、日々右肩上がりの経済成長に伴い消費者の月賦分割払いが広がり、家電製品はどんどん売れ行きを伸ばし、それに即して価格的にも手に入り易いものになっていく。 翌年からはテレビのカラー放送が徐々に始まり、5年後の東京オリンピック開催に向けて、テレビの普及は急ピッチに進んでゆくこととなる。 それに合わせ、各局

昭和であった7〜そしてテレビは文化となった〜

私が小学校の高学年になった頃なので、昭和37年頃からのこと… 当時のことを振り返ってみると…

川崎クニハル
4か月前
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昭和であった8 〜特筆したい2つの番組〜

これまで昭和40年台初頭までの間に私の心に刻まれた昭和のテレビ番組を紹介してきた。 確か、…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった9 〜遊びと道具と宝物 1〜

結婚して早25年以上が経つが、実は今の家内とは3回目の結婚。 結婚したのは25年前、息子が産ま…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった10 〜遊びと道具と宝物 2〜

いつだったか、息子が小学生の時、東京に大雪が降った。 どんどん白くなる自宅オフィスの窓の…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった11 〜おやつおやつ!1〜

子供時代の昭和30年代を思い返すと、世の中はまだ栄養事情が大分悪かった様に思う。 体現的に…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった12 〜おやつおやつ!2〜

さてさて、私の子供時代の記憶の中の『おやつ』について続きの話を続けよう。 前回も書いたが…

川崎クニハル
3か月前
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昭和であった13 〜やっぱ、夏はアイス!〜

昭和中期、少年時代の『美味しい』について語ってきた。 カテゴリー分けて掲載してきたが、今回の思い出情報はちょっと季節を逸してしまった。 もうすっかり肌寒くなって、すぐ傍に『冬』が迫っているのだが、当初から予定していたのでそのまま押し切ってこのジャンルの話をしようと思う。 季節外れの話題…ご容赦願いたい。 夏の『アイス』の思い出である。 私の子供時代の東京の夏は、もちろん温暖化の進む現在よりもずっと猛暑日は少なく過ごしやすかった。 無舗装路や土の庭も多く、夕立が多くて朝夕は過