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昭和であった11 〜おやつおやつ!1〜
子供時代の昭和30年代を思い返すと、世の中はまだ栄養事情が大分悪かった様に思う。
体現的には砂糖がそれ程不足していたとは思わなかったが、いつも甘いものが欲しかったので、今よりも砂糖がずっと高価だったのだろう。
親の目を盗んでこっそりジャムや白糖を舐めて母親から怒られた記憶もあるので、もしかすると子供には糖分が不足していたのかも知れない。
それでも戸棚の缶容器にはささやかな『おやつ』がいつも用意されていたし、僅かながら買い食いのお小遣いも持たせてくれていた。
一方世の中にはチクロやサッカリンといった合成着色料や合成甘味料や香料が蔓延し、その健康被害が取り沙汰され、社会問題になり始めていた時代でもあった。
記憶を探りながら当時の『おやつ』の1つ1つを思い出してみよう…
『たまごボーロ』
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私のおやつの最も古い記憶はこれだろう。
小さな小さなボール状のビスケットのような食感。
口の中に入れると瞬く間にホロホロと崩れてゆく…少し粉っぽい。
調べてみたら、ジャガイモ澱粉と脱脂粉乳、卵に水飴、それに卵の殻の粉末を混ぜ焼き固めたものらしい。
離乳した幼児の頃から食べさせられていたものだと思う。
「なんかない?」と訊くと、「たまごボーロならあるわよ」と常備されていたおやつの定番だった。
当たり前のように常備されているので、あまり有り難みはなかったが、それでも好きだった。
『マリービスケット』
定番ビスケットである。
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森永製菓の包装ものも街のお菓子屋さんの量り売りのものもあった。
外での買い食いを始める前は、これがあれば一応満足していた様に思う。
我が家にテレビが導入され、NHKの幼児番組で放送される『ポケットの中にはビスケットが1つ〜 ポケットを叩くとビスケットが2つ〜♪』の唄が大好きで、いつか必ず成功すると信じていつもこのビスケットをポケットに入れては上からそっと叩いてみていたのを思い出す。
ほんのりとしたミルキーな香りも好きだったし、硬さも絶妙で今でも時々食べたくなる。
大事に大事に少しずつ食べていた。
私にとってはこれぞビスケットという定番のおやつだった。
『干し芋』
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何故かいつもあった。ほんのり甘くて食べ応えがあったので、これも定番のお家おやつ。
多分当時は乾物屋や量り売りお菓子屋で安価に変えたのであろう。
今ではすっかり高級品になってしまっている。
今の干し芋よりもずっと硬かった様に覚えている。
冬に火鉢や焚き火で炙って食べると柔らかくなって香ばしくなってなお美味しい。外に遊びに出る時も、小腹が空いた時用に新聞紙に少し包んでポケットに押し込んでいた。
『あんず飴』
さて、ここからは駄菓子屋のラインナップ。
甘酢に漬けた硬めのあんずに水飴を絡めた『あんず飴』。
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大体、もなかの皮やソースせんべいが受け皿になっている。
確か5円だった。
常に買い食いの上位だった様に覚えている。
夜店やお祭りの露天でも売られるが、突然倍以上の値段となってしまうので、普段から駄菓子屋でちゃんと食べておかなければならない。
写真は現在のものであんずの色合いは自然だが、当時はもっと真っ赤だったと思う。
美味しかった!
『型抜き』
これは型抜きという粉砂糖と小麦粉と香料で出来たお菓子。
いわゆる『遊び菓子』である。
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紙芝居屋や駄菓子屋で売られていた。
これを舐め、少し薄くして慎重に綺麗に型の図柄を抜いてゆく…
おやつは長持ちすることも大事なのである。
しかも上手く綺麗に型を抜くことが出来れば、景品が貰える。
景品はあんず飴やソースせんべいなど、大抵が他の駄菓子だった。
さほど美味しいものではなかったが、何度も夢中になって取り組んだ記憶がある。楽しいおやつの時間を提供してくれる。
『寒天ゼリー』
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これも駄菓子屋買い食いの定番。
我々の頃は薄いガラス棒の中に着色されイチゴやメロンの香料と甘味料で甘くした寒天が入っていた。
これを片側から一寸ずつ吸っては味わうというもの。
着色料の質が悪く、口の中がゼリーの色にすぐに染まってしまった。
それもまた楽しく、こうした遊び半分のおやつが大変嬉しかった。
『あんずボー』
あんずボーは大正時代からある駄菓子だと聞く。
ビニール袋に干し杏のシロップ漬けが入っている。
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ビニールの端を少し噛み切って少しずつ絞っては舐め絞っては舐めするのだ。
我々の時代の駄菓子は、少しずつ大事に大事に食べる…それが基本だ。
これは他の駄菓子と比べ、合成甘味料や着色料が当時からあまり使用されておらず、今でも生き残っているらしい。
当時は1本5円だったと思う。
これも定番の駄菓子。
『マンボ』
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ラムネの粉… つまり果糖と重曹とクエン酸である。
色とりどりの樹脂の筒にギッシリ詰められている。
端から少しずつ前歯でしごき出しながら食べるのだ。
確か私の時代には1本1円のバラ売り…
駄菓子の中でも安い部類のラインナップで気楽に買っていた。
『梅ジャム』
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梅の風味だがどの位梅が入っていたのかは知らない。
糊のような食感で甘酸っぱい。
確か1つ1円だったと思う。
大抵はソースせんべいとカップリングで買う子供が多かったが、私はこれだけ買って一寸ずつ舐めるのが好きだった。
ジャムと銘打っているので、『食パンに塗ったらどうなんだろう?』と、いつも試してみようと思っていたが、買うといつも帰宅するまでには無くなってしまい、今だに試したことはない。
『ねり飴』
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駄菓子の定番中の定番である。
硬めの水飴が2本の短い割り箸にくっついている。
私の時代には着色料で結構どぎつい色が付けられたものも多かった。
この2本の割り箸で硬い水飴をひたすら練り練りするのである。
飴に空気が混ざり合って白濁しだし、やがて滑らかに柔らかくまろやかになってゆく…
この長い工程が楽しいのだ。
『遊び菓子』の醍醐味だ!
舐めても食べても美味しいが、やたらと歯にくっつく…
なので食べ切るにはとても時間を要する。
楽しい楽しいおやつタイムとなるのである。
『アンブレラチョコレート』
さて、チョコレートの話をしよう。
この時代、チョコレートは高価なものだった。
駄菓子屋にも比較的安いチョコがあったが、これは安くする為かかなり酷い品質で、あのチョコレート独特のまろやかさが微塵もないのだ。
なので、駄菓子屋の粗悪なチョコはパス!
チョコはやはりメーカーものとなる。
1本20円だったか…不二家のアンブレラチョコは私にとってはどうしてもチョコレートが食べたい時の定番チョコ。
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板チョコは50円もするので親に買ってもらわなければならないが、これなら一寸無理すれば絶対に美味しく、満足できる。
私には身近なチョコだった。
『フィンガーチョコレート』
父親が買ってきて、ウィスキーのアテにしていたチョコレート…
ハーシーのキスチョコや輸入もののダークチョコレート、そしてこの森永のフィンガーチョコだった。
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細長い軽いビスケットをダークチョコで包んだ大変バランの良いチョコレート菓子だ。
フィンガーチョコレートについては特別な想いがある。
それについては以前のエッセイに書き記している…
『アーモンドチョコレート』
アーモンドのチョコレートは父親がウィスキーのアテに勝ってくる高級輸入チョコレートだった。
なので勝手に食べることは許されない。
このグリコのアーモンドチョコがお菓子屋で発売されるや、いきなり子供も気楽にアーモンドのチョコが口にできるようになった。
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1パッケージ20円から買えるのだ!
確かにお小遣いから大枚20円を出すのはキツかったが、充分それに見合う美味しさだった。
頑張ってよく買った…
嬉しい嬉しい自分へのご褒美…大事に大事に食べた。
『ハイクラウンチョコレート』
昭和30年代後半になると、お菓子屋でちょっと高級なお菓子が各お菓子メーカーから発売される。
高級タバコと同じようなサイズのパッケージの森永の『ハイクラウンチョコレート』はその代表格だ。
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この中に小分けされた小さな板チョコが4枚入っている。
普段食べている子供用のチョコレートと比べて1ランクまろやかで明らかにクオリティーの高い味わい。
確か、1箱なんと 70円だった!
もちろん自分では買えない。
買い物に付き合った時、親の機嫌が良い時など、おねだりして買ってもらった大好きなチョコレートだった。
『フランスキャラメル』
こちらはキャラメルの高級版。
不二家のフランスキャラメルである。
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森永やグリコのミルクキャラメルとは完全に一線を画したソフトでまろやかな味わい…
とろけるような食感で大好きだった。
ちなみにこのフランスキャラメルは戦前からあったらしい。
このパッケージの少女はかのシャーリー・テンプルをモデルとしているという話だが、それが何故フランス・キャラメルなのだろうか?...
不二家はこのフランスキャラメルを近年缶入りで復刻販売している。
『フーセンガム』
フーセンガムは買い食いおやつの定番だ。
大体1つ5円。
気楽に買えて甘くて長持ちし、膨らませて遊べる。
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私がよく買っていたのは『インディアンガム』という当たりくじの付いたフーセンガムだった。
外紙を剥くと桃色のガムが内紙に包まれ、その紙にインディアンが的に向かって矢を放っている絵がついている。
これが的に当たっていれば、もう1つもらえるというくじ。
この『インディアンガム』の画像はネットでは見つけられなかった。
写真はその次によく買ったオレンジガム、パッケージには糖衣した小さなガムボールが4つ入っている。
なので、口に入れる分量を調節できるのだ。
もっとも、大きなフーセンを作るためにはなるべく沢山噛んだ方が良いのだが…
昭和30年後半になると板のフーセンガムも続々と登場し、フーセンガムは日常的な子供の定番おやつとなったが、昭和40年代以降次第にブームは衰退していった。
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『バターココナッツ』
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この日清製菓の『バターココナッツ』は昭和41年に発売された。
私はもう中学生になっていた。
ココナッツ風味のサクッとした食感の軽い味わいで、それまでの市販のビスケットやクッキーとは全く違う独特の味わいで、大ヒットした。
このバターココナッツ発売の1年前にシスコ(現・日清シスコ)の『ココナッツサブレ』が発売されていたが、私は圧倒的にこの『バターココナッツ』の方が好きだった。
モンドセレクション3年連続金賞を取得したのは『バターココナッツ』の方である。
日清製菓は後に倒産し『バターココナッツ』の製造はインドネシアのガジャトンガルという製菓会社が製造を引き継ぎ、今は日清製菓の社名を引き継いだ別会社が輸入販売を行なっている。
私は中学で水泳部に入り毎日練習に明け暮れていた。
小遣いに余裕があるときにはこの『バターココナッツ』を1パッケージ買い。
練習終わりに1人で抱えて食べ切っていた記憶がある。
今でも見かけるとついつい手を伸ばしてしまう。
まず、今回はこのくらいにしておこう。
記憶の中にはまだまだ『美味しいおやつ』の記憶が沢山ある。
次回も引き続きおやつの思い出を並べてみよう…