伝説の長者が暮らした「さの町場」②
早いもので今年もあと2か月!今年はコロナからの激動の一年でしたが、その一方で、コロナ禍でいろんな場所に行けない分、今まで気づかなかった地元の魅力の再発見にもつながったのではないでしょうか?
ということで、我々バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)の拠点となる「さの町場」をテーマに、前回から引き続きお話させていただきます!
えっ?前回ってなにって!?・・・😨 えーーーーー!!
知らない人はこちら👇を復習してください…( ノД`)シクシク
日本遺産
さの町場エリアにある12の史跡が日本遺産に認定されているのご存知ですか?
まず「日本遺産(Japan Heritage)」について説明しますと、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを文化庁が認定するもので、ストーリーを語る上で、欠かせない魅力溢(あふ)れる有形や無形の様々な文化財の集まりを、地域が中心となって総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信し、地域に来てもらい、地域の活性化を図ることが目的だそうです。
令和2年6月19日に文化庁から発表された令和2年度「日本遺産」で、佐野浦(さの町場)が、江戸時代、豪商食野(めしの)・唐金(からかね)家の本拠地として、多くの北前船(きたまえぶね)で大坂・瀬戸内から日本海側を東北・北海道方面まで交易し、和泉国随一の港として栄えた歴史的背景が地域に色濃く残されていることが評価され、平成29年度に認定されています『荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~』に追加認定されたそうです。
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
この日本遺産に認定されている「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」のストーリーの概要は次の通りです。
日本海や瀬戸内海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。(日本遺産ポータルサイト#39「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間」より)
詳しくはこちら👇 に載っているのでごらんくださいね~💻
北前船
北前船は、江戸時代から明治時代にかけて、荷物の運搬だけでなく、寄港地で売り買いをしながら、大阪と北海道を日本海を通って航海していた北国廻船(かいせん)の名前で、寄港地で安く買える商品を買い、それを高く売れる寄港地で売りさばき、それで利益を上げていたそうです。(画像をクリックするとリンク先へ移動します)
また北前船のことが学べる動画サイトも公開されていますので、こちら👇もご覧くださいね!
さの町場に伝わる12の史跡
北前船が寄港した佐野浦にある「さの町場」には、その当時を偲ばせる面影が残っていて、日本遺産に認定された12の史跡を紹介します。
①食野(めしの)家邸宅跡
北前船で財をなした食野家の本宅跡の碑石があり、屋敷跡、古絵図、井戸枠、松などが、今なおその面影がのぞけます。
いろは蔵(くら)通り
船主たちが海岸沿いに建てた蔵が集まっていて、船から陸への荷揚げ荷下ろしをしていた沖中士(おきなかせ)が、船を待っている間に力自慢を競った「力石」もまだ見ることができます。
西法寺(さいほうじ)
食野家が建てたと言われている浄土真宗の菩提寺(ぼだいじ)で、船主専用の鼓楼(ころう)門、奉納経典も残っているそうです。
春日(かすが)神社
北前船の船主や食野家・唐金家が航海の安全を祈願して奉納したと言われている灯篭や狛(こま)犬が残る神社です。社となり、明治41年~42年の神社合祀の際には、佐野町域にあった大小29の神社がここに合祀されました。戸時代の豪商があります。また、夏祭りでは、勇壮な太鼓台が宮入することも呼び物のひとつです。
妙浄寺梵鐘(みょうじょうじぼんしょう)
豪商・唐金(からかね)家が航海の安全を祈願して奉納したとされる梵鐘(つりがね)で、第二次世界大戦時にも戦火などから免れ、現存しているそうです。
旧佐野浦の町並み
北前船の船主・商人により泉州一のにぎわいをみせた旧佐野浦(現さの町場)の町並みで、その当時の面影がこのあたり一帯で色濃く残っています。
野出(ので)墓地
北前船で財をなした食野家や唐金家の墓のある場所で、寄港の目印となった「野出の三昧松(さんまいまつ)」が今も残っています。
食野の一統資料群
豪商・食野・唐金・矢倉家たち(食野一統)が遺した古文書群で、食野家が長者番付に載っているのがわかります。この資料は、歴史館いずみさので所蔵されているそうですので、また興味のある方はお越しくださいね。
禅徳寺船主資料群
食野家が奉納した仏像や船主の肖像画等があります。
ふとん太鼓
北前船により、東瀬戸内地方や淡路島よりもたらされた飾り山車で、別名太鼓台ともいわれています。豊漁・安全祈願として春日神社の夏祭りで毎年海の日前後に見ることができます。
佐野くどき(佐野踊り)
江戸時代、食野家の庭先で紀州藩主に披露したのが始まりの町場の口説
節で、今なお泉佐野市内の盆踊りで多く踊られています。その中で、船主「食野長者」の出世歌が語り継がれています。
奉納弁財船(ほうのうべんざいせん)
船主が中庄の奈加美神社に奉納した江戸期の北前船模型です。
さの町場でビジネスを!
このように江戸時代に栄えた伝説の長者が暮らした面影が今なお残る「さの町場」を後世に伝えていくために、このエリア内にある遊休不動産(=空き家)を活用して、ビジネスを始めましょうという趣旨のもと、バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)では、「さの町場 まちやど実践ワークショップを11月13日から3日間、開催します!
今回の目玉は、国登録有形文化財の「大将軍湯」です。
この銭湯を再生させるだけでなく、未来に向けて使っていくためのプランを、大将軍湯だけでなく、その周りの遊休不動産の活用ともつなげていくことが大事です。そうしたアイデアは、行政だけではなかなか生まれてこないので、ちゃんとビジネスとして成り立つ民間のアイデアが必要となります!
我こそはと思われる方、銭湯大好きな方、リノベーションに興味のある方、古民家再生に関わっておられる方、まちづくりに取り組まれている方々、ぜひぜひ「さの町場 まちやど実践ワークショップ」にご参加ください! 申し込みは下の写真をクリックしていただけますと、リンク先に飛びます!
気が付けば、今年も残り2か月! 日に日に肌寒くなるのもわかりますよね~!
こんなときは、あったかいお風呂に入って、体を温めたいですよね~!
では、また!👋