盛夏の「okatteスパイス×noteユーザーin岡山」
今年の夏は暑いですね。
わたしの暮らす岡山には「瀬戸の夕凪」という言葉があります。夏の夕方に風がぴたりと止まる時間を指す言葉で、場所によっては「備前の夕凪」とも。夕凪は、風が止まるから余計に暑く感じる時間帯。でもこう毎日常時蒸し暑いと、そんな風情のある言葉も際立たなくなります。使われなくなる言葉は、こうして生まれるのだなと考えたり。使わない、と、生まれる、の意味合いに矛盾を感じる……と、こんな面倒なことを何やら考える余裕が出てきた自分を嬉しく思います。
それは、ここ数ヶ月のもやーんとした心が晴れた証拠なのです。
7月のある土曜日、友人と岡山で料理イベントを開催しました。
開催から早くも三週間、時間の経過の早さにちょっとびっくりしている8月です。7月よりもさらに暑くなりました。どうなるの地球。
ことの発端は、横浜で暮らす友人わたなべますみさんが「わたしのスパイス料理、食べて欲しいなあ。岡山に作りに行く!」と言ってくれたこと。ますみさんとしては、noteユーザーで岡山暮らしの猫野サラさんとお隣四国は徳島のるみさんを呼び、しっぽり4人で食事会しましょうという意図でした。でもわたしがうれしさのあまり、「じゃあイベントにしちゃおうよ」と軽く言ったところ、ますみさんも軽く乗っかってくれました。んもう、大好き。
岡山の数少ないイベントスペースを探しておさえ、段取りを考えたらわくわくしてきました。noteで参加者募集(noteユーザー限定)の告知をしたら、これまた軽く乗っかってくれた人たちがたくさんいて即日満席。さらに胸がどきどきしてきました。こんな多人数の飲食イベント、実はやったことがありません。そして九州や関東、関西などなど、日本の各地からスパイス料理を食べるために新幹線で集まるなんて、ホントみんなどうかしています。当日、思ったよりも手狭な会場で、わいわいする16名。キッチンから振り返り皆の顔を見た時、なんてすてきな日なんだ!と思いました。
私の仕事はもう10年以上リモートです。コロナ禍でも生活にさほど影響はなかったと、そう思い込んでいました。仕事のスタイルは変りませんでしたから。リモートワーク流行りで、なんなら忙しくなったくらいでした。でも、どうも昨年終わりから今年にかけて、「なんだか心が晴れない」日が多くなってきたんです。その証拠に、人を羨んだり妬んだり嫌ったりすることが増え、しかもそれが自分には全く関わりのない人に対してだから始末が悪い。職業人として近しい人の活躍を羨むなら健全、知人から直接嫌がらせでもされたなら嫌うのは当たり前、それならわかりますが、会ったことも話したこともない相手に一体これはどうしたことか。だいたいにして自分、そんなに赤の他人に興味があっただろうか。面倒くさい自分を持て余していたのですが、イベントで大勢の人に会って話し、その厄介な感情の渦の原因を理解しました。
コロナ禍でSNSに居座り過ぎたんんですね。
リアルで繋がるための単なる手段だったSNSが、SNSのためのSNSになっていて、現実とネット世界の境界線が薄くなってしまったんです。遠い遠いどこかの誰か、タイムラインで見かけるとその人を知り合いだと無意識下で錯覚してしまう。もちろん、いい年した大人ですからそうではないことはわかっています。コロナ禍でも「私は何にも変わらない」なんて強い人のように振る舞っていたけど、思い返せば気持ち悪いことこの上ない。自分もばっちり閉塞した環境に蝕まれていました。
イベント前日の準備でますみさんとハシゴしたスーパーマーケット、大量に刻んだ野菜、山に積み上げられた料理、ぱんぱんになった冷蔵庫。そして当日の戦場のようなキッチン、皆の笑顔と食欲、お喋り。スパイスの強烈な香り。何より会いたかったー!と手を合わせる姿。これが現実ではなくてなんだというのでしょうか。
真澄さんとのイベントで手を動かす足を動かす楽しさを再確認。おかげで現実に引き戻された気がします。
7月のあの日以来、心と足元の軽いことといったら。
キッチンに立ちっぱなしでろくにお話しできませんでしたが、あの日の写真の自分は満面の笑みばかり。いつかお会いする時は、座ってゆっくりお話させてください。
イベントに関わってくれた全ての皆さん、本当にありがとうございました。
イベント準備や当日の詳細な様子は、下記のまとめnoteからお楽しみください。 黙っていてもイベントリポートまでついてくるなんて、noteでのお付き合いならではですね。みんな、最高です。