信頼を賭けて仕事をし、期待を裏切って軽やかに生きる。
高専時代の同級生と会った。彼は当時から凄かったけど、僕らの卒業時点とかとくに「これからはITの時代だ!」のど真ん中だったこともあり、あれよあれよととてつもない高みに。ある意味、高専生のお手本のようなキャリアを辿って今に至る(もちろん本人の才能や努力があることは大前提で)。
そんな彼と一緒に仕事をすることになりそうで、とても嬉しい。というのも、僕たちは「瀬戸内」ってエリアに張ってて、そこと関連したことができそうだから。楽しいことになりそうだなとワクワクする。そんな前段を挟んで、今日は「信頼」みたいなことを考えたいなって思いました。
昔、福本伸行先生の「天」という麻雀マンガで、のちにスピンオフして爆発的人気を得るアカギの最期の話がある。アルツハイマーになって、自分というものが消え落ちる前に生前葬をする場面で、当時敵対してたヤクザの若頭にアカギが言ったセリフが今でも僕の中に残ってる。
「積み上げすぎだ。たまには崩せ」
ちょっと表現は違うけど、この種のことをアカギは言った。彼はヤクザの中でどんどん地位をなし、積み上げ、いろんなものを背負ってそこにいる。それ故にできることも増えたし、ある意味上り詰めたというものでもある。だけど、すごく苦しい。いろんな人の期待ややっかみ、そういうものを全部持ってるととても重たくて身動きがどんどんできなくなる。
「俺はこうして靴を履かずに庭に出ることさえできない」
汚れたら払えばいい。それだけなのに、見栄え、振る舞い、誰かに規定されてしまう。そんな人になりたかったのか。そんな葛藤。
このアカギと、ハンターハンターのヒソカがトランプを崩しシーン。その後才能ある若者を見つけては、もっともっと積み上げて崩すのがもったいなくなるくらいになって、そこで崩す、という変態的行動を繰り返している。このヒソカ。
二人は全然違う場面で「積み上げてきたものを崩す」話をしている。だけど僕はこの二つがとても関連しているような気がして、片方を思い出すともう片方も思い出してしまう。
僕たちは「信頼」ってものを積み上げて仕事をする。若い時にはあまり分かってなかったけど、この「信頼」というものの使い方が中年以降の仕事の全てかもしれないと思う。誰に何を頼んで、誰の何を聞くのか。そんなことを繰り返す。倍々ゲーム。うまく信頼が賭けられたら何倍にもなって返ってくる。そうしてできることが増えて、大きなインパクトを作れる。なんだそんなゲームなんだって最近やっと腑に落ちた。
たとえばこの「信頼」を使ってお金を集めるのが個人レベルだとクラウドファンディング、企業レベルだと資金調達、そんな感じ。その時誰も「確実にうまく行く」ということなんてできない。その中で未来に対して賭けてもらうのには信頼が必要。それがどんな形でも。過去にその人との間にあったものの積み上げなのか、今の行動なのか、未来に対するワクワクなのか、相手がどれを選択するかはわからないけど、「何か」がいる。
そしてこの「信頼」というものは面白い性質をいくつも持ってて、その一つは「失敗しても減らない」というものがある。一般的に、何か成功を約束してその成果が出ない場合信頼は減る。だけど、その失敗の仕方によっては信頼は減らない。不思議。でもちょっと考えたら当たり前で、その成否は短期的な視点に過ぎないからなのかもしれない。
たとえば、スタートアップに投資して、そのスタートアップがうまくいかなく倒産したとしよう。投資した人からすると、その投資した金額がゼロになるわけだ。1億投資して、ゼロになるのはなかなかなダメージ。通常「信頼」は減っちゃう。地に落ちる。そりゃそうだ。だけど、そのスタートアップの経営者がどれだけのことをやって、どれだけ必死に今の状態を作って、それでも、それでもうまくいかなったってことがわかったら、「信頼」は減らない。彼や彼女らがその姿勢で、前のめりに倒れてくれるのであれば、僕らの受けるダメージはお金だけにすぎない。痛みはある。だけど、彼らへの信頼は減らない。また彼らがチャレンジする時には投資させてもらいたいとも思う。
これは美談として語りたいわけではなく、そんな姿勢で居続けてくれる人はもうちょっとだけ長期で見たら「信頼」が増えるアクションをもっともっとしてくれるって無意識でわかってるからなんだと思う。たとえば、その姿勢で再度起業するなら、初回より成功確率が高いのは目に見えてるし、その時の関係性もより強固になる。美談で終わらせないある種の合理性もそこにあるような気がする。
もう一つのおもしろい性質が「複利」だ。信頼は複利。すごく簡単にいうと、良い状態でいるだけで、勝手に増えていく。複利で。例えば抽象的に「瀬戸内にいいことしている」ってに認識を持たれたら、それはその周辺で勝手に大きくなり、1周目だけじゃなく2周目3周目の人たちの信頼もじんわりと上がっていく。不思議。何もしてないのに。そこにいるだけで上がる「信頼」。
「信頼」ってものは不思議でうまく使うと成功するよってのが伝わったとして、この「信頼」に縛られて身動きできなくなってる人がいるのもまた事実。ただ、これ僕なりに観察しててわかったことなんだけど、これは「信頼」に縛られてるわけじゃないような気がする。
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