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映画『マンガ家、堀マモル』原作のsetaさんにお会いして、少しお話しさせてもらった。 リアルで知ってくれてる人はわかるかもしれないんですが、僕もうほんとに緊張とかしなくて、どれだけ偉い人でも成功している人でもいつもの通りに接することができます。それによって無礼だと言われることもありますが、まぁそれはそれでしょうがないよねと。その方の成功とその方自身は別で、存在に上下はないよねって思って生きてます(だからこそ仲良くなれてる方が沢山います。ほんといつもありがとうございます!)
結構勉強してきました。 はじめに「ヤバい!」って思ったのは高校受験の時。「勉強なんてやればできるでしょっ!」て思ってたけど、なんかやらなかったらみるみる成績は下がる。5教科で300点くらい。できてない。 学校にやる気もなくて、担任の先生から「やまだは目が死んでる」と言われ、「死んでる理由は目標がないからだ」と断じられ、「これをやってみろ」と、僕の地元で一番入るのが難しかった津山高専っていう、高等専門学校の過去問を5年分渡された。 「やるかバカやろー」って思ってたけど、パ
今日もまたSNSでは意味のないコンテンツが量産されている。特に対立軸を煽るもの。これほどまでに議論にむいてない媒体もないと思うけど、それでも懲りずに続ける。何がしたいんだろう? と、これ自体煽ってるんですが、そんなことが言いたいわけではなく、心優しい繊細な友達はその「やりとり」を目にするだけで疲れちゃって、エネルギーを使っちゃう。なんならお腹も痛める。彼ら彼女らには避難場所が必要だ。 以前僕もかなりSNSからダメージを受けてて、すぐ引きこもってた。そして回復に数週間を要し
年末年始は「いつもの」をやるのが難しい。 だから 「年始から始めよう!」 は割と難易度高い。どちらかというと、何もない日常からスタートした方が継続する。そうして戻ってきました、この「ただ書く、よ」に。 あーたのし。 2025年になってちょっと実験してることがあって、それがこのnote。いや以前からやってたやんってのはその通りなんですが、メンバーシップをちゃんと試してみてますね。「頭の中がうるさい、よ。」って名前にも変えてみました。略して「あたうる」です。 僕はこのnote
薄氷の上を歩いてる気がする。 多くの人の顔を思い浮かべながら、誰にどの順番で何の情報から共有するのが最も良いかを考え続ける。TODOリストに落とし込むことはできない。それらは日々目まぐるしく変化し、その都度優先順位は変わっていく。イレギュラーも多い。その順番を間違えることによる、リカバリーも日々起こる。でもそれをしないと次にいけないというのもよくわかる。 日常を穏やかに過ごしていきたいけど、何か大きなチャレンジをするときは上記のような気持ちになる。まさに今そんな感じ。肉体的
東京に来た。 昨夜は旧友や地元の子とお茶と飲み。とても良い時間。人生の転換期に出会えるというの誠にありがたいこと。これからも節目節目で会っていきたいなーなんて思う。 最近、有料noteを書いてて、そんな話をしました。 ちょっと表現が難しんですが、「あーあ、お前もそっち行ったよね」問題とでも言いましょうか、インターネット上に有料の文章を公開することで、そういう雰囲気が出ることがあります。これはたぶんちょっとまえに情報商材で怪しいものが大量にでたからじゃないかな。いいものもある
何かに真剣に向き合えば向き合うだけ、思考は抽象化していく。だってそれはあたり前で、個別具体的な事象は、1つの抽象的思想で全て解決できるようになっていくからだ。だから有名経営者の自伝とかで、「成功の秘訣は?」に対して、「いい人でいること」「自分に正直であること」のような超抽象度の高い思想とか姿勢での解答を与えられる。 言っている本人は至極真っ当なこと言ってると思っているけど、でもそれは僕らのような下々のものには高尚すぎて利用不能。うまく使いこなせない。 だから超具体的な事例が
無名の天才マーケターがいる。 彼にかかればどんなものも売れる。名前は知られていないけど、僕が知ってるだけでもとても多くの商品、作品を売っている。たぶん、みんな一度は触ったことある、下手したら今その場にあるものも彼の戦略で売られている。ほんとにすごい。若くして彼はそんな技術を手に入れていた。 彼になんでそんなに売れるの?って聞いてみたら、その真髄を教えてくれた。それは、
自分の好きなことや得意なことがわかって、それをやり続けられる人生はとっても幸福。そう思ってた。 だけど、どうもそれだけだと幸福に最適化されすぎてて、人間は耐えられないのではないか、なんて思うようになった。