この世界は「お金を稼ぐゲーム」なのか?「創作するゲーム」なのか?
東京に来た。
昨夜は旧友や地元の子とお茶と飲み。とても良い時間。人生の転換期に出会えるというの誠にありがたいこと。これからも節目節目で会っていきたいなーなんて思う。
最近、有料noteを書いてて、そんな話をしました。
ちょっと表現が難しんですが、「あーあ、お前もそっち行ったよね」問題とでも言いましょうか、インターネット上に有料の文章を公開することで、そういう雰囲気が出ることがあります。これはたぶんちょっとまえに情報商材で怪しいものが大量にでたからじゃないかな。いいものもある前提で、「198,000円!」みたいな価格付をみると、どうしても怪しさが拭えない。
僕としては、「しっかり読んでもらう」ってところに結構な価値を置いて有料noteを書いてるんだけど、まぁそう思ってもらえないことも多いよなぁと。しかし直接コミュニケーション取れない人は、どんなふうに思ってるんだろうか?気がついたら周りから人が離れているのだろうか?わからない。
わからないからやってみるしかないってのが答えになっちゃうんですけどね。
以前も書いたんですが、おそらく僕は文章を書くことでめちゃくちゃ得してきました。無料で書いて、公開して、知ってもらって、信頼みたいなものが溜まって、何かチャンスをもらえる、みたいなことをたくさん受けてきました。それこそ文章で生きてきたと言っていいかもしれません。
一方で、文章で直接お金を稼ぐ、みたいなことはほとんどしたことありません。メンバーシップで100円ずつ頂いてるのはあるのですが(推してくださってるみなさま、ほんといつもありがとうございます!)、それくらいです。ちなみに、メンバーシップでいただく100円は、仕事でもらう100万円より嬉しかったりします。不思議ですね。
ということは、このあたりに「クリエイターとお金」みたいな問題が隠れてる気がするんですよ。だって、100万円より100円の方が嬉しいんですよ?ってことは、究極どれだけ安くても嬉しくなる気がするんですよ。時間をかけてつくって、安価で喜ぶ。そりゃ相対的に創作の金額下がりますよね。だからこそ、「適切な値付けを」ってのが難しいんだと思います。
僕の文章に関しても、書いてる時間は大体1日1時間。だけどこの文章を書けるようになるには、体験、経験、思考、内省、それら全部の30年以上の人生をまるっとぶつけないと無理なわけです。ピカソさんが目の前で1分で絵を描いて「これは私の人生+1分で描いた」って逸話、なんか今ならわかります。だから本来的な自分の時給でいうといっぱいお金もらわないとダメなわけです。だけど、100円で超嬉しい。そりゃ創作安くなっちゃいますよ。
お金を稼ぐゲームとしてこの世界を見た時、お金を稼ぐことが最上位の目的になります。別にそれはそれでいいと思うんですよ。この世界の遊び方なんで。であれば、創作はめちゃコスパが悪いのでやらない。
一方で、創作するゲームとしてこの世界を見た時、楽しいけどお金にはならない。それでいいんですけどね、っていうほどまだ世界は成熟していない。難しいですね。
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ここまで見てくださるなんて...ありがとうございます!! SNSに書かずnoteだけに書くことも多いので、フォローしておいてもらえると嬉しいです!