私が母のことを名前で呼び始めた理由
「お母さん、ありがとう」
私が母に最期にかけた言葉だ。
人は最期まで耳は聞こえているから呼びかけてあげてください、という話は有名だ。
家族のことも、友人のことも忘れてしまった認知症者の場合、その声はどんなふうに届くのだろう。
* * *
認知症の母を、兄と一緒に暮らす実家から連れ出し、介護を引き受けた時、すでに母は私のことを娘と認識していなかった。母にとって私は、顔はなんとなく覚えている『知り合い』くらいの位置だったと思う。
母の中では、兄と住んでいた実家が我が家であり、兄だけが自分の子どもだった。ここはあくまでも、遊びに来た知人の家なのだ。
しかし、会話をしていると、時々、私のことを娘だと思い出してくれているような雰囲気になることがあった。一緒に暮らし始めたばかりの私は(もしかしたら私のことを思い出してくれるかもしれない)という期待をほんのりと抱いていた。
母の話は自然に実家の話が多くなる。私も「そうだったねぇ」と相づちをうちながら、母の話を聞いていく。自分が生まれたときからずっと母と一緒に暮らしていた家のことだ。もちろんよく知っている。
会話はとてもはずんだ。母もとても良い表情をしている。そんな中、実家のことをよく知っている私に、母が言った。
「あなた、よくご存知ねぇ」
「だって私、そこに住んでたから。私はお母さんの娘だよ」
母の表情が一瞬でこわばった。
それまでの和やかな雰囲気が一変した。
このときの私は、まだ認知症について学びきれていなかった。
私のことを思い出してほしい。そんなエゴを、母に押し付けていた。
「私はお母さんの娘だよ。覚えてない?」
「知らない……あなたなんて知らない」
大好きな母が、まるで化け物を見るような目で私を見る。
母の怯えた表情と言葉が、容赦なく私の心を抉る。
それと同時に、やっと私は気づいたのだ。
自分の家族じゃない人から、「あなたの家に住んでいた」と言われる。
産んだ覚えのない人が、目の前で「私はあなたの娘です」と言う。
それってどんなホラー?
自分が放った言葉の重さに気がついた。
自分の心もぐっちゃぐちゃだったけど、母の心の中だって得体の知れない恐怖でいっぱいだったと思う。
この時私は、これからは母のことを「お母さん」ではなく、「○○さん」と下の名前で呼ぶことにした。
私は母にとって『知人』なのだ。もう娘ではない。
* * *
余命はあと一週間、と告げられてから、姉と兄と私と交代で母に付き添った。その頃の母は特養に入居して数年が経っていた。
母の最期に立ち会えたのは、きょうだいの中では私だけだった。
看取りもしてくれる特養だったので、母のまわりには忙しいはずのたくさんの介護士さんたちが集まってくれていた。
血のつながった家族は私しかいなかったけれど、母のベッドを取り囲み、心配そうに母を見つめ、声をかけてくれる介護士さん、職員さんたちは、これまで何年も母の身の回りのお世話をしてくれた、いわば、母の子どもや孫たちだ。母は、たくさんの家族に囲まれての最期だった。
私は、大好きな母に、これまでのお礼が言いたかった。
最期に、『知人』から『母の娘』に戻りたかった。
お母さんって呼んで、大丈夫かな。
そんなことを一瞬悩んでから。
エゴだってわかっていながら。
それでもやっぱり、知人ではなく娘として、母にお礼の言葉を言いたかった。
「お母さん、ありがとう」
久しぶりに、母のことを「お母さん」と呼んだ。
正確には、泣きながらボロボロな状態で言ったので「おがあざん……おがあざん……あでぃがどう……」みたいな感じで、そもそもきちんと聞こえたかどうかもわからないのだけれど。
今でも、最期にかける言葉は、これでよかったのかなぁ、と思い出す。
でも、どれだけ考えても他に思いつかないから、これでよかったのだと思いたい。
=========
【PR】
母の介護の経験をもとに書いた『おもちゃの指輪が絆ぐ時』を含む短編集です。Kindle Unlimited 読み放題対象です。
『記憶の森の魔女』
2013年に出版した同タイトルのリライト版です。
ある日友達と別れ家に帰ると、そこに建っていたのは見知らぬ家。
華子の周りに次々起こる不可思議な出来事。
約15000字
『オムライス』
遺品整理をきっかけに、紗花(さやか)は父の思いに触れる。
約6000字
『偽りの幸せ』
それはまるで、幸せな夢を見ているようだった。
約16000字
『おもちゃの指輪が絆ぐ時』
認知症になってしまった妻を介護する夫の苦悩と葛藤。
著者の実体験をもとに描かれた認知症介護の闇。
約38000字
『十二月の街』
クリスマスの、短い短いお話です。
約1400字