日本語教師で中国語学習者でもあるわたしが思う言語の限界と現実のお話
多言語によるコミュニケーションって本当に難しいです。
外国語ができれば、外国の人と意思を通わせられると思っている時期もありました。
しかし、中国語がそれなりにできるようになって実現できたのは、相手の話していることを理解できるだけでした。
そして、相手の話していることを理解できることと、相手を理解できることの間に大きな隔たりがあると感じるようになりました。
そもそも、日本語母語者どうしでも相手をまったく理解できないこともあるのです。
それで言語習得すれば、言葉を理解できますが、相手を理解するのは別のスキルだと考えるべきでしょう。
以前にもこのテーマで note を書きました。
その時の結論は「言語を学んでも友好関係が築けるわけではないけど、ツールとしての有用性はあるので、学んだほうがよい」というものでした。
今でも同じように考えています。
相手を理解すると言うよりは、異文化の中でサバイブするために必要なツールとして外国語を学ぶという戦略は正しいように思います。
これに関して言えば、中国人日本語学習者はとっても現実的です。
わたしが受け持つ学生たちのほとんどがツールとして日本語を学びたいと言います。
例えば「東京で買い物を楽しみたい」「アニメを字幕なしで見たい」「ゲームを日本語でやってみたい」「漫画を読みたい」など、自分の欲求にストレートです。
彼らは、日本に行って日本人と仲良くなりたいとは言いません。ただただ日本を楽しむために日本語を学ぶのです。
考えてみると日本にいる中国人たちは、中国人と仲良くしていました。
仕事や学校で日本語が必要なので日本語を学びます。でも、日本人を理解し相手と友好関係を築くために日本語を学び使おうとする人はほとんどいなかったように思います。
でも、これって外国語を学ぶ日本人も同じではないでしょうか?
わたしだって中国語を使って仕事をしたいと思ったから中国語を学びました。
またある人は洋楽や映画が好きで、英語やその他の言語を学びます。
もし自分がサブカル大好きなアメリカ人オタクなら「DEBU」とか「HARAKIRI」とか「GEISHA」と叫んでいたかもしれません。知らんけど
そうそう、わたしが出会ったアメリカ人、日本語ができるというので言ってみてと促すと「兄さん、ゴチになります。あざーす」と笑顔で言いました。
もちろん、その日のランチは僕がご馳走しました。
アメリカ人よ!君らはスゴい!!!
それはさておき、外国語を学ぶ人はこれくらいの気持ちで取り組むと良いと思います。
また、言語は文化だから、相手の文化を知り寄り添おうとか言う人もいますが、そんなことを目標にすると焼き切れてしまいます。
加えて相互理解だとか言いだすと、それを理解できない人たちの反感を招き、むしろ面倒くさい事態を引き起こすこともあり得ます。
それで、これからも相手が言葉にしたことを、まずは理解できるというレベルまで外国語を学ぶことを目標にして、そこから先は国が違えば感じ方も考え方もライフスタイルも違うよねくらいにスルーするのが良さそうです。
でも、だからといって文化が違うという理由で何でも容認するのは良くないと思っています。
わたしは中国で居留許可を取るのに中国の法令に従うという書類にサインさせられます。言い換えれば中国のルールを守りたくないと思うのなら、中国を出て行く必要があります。
これは当然の要求でしょう。
それで、世界のどこに住むにしても、地元のルールに従うというのは当たり前のことです。
そして、そのルールを守るためにも相手の言語を理解することは大事じゃないかなって思ってます。
今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日〜