【人の上に立つ者の姿勢とは何か】
高校時代、一度読んで涙が出た小説「上杉鷹山」(著:童門冬二)を読み返しました。
少し時を置き、教師になって読むと、また違った角度でこの本に学ばされる事が多くありました。
上杉鷹山は、江戸時代の後期に藩の抱える莫大な借金を、改革によって返済し、財政を再建した米沢藩(現:山形県)の藩主です。
(転載元: https://www.tokai-arts.jp/oumei_forum/senjin/youzann/)
倹約一辺倒の改革ではなく、
地場産業を起こし、商業による収入の増加を図る政策を行ったり、学校をつくって次世代の教育に力を注いだりしました。
その手法は、今見ても経済学的に納得のいく、レベルの高いものだと感じます。
そこも非常に興味深く、今の政治の参考になる部分は多々有るのですが、私が最も学ばされたのが、「上に立つ者の姿勢」です。
小説の中に、鷹山が発するフレーズで、たくさん出てくるものがあります。
「民は藩の宝である。」
藩の民こそが藩を支えている貴重な存在であり、武士は民に支えられているに過ぎない、という意味です。
武士が当然のように農民の上に立っていた時代に、こんな考え方をしていた藩主は非常に珍しいことでした。
上辺だけはそう言っていても、心からそう思って実行している人は少なかった。
しかし、鷹山は藩主自ら村を巡回し、民と対話して願いを聞いたり、労をねぎらったりしました。
こういう姿勢が、私のような教師を始め、人の上に立つ者の姿勢ではないか、と感じます。
本当に人をまとめる力とは、鷹山のような人の「徳」にあるのではないか、と思うからです。
教師をしていると、どう生徒をまとめるか、と言う事が悩みになります。
生徒は叱れば言うことを聞きます。
しかし、それは一時的なものに過ぎません。
でも逆に、相手への思いやりとか愛、という言葉が「指導が甘い」と周りから思われてしまっている現状もあります。
そう言うことを私自身悩んでいる中で、この小説は、私の考え方が間違ってなかったんだな、と思わされました。
まとめる、のではなく、
「この人にならついていきたい」と思わせるリーダーになる。
それだけの心の器を持ち、人格者になる事が必要であると感じた読書でした。
2日であっという間に読破してしまいました。(笑)
これが生涯、私の座右の書になるなと確信しました。