それでもやさしくあること
ここ最近感じるのだが、自分に余裕がある時とない時に心の中の器の大きさが変わるように感じる。
受け止められる量が変わってくる。
自分が弱っていると、被害者意識が強く少しのダメージで器から感情がこぼれ落ちる。そして視野が驚くほど狭くなりずっと"一人称自分"になる。自分視点しか考えられない。
苦しいんだよなぁこれがほんとに。
理解できていても聴ける曲も限られるし、ミセスなんて聞いちゃった日にはこんな明るく生きられないって自分を卑下する。
そんな時どうするかと言うと、自分にいろいろ言い聞かせるのが一番良いことに気づいた。
人生の答えをもっているのは自分だ。答えを出すのも自分だ。
メンタルも成長期があるらしい。
わたしはきっと今その状態だ。
このまま自分もみんなも苦しめるか、一緒に楽しく生きていくかは自分次第である。
もう一つわたしは考えすぎる癖がある。
相手の立場にたって考えて考えて自分の意見を押し殺して
わたしはそれが優しさだと思っている。
周りを見ていると恋愛がうまくいってる女の子たちはみんな自分の意見をはっきり言うしそれを相手は受け止めている。
わたしがもっとハッキリ意志を伝えられればいいんだろうか。
わたしがもっとわがままになれればいいんだろうか。
それはできない。
それでもわたしは優しくありたい。
この優しさのままでいたい。
いつもなら私の何が足りないのかな、とかどこを治したらいいかとか考えてしまうけど
今回はちがう。
わたしはこの性格を直す必要はないしこの優しさが私を形作っている。
「優」という漢字は人は憂うという意味がある
憂うとは、うれえる。思いなやむ。心配することだ。
相手を思い相手のことを考えることができるのが人間だ。
わたしはこの感情と向き合っていたい。
それこそがわたしだから。
それでも優しくあること。
そう生きていこう
それでは
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