月例落選 短歌編 2022年6月号
このところ落選ばかりだ。神仏に縋ったほうがいいかもしれない。というわけで、見出しの写真はお地蔵さまにした。詩歌のことは担当外だ、などと役人のようなことは言うまい。言われたら、はぁそうですか、としか答えようがないのだが。
題詠は「真」を詠う。
小人が窮して濫しこうなったそれが真実焼盡の朝
真ん中の青を締め上ぐ赤と白それが全てだどこかの国旗
色褪せた写真の中の若き兵見たこともない真顔での祖父
詠んだのが3月10日前後だったので、どこかの外国での武力紛争が世間の話題の中心を占めていた。日本が戦争当事国になった頃とは戦争のやり方も「戦争」の実体もだいぶ変わったはずだと思っていたが、火器で物理的な破壊をやりあうのはまだ変わっていないらしい。市井の人々からすれば、結局のところは戦場になったところが焼尽され、それまでの暮らしが成り立たなくなる。国家というものは国民の生活を守ることが第一の存在意義だと思うのだが、戦争を回避できない段階でその存在意義が大きく揺らぐことになる。昔、どこかの国が「一億玉砕」を叫んだらしいが、玉砕して誰もいなくなるのなら、国とは国民とは一体何なのだろう。戦争を回避できない政治は政治ではないし、戦争を回避できない知性は知性ではない。
国旗というのは国の在り方の象徴のようなところがある。敢えて日の丸については語らないが、世に三色旗は多い。例えばヨーロッパで赤、白、青の三色旗を国旗にしているのはこれだけある。
一口に「赤」「白」「青」といっても色々だ。当然、色の意味も色々だ。上に並べた国旗は左から順にオランダ、フランス、ルクセンブルク、ロシアのもの。オランダの国旗は16世紀のスペインからの独立戦争でオランダを支援したオレンジ公の紋章がもとになっており、赤は国民の勇気、白は神への信仰心、青は祖国への忠誠心を表すのだそうだ。フランスのトリコロールは赤が博愛、白が平等、青は自由を表す。ルクセンブルクはルクセンブルク家の紋章に由来し、赤はライオン、それが青と白の縞模様の台座に乗っている図なのだという。
ロシアは諸説あるようだ。今のロシアはソ連崩壊後に成立し、ソ連成立直前のロシア帝国のものを継承しているが、そのロシアの国旗の由来がいろいろに語られている。その中で、白はベラルーシ人、青はウクライナ人、赤はロシア人を表すという説がある。ソ連歴代の実質的国家元首を見ると、フルシチョフとそれに続くブレジネフはウクライナの人だ。ソ連時代はもとより、それ以前のロシア帝国の時代からウクライナはロシアと一体の関係にあった。あいにく、だからどうだという言葉を持ち合わせていない。
家にテレビがなく、新聞の購読もしていないので、時事問題に疎いのだが、2週間に一度、老親の様子を見に実家に行った時にテレビをみる。先日、ニュースをみていたら、BBCの映像に日本語訳の音声をボイスオーバーで流していた。画面の人物はウクライナ語だかロシア語を話しているはずなのだが、日本語訳の背後で小音量で流れている音声はなぜか英語だった。BBCで加工したニュースを、あたかも一次映像であるかのように伝えている日本のテレビ局の姿勢に少し恐怖を覚えた。
雑詠は以下の四首
月冴えて沈丁花の香る夜人生変えた公園ベンチ
いつまでも一緒にいると信じてた今さら旗の青を抜けない
梅香りメジロ飛び交い鳴き交わす弾が飛び交い人泣き交わす
最期までほんとに嫌な人でした管に巻かれてクダを巻いて
住まいがある団地の敷地にはいくつも小さな公園がある。時々、そこにあるベンチで語り合っている人たちがいるのだが、そこでの語りがきっかけで人生が大きく展開するなんて人もあるのかしらと思ってみたりする。
人生といえば、自分は残すところそれほど長くはない。最期はどうなるのだろうという興味というか関心が少しずつ盛り上がっている。思うように生きることのできない人間が、思うように死ぬことができるはずはないのだが、自分の最期については多少夢見ることもある。「あのさ、俺が死ぬときはさ、思い切りイヤーな感じで逝こうかな」と言うと家人は「ま、やれるもんならやってみな」と応えるのである。そこで「おぅ、やってやろーじゃねーか」と啖呵を切りたいところではあるのだが、自信がなくて何も言えない。