サラリーマン考 『「つながり」の精神病理』
本書には私が社会人になった前後に書かれたものが収載されている。私が大学を卒業して証券会社に就職したのが1985年だった。あれから38年。世相というものは生き物のように時々刻々変化するものとは承知しているつもりだが、本書を読んでいて「そんなこともあったな」と懐かしさを覚えるところが少なからずあった。それが懐かしいと感じられるほどの過去であることに若干の衝撃を受けた。
自分はいわゆる「サラリーマン」だと思っていたが、近頃「サラリーマン」という言葉を聞かなくなった。ひょっとしたら既に死語と化しているのかもしれない。「サラリーマン」とは何者だったのだろうか。
先日、職場で新入社員の研修をした。イマドキは「研修」とやらを実施しているという事実が世間で重要視される。それぞれの職務に必要な資格試験に合格することとは別に、いくつもの研修を受けないと実務に就くことができないようになっている。過半の社内研修はオンラインで済むが、今回のように対面でしなければならないものもある。研修で実務ができるようになるはずはなく、研修は実務のためのものというよりは、「適切」な社員教育を行なっているという体裁を整えるためのアリバイ作りのようなものだ。また、実務の経験がなければ、知識だけ詰め込んだところで、それが理解されるはずもなく、実務上は実質的な意味はない。
私が現在の職務に就いたのは2005年4月からで、ほぼ同じことをしながら2007年9月、2012年4月、2013年8月、2017年9月に勤め先を変え、4つの会社を渡り歩いた。4回転職したら5社になる勘定だが、現在の勤務先は2005年4月から2007年8月まで在籍していた先への出戻りなので4社である。私は組織というものにあまり関心がないので、誘われたら素直に移ることにしている。2012年の転職は例外で、前職で解雇されたので転職せざるを得なかった。だからこの時だけは口入屋の世話になった。
現在の勤務先は若干名だが日本で新卒の採用をしている。先日研修をした人は米国の大学を卒業したので入社が7月下旬だ。現在の職務で新卒の研修を受け持つのはこれが初めてだった。中途の人の研修は、ある程度共有可能な職務経験があるので、その人の前職との差異に焦点を当てて研修内容の説明をすることができる。ところが、新卒となると取っ掛かりがない。研修資料は所定のものがあり、そこから逸脱するわけにはいかないことになっている。仕方がないので、概要をかいつまんで説明し、実務を始めてから個別具体的な疑問点をその都度質問してもらうことにした。
人数は年によって違うが、昨年の今頃から約1年ほどの間に6名の研修を担当した。通常は研修の相手は中途入社だ。以前は圧倒的に同業他社からの転職者だったが、最近の傾向として、新卒で就職せずに起業や個人事業主として社会に出て、そこからの転職という人が現れた。この1年間に研修をした6人の中に、起業経験者が一人、個人投資家だったという人が一人いた。個人投資家だったという人は日本人ではないが、それでも今の時代の何事かを語る事例だと思う。学校を卒業して企業に就職するのが当然、という時代ではもはやないのかもしれない。
私自身は自分が大学生の頃、卒業したら企業に就職をするのが当然だと思っていた。もちろん、公務員試験を受けて官庁に勤めるとか、資格試験を受験して士族稼業に従事するという選択肢もあったが、在学していたのが私学ということもあり、そういうものは自分の中では想定外だった。そして、新卒で入社した会社には定年まで勤めるのが当然だと思っていた。
ところが、就職したあたりから世情の雲行きが怪しくなってきた。そもそも就職した年から数年は円高不況真っ只中で、円高対策として製造業は生産拠点を海外へ移し、国内の空洞化が言われるようになり、日本経済全体が不調だった。その不況対策として日銀は過剰なまでの流動性供給を行ったが、空洞化が進む中で資金だけ供給されてもその資金の行き場がない。かといって既にある程度成熟した経済では、流動性が供給されたからといって消費はそれほど反応しない。不況対策として政府が公共事業を活発化させたこともあって、土地や関連企業の株式への値上がり期待が醸成された。
行き先を失った資金が投機へ向かうのに時間は掛からなかった。特に株と土地が値上がりした。身近にも3,000万円で買った中古マンションが半年後に6,000万円で売れた、なんていう話を聞いた。しかし、投機というのは所詮は空疎なもので、その場限りの幻のようなものだ。幻はいつか必ず嘘のように消え去る。投機は手仕舞いどころを逸すると損失が冗談のように膨らむ。1990年代初頭に株や土地の価格がピークを打つと、世情は1980年代最後の数年とは正反対の状況を呈する。「資産」だと思っていたものが、気がつけば「負債」に変わっている。まるで怪談のようなことが当たり前に起こるようになった。結果として、倒産するはずがないと思われていたような企業が倒産するようになる。自分の勤務先も外資に身売りすることになった。結局、身売り話が明るみになった当時の顧客に誘われて、そちらへ移籍することにした。就職して13年半勤務したところで最初の転職だ。1998年10月のことだった。現実は何が起こるかわからないのである。
1990年代初頭に所謂「バブル崩壊」と呼ばれる経済の変調を迎え、1990年代後半に至ると、長期化する変調に耐えきれず、「大企業」と呼ばれていた企業や半官半民のような企業のなかにも破綻するところが出てきた。例えば上場企業(以下いずれも東証一部)の破綻事例としては、
1996年:日本住宅金融、兵庫銀行、太平洋銀行
1997年:京樽、雅叙園観光、東海興業、多田建設、大都工業、ヤオハンジャパン
1998年:三洋証券、大同コンクリート工業、東食、山一證券、徳陽シティ銀行、大倉商事、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行
1999年:日本国土開発、トーアスチール、佐々木硝子、なみはや銀行、新潟中央銀行
2000年:長崎屋、エルカクエイ、日本NCR、日貿信、ライフ、第一ホテル、そごう、藤井
という具合だ。
中井はかつて「サラリーマン労働」を「普遍職業」あるいは「普遍的職業」と呼んだ。
中井が普遍的職業の危機を語る背景には、自身の臨床事例の経験があるのだろう。上に引用した「現代中年論」も「精神科医の「弁明」」も1980年代半ばに書かれており、円高不況の時期に重なる。円高で影響を受けるのは主に製造業だ。円高なので原材料のコストには低下圧力が働いて有利になるものの、外貨建ての販売価格は上昇し、他国の製品に対し価格競争力が低下する。対応策としては為替リスクを低下させるべく、消費地に近い場所、為替リスクを気にする必要がないくらいコストの安い場所で生産し、販売するのが有効だ。外=外で調達、生産、販売が完結し、利益が出ていれば、その利益を本社のある日本円で評価する段階で為替の影響は受けるものの、利益が損失に変わることはない。例えば、それまで国内で製品を生産していた企業が、生産拠点を海外に移管すれば、国内の生産拠点が廃止され、その分、国内の雇用は構造的に減少する。それまでそこで働いていた人々の精神状況が平穏であろうはずがない。
精神科医療の現場は社会の変化の最先端を反映していることは確かだろう。そこでの微細な変化は、一時的かつ個別的なものかもしれないし、その後に大きな潮流が続くかもしれない。限られた症例だけでその後の変化までをも見通すことはできない。それはそうなのだが、精神科医には臨床の皮膚感覚のようなものがあるはずだ。結果的には、実際に起きた変化の何事かを言い当てていたと思う。
5年ごとに実施される総務省の就業構造基本調査というものがある。直近のものは2022年10月1日現在のデータをまとめたもので、今年7月21日に公表された。この統計によると、2022年現在、有業者が約6,706万人、無業者は4,313万人で、有業率は60.9%。有業者のうち自営業主は511万人、家族従業者が102万人で、雇用者は6,077万人だ。有業者の90.8%を企業などに雇用されている人が占めている。この国では社会人といえば、ほぼ給与生活者、つまりサラリーマンだ。就業先の産業を見ると最も多いのは「製造業」で有業者の16.1%を占める。以下、「卸売業、小売業」14.9%、「医療、福祉」13.8%、「サービス業(他に分類されないもの)」7.2%、「宿泊業、飲食サービス業」5.6%、「運輸業、郵便業」5.3%、「教育、学習支援業」5.3%、と続く。昨今、働き方の変化がマスメディアの話題に上ることが多いが、この統計ではフリーランスは209万人で有業者の3.2%だ。これをどう見るかは人それぞれだろうが、全体的な傾向としては正規雇用の割合が微増しており、話題になっているほどにはフリーランスが増えている印象は受けない。ちなみに、フリーランスの割合が比較的大きい産業は、「学術研究、専門・技術サービス業」(同産業内での有業者の13.5%)、「不動産業、物品賃貸業」(10.7%)、「建設業」(10.7%)といったところだ。
もちろん、統計のようなものをどのように解釈するかは、解釈する側の問題だ。現場では確かに変化が見られるが、それは個別の例外的なものであるかもしれないし、大きな潮流の一端を示すものかもしれない。変化の最先端にあっては、そこが転換点なのかどうかはわからない。そういうトレンドの変化はあくまで振り返った時に目にする航跡のようなものだと思う。ただ、この統計を見る限り、「サラリーマン」という言葉を使うか否かは別として、賃労働者・給与生活者として生きることは依然として「普遍的」であるように私には見える。
昨日、たまたま娘と話をする機会があった。
「サラリーマンっていう言葉、普段使う?」
と尋ねてみたら
「使うんじゃない。でも、あんまり聞かないね」
とのことだった。まだ死語にはなっていないらしい。