和田誠 『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ PART2』 国書刊行会
PART1は洋画だけだったが、本書は少し邦画も取り上げている。あとがきの中で和田がこんなことを書いている。
そういうところもあるかもしれないが、記憶に残るのは何かしら引っ掛かりがある所為ではないかと思うのだ。日本語を母語とする者が、腹の底から感動するような日本映画を観たとしたら、かえって一つ一つのセリフが独立して記憶に残るということは無い気がする。それは当たり前に美味いと思うものが毎日何気なく食べているものであって、所謂「御馳走」は自分のナマの状態から少し距離がある「美味しさ」であるのと似ている。本当に腑に落ちるものは自分と一体になるので言葉に表現して外部化することができないのではないか。
「芝居じみた」とか「芝居がかった」という形容詞はあまり良い意味には使われない。洋画のセリフは字幕であれ吹き替えであれ、自分の生活とは異なる文化の中から生まれたものであって、それを決められた尺の中に収めるという無理矢理の中で捻り出したものだ。そこに記憶への引っ掛かりが生じるというところもあるだろう。映画や芝居で聴いて、自分もいつかそんなセリフを吐いてみたいと思っても、たいていはそんな機会に恵まれないものだと思う。たまに他人が語る芝居じみたセリフを聴くと嘘臭さが鼻についたりする。それは、そういうものだからだ。
だからこそ、日本映画から生まれた名セリフというものは、それを語る俳優の力量に依るところが大きいのだと思う。本書に取り上げられている邦画作品の中で、確かに名セリフだと思うのは、ありそうであり得ない世界を描いた作品の中のありそうであり得ない言葉のやりとりだ。
「男はつらいよ」の寅さんのセリフ。私はこのシリーズを映画館で観たことは一度もないが、たぶん意識するとしないとに関わらず、全作品を目にしていると思う。それは毎年年末にテレビで放映されていたからだ。自分の暮らしの中では年末の風物詩として家族で「男はつらいよ」をテレビで観るということがあった。そういうことも含めて、自分の生活に溶け込んでいる作品である。だから「よお、相変わらずバカか」というセリフだけ抜き出しても勝手にそのシーン全体の空気感が脳裏に蘇るのである。世の「映画好き」が何を以って「映画」と呼ぶ映像作品の鑑賞を愛好するのか知らないが、ある時代の一般常識のようになった作品というのは映画としては本物だろうと思うのである。
断っておくが、私は「映画好き」ではないし、ましてや「男はつらいよ」を愛する者でもない。一時期、無闇に多くの映画を観たことがあり、その中で「男はつらいよ」のいくつかの作品をビデオやDVDをレンタルしたり買ったりして観たことがある。そうするとどれも特別どうというほどのことはないのである。たぶん、それだからこそ、作品の中のキャラクターやセリフが独り歩きできるのではないかとも思う。
ついでに、「男はつらいよ」に関して本書に紹介されていたもう一つのセリフも良い。
ものすごく深い言葉だと思うのである。
本書を読んで気づいたのだが、戦争映画が多い。戦争という非日常を舞台にすることで人の本性のようなものが描き易くなるのかもしれない。とりあえず本稿は本書の日本映画に関することだけにとどめておくことにする。