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蛇足『阿房列車』

どうでもいいことなのだが、『第一』と『第二』に収載されているものの初出はいずれも「小説新潮」だ。『第一』は昭和27年6月に、『第二』は昭和28年12月に三笠書房から刊行されたものが文庫化されている。『第三』に収載されている六篇の初出は二篇が「文藝春秋」、二篇が「週刊読売」、一篇が「国鉄」で一篇が書き下ろしだ。言われてみれば、書き下ろしの「隧道の白百合」だけが話の展開の時系列が前後している。

『第一』から『第三』までを通じ、ほぼ全編がほぼ健康な状態での話なのだが、「白百合」だけが道中で体調を崩した話である。体調を崩したのは事実なのだろうから、それを書くことに何の不思議もないのだが、そういうものを挿入することで全編に対する現実味が増すようにも思われる。

還暦過ぎで不整脈持ちであるということを読者は心得ている。今ですら、還暦過ぎればあちこちに不調が生じるのが当たり前なのに、ましてや昭和20年代後半から昭和30年にかけてのことである。直近の完全生命表によれば昭和30年の0歳時点の平均余命(いわゆる「平均寿命」)は男63.60、女67.75である。「阿房列車」などと称して日本中を旅して回っていること自体が驚異的だったと思う。そこに体調を崩した話を挿入することで全編の話の厚みの印象のようなものがグッと増したことは想像に難くない。

それが内田自身の考えによるものなのか、編集者の助言によるものなかは知らないが、「作家」の仕事というのはこういうところが素人とは違うと思うのである。頻繁に体調不良を語るのではなく、「おっ」とか「えっ」とか思わせる丁度良い加減というものを心得ていることが作家であれ編集者であれ「本職」の仕事というものだと思うのである。

今更だが、『第二』で印象に残ったことをいくつか追記しておきたい。『阿房列車』の基底にあるのは列車に乗ってみたいという単純な動機だ、と思う。端的には以下のようなやりとりから窺い知ることができる。

「新潟へなぜいらしたのです」
「なぜだか解らないが、来た」
「目的は何です」
「目的はない」
「何と云う事なく、ただふらりと、そう云う事もありますね」
「あるね」
「まあそう云う風にやって来られたとして、しかしこうして新潟に著かれた上は、これからどうなさるのです」
「どうするって、どう云う事」
「つまり、御計画を聞かして下さい」
「そんな君、無理な事を云って、計画なぞと云う気の利いたものは、持ち合わせていないから駄目だ」
「何かあるでしょう。例えば明日はどうするとか云う様な事」
「それは今晩寝てから考える」
(『第二阿房列車』26頁)

人の行為の8割は習慣に依る、と何かで読んだか聞いたかしたことがある。自分の行為を万事理屈立てて考えている人は皆無ではないかも知れないが、ほとんどいないだろう。何よりの証拠が今こうして暮らしている現実の世界だ。一人一人がもっと考えてどうこうしているなら、もっとマシなことになっているのだろうし、精一杯考えてこの程度なら人間というものはしょーもないものということになるし、どちらに転んでもろくなものではない。内田は本当にただ列車に乗ることが好きだったのだと思う。わからない人には全くわからないだろうが、私はなんとなくわかる。私もそうだからだ。でも、今はあまりそういうことを思わなくなった。どこに行っても似たような車輌、駅、駅舎、風景ばかりで面白くなくなったからだ。「シホンシュギ」だの「シジョウゲンリ」だのが世界を席巻して物事が規格化された結果なのだろう。尤も、そのおかげで世界のあちこちで様々な騒動があっても、安定した物価、すなわち安定した経済の下で暮らしが立っているのも現実だ。

世間では「格差社会」だの「貧困化」だのと喧しいが、統計上は少なくとも物価に関しては安定していることになっている。総務省統計局が発表している消費者物価指数を見ればはっきりしている。長期トレンドを見るために年間の数字でみていくが、1986年以降で物価が前年比1%を超えて上昇した年は1989年から1993年にかけての5年間と1997年、2008年、2014年だけだ。これは総合指数の話だが、そこから価格変動の激しい生鮮食品を差し引いた指数(いわゆる「コアCPI」)、さらにそこからエネルギー価格を差し引いた指数(いわゆる「コアコアCPI」)で見ても傾向は変わらない。1986年は前年に「プラザ合意」というものがあって、主要国間での通貨交換レートが人為的に調整された年である。このため日本は「円高不況」と呼ばれる深刻な不況に見舞われたが、世界経済の立て直し、仕切り直しの年であったとも言える。そこを起点にすると、不況対策で過剰流動性を招いた副反応のような「バブル景気」の時代である1989年から1993年にかけての時期を経て、以後は総じて落ち着いている。また1989年は消費税導入の年でもある。1997年は消費税の税率が3%から5%に引き上げられ、ついでに物価も少し上がったということだろう。2008年は「リーマンショック」とも呼ばれる世界同時不況下での混乱に伴うもので、2014年は消費税率が5%から8%に引き上げられたことに伴うものだ。消費税率は2019年に現在の10%に引き上げられたが、消費費目としてウエイトの大きい食品などには8%の軽減税率が適用されたこともあり、それまでの税率引き上げに見られたような物価への影響は比較的小さい。蛇足のついでに蛇足を重ねるが、税金は物価に含まれない。税金が上がったついでに物価が上がったということだ。税金に紛れて値段を上げたのが大勢いたということだ。

ここ数十年は物価がほぼ安定している、ということは財やサービスの需給バランスが安定しているということであり、総じて生活は安定している、と言えるはずである。一方で、経済活動は何がしかの利益が要求される。経済活動には元手が必要で、金を借りれば金利を払わないといけないし、株式を発行すれば配当や株価の値上がりが当然に期待される。金利や配当を払うにはその経済活動が利益を生むものでなければならない。つまり、経済活動とは儲けることだ。しかし、世間の需給は安定していて、局地的な話を別にすれば、大きく売上を伸ばし続けることは至難である。売上が伸びなくても利益を出すには費用を低下させるしかない。費用を低下させるには物事を規格化共通化することによって費用費目を大量生産品に置き換えるのは大変有益だ。結果として、生活の風景も規格化共通化されていくのである。

となると、乗ってみたいと思うような列車は少なくなる。ここでやっと話が列車に戻った。しかし、事は列車だけのことではあるまい。おそらく、その「規格化」「共通化」の本流に足を掬われた人々は「費用低減」の「低減」の主役になっているから「貧困化」に見舞われることになるのだろう。つまり生産活動の産出物や提供するサービスの対価が低下するので「働けど働けど」という状況に陥るのは容易に想像がつく。鉄道は国鉄からJRになって、もちろん様々な技術の変化もあって、省人化省力化が進行した。編成あたりの乗務員の数にしても、運転手と車掌がいるのが当たり前だったのが、運転手だけになり、そのうち無人運転になるのだろう。建設中のリニア新幹線には運転手がいないのだそうだ。かつて長距離列車には当たり前に食堂車があり、百閒先生も『阿房列車』の中で盛んにそこで飲み食いしていた様子だ。新幹線にも昔は食堂車があった。それが車内販売だけになり、その車内販売も廃止の方向にある。鉄道を移動の手段と割り切れば、確かに食堂車も車内販売も不要だ。ワンマン運転が技術的に可能なら車掌はいらない。これすなわち人件費削減だ。同じ輸送量なら運賃一定でも利益は増える勘定だ。もちろん、それに伴う設備投資の減価償却を賄うに足る長期での勘定だ。つまり、一般論としては、人を機械に置き換えていくと、長期的に事業体は利益が増える。その機械を作るところも、当然に省人化無人化した工場で生産活動をする。「Made in どこそこ」というのはほとんど意味をなさなくなる。

ところで、「働けど働けど」の人々の需要=生活はどうなったのか。厳しい状況に追い込まれたのだから需要は小さくなったはずだ。ところが先に述べた通り、統計は平穏だ。そういう厳しさは統計に反映されるに足るほど全体の中では大きくない、ということになる。統計に不備があるわけではない。数字とはそういうものなのである。大きな母集団の平均とその集団の個々の構成要素の属性は無関係だ。これは集合論の常識。しかし、そういう厳しさが局地的な現象で終息するのか、ここから広がるのか、ということを数字は語らない。風景や生活が単調に感じられるようになった、というのは私の主観に過ぎないが、誰の目にもそう感じられるとしたら、話は少しばかり違ってくる。生活の風景が意味するところには深いものがあると思う。そして、私はそこにある種の怖さを感じる。その怖さは、乗りたいと思う列車が少なくなったことと関係している、と思うのである。

見出写真は尾久駅で撮影した。『阿房列車』を読み始めて、それについてnoteに上げる際に適当な写真が欲しいと思った。最初、『阿房』時代の何かということで鉄道博物館に出かけようかとも思ったのだが、調布から大宮までは遠い。新宿で乗り換えるのはいいとして、大宮で遊園地の電車のようなものに乗り換えないといけない。大宮で下車してすぐなら思い切ったかもしれないが、あの冗談のようなものに乗り換えるというのがいけない。あれは鉄道というものに対する冒涜だ。それに博物館の展示品というのもナンだ。それで土曜日に池袋の陶芸教室に出かけた帰りに田端の電車区を訪れた。陶芸を終えて田端に移動し、まずは駅ビルにある食堂の外に向いたカウンター席でスパゲティを食いながら窓からの景色を眺めると、実に良い風景である。ところがその場に出かけてみると要所要所が「立入禁止」だったり、網目の細かいフェンスで囲われていたり、思うようなものが撮影できなかった。次に行く時は、ワークマンで調達した作業服っぽいものを着て黄色いヘルメットをかぶって内部に突入を図ることにする、なんてね。

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熊本熊
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