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般若心経

文化の日写経で比べる偽の筆
(ぶんかのひ しゃきょうでくらべる にせのふで)

季語は文化の日、秋。筆ペンで写経をする。しかも、予め文字が薄く印刷してあってなぞるだけの簡便なものだ。本当なら本物の経文を傍に置いて、墨を磨って筆で書かないといけないのかもしれないが、急に思い立って硯を出して、、、というような暮らしぶりではない。

それでも、書道用具は一式揃っている。無謀にも歌会始に詠進歌を詠進したからだ。詠進は毛筆でないといけないことになっている。それで道具を揃えたのである。尤も、用具を揃える以前から墨だけはたくさんある。奈良に遊びに出かける度に墨を買って帰るからだ。

小三治のDVDで「鹿政談」を聴いていたらマクラで奈良の名物について語っていた。そこに登場するのが墨なのである。奈良に出かけると墨屋の店先のワゴンにある出来損ないの墨を買って書道をするというのである。それで初めて奈良に出かけた時にそのワゴンを探した。が、数えるほどしか見つからなかった。そのDVDが収録されたのはかなり以前のことで、それから多くの墨販売店が廃業してしまったのだろう。しかも、そこに並んでいるのはいわゆる「出来損ない」というようなものではなく、ただ在庫の入れ替えで出てきたというだけの至極真っ当な製品だ。それでも、店の奥のケースに並んでいるようなものとは値段がだいぶ違う。一回に買うのは一つか二つでも、今年で7年目なので、すでに十数個も未使用の墨が貯まっている。店先のワゴンに並んでいるものを手に取って眺めているうちに、奥から店の人が出てきてあれこれ会話が始まってしまうと、行きがかり上、何も買わずにその場を離れることができなくなってしまう。気が小さい。あとは神社仏閣の売店のようなところで墨が並んでいることがある。黙っていれば済むことなのだが、つい、何故そこに墨があるのか、その墨はどういうものなのかということを「あのぅ、すいません。この墨ですけどぉ」と尋ねてしまう。やはり行きがかり上、買わずにその場を離れることができなくなってしまうのである。大変、気が小さい。

墨が貯まり、道具一式揃ったところで、書道をやろうと思った。子供の頃、書道教室に通っていた。しかし、私の字は評価が真っ二つに分かれる。大抵は悪筆と見られている。社会人になって最初の職場で、何かの書類を部署の庶務を仕切っている年配の次長に提出した。「熊本君、酷い字だなぁ。会社の経費で落とすから、君、ペン字を習いなさい」と言われて、本当にペン字の通信教育を受けることになった。かと思えば、その同じ時期にやはり年配の書道の先生をしている人が私の書いたものを見て、「熊本君、あなたの字は完璧だ」と言うのを聞いて驚いたこともある。日常生活に差し障りがないのでどちらでも良いのだが、字を書くということへの関心はある。筆を下ろす瞬間の気分とか、止め、ハネ、払い、という動作の一つ一つに興味を覚える。それは自分が字を書くときだけでなく人が書いたものを見る時も同じだ。書いてある内容には然程興味はないのだが、文字そのものに目が行ってしまう。

先日、「ほぼ日」の連載記事を読んでいて、すごく気になったことがあった。『SWITCH』編集長の新井敏記氏の話の中で、緒方拳と笠智衆のことを語っている件だ。

新井
本当に肩の力の抜けた人で‥‥
緒形さんが、笠さんから
「山川草木」の書をしたためてもらったと、
うれしそうに言っていたことを
思い出したんです。
緒形さんが笠さんに謝罪をしに行ったとき、
緒形さん笠さんに
「書を書いてください」とお願いした、と。
笠さんは「ほー、いいですよ」と
筆ペンで書かれた。
緒形さんは書家でもあるのでびっくりした。
──
びっくり?
新井
だって、道具を選ばずですから。
さらにその字が、
とても見事だったそうなんです。
清冽で、気品があって、感動した‥‥って。
──
へええ‥‥。
新井
「山川草木」というのは
中国の故事になぞらえた4文字です。
あらゆる自然を総称する言葉、
究極の心境を表しているから、
書家からすると、難しい字なんだそうです。
でも、笠さんがその字を選んだ理由は
「簡単だから」って。
緒形さん、思わず、のけぞっちゃったって。
──
何だかもう、すべてのエピソードが、
笠智衆さんに抱くイメージのまんまですね。
新井
緒形さんは
「ハンコ」も最後に押してくださいと、
お願いしたそうです。
そしたら笠さん、奥さんに向かって
「おーい、ちょっと銀行印を持って来て」
と、三文判をポンと捺したんだって。

笠智衆が好きだ。彼が出演した作品で観たのは『東京物語』と『男はつらいよ』と『お葬式』くらいなのだが、強烈に印象に残っている。そういえば、小三治が「鹿政談」を演る時の鹿奉行は笠智衆をイメージしていると語っていたことがある。

それで、筆ペンで写経をしてみようと思ったのである。筆も筆ペンも持ち慣れないので、筆ペン3種類を試した。一本は「ほぼ日」で何かを買ったときにオマケで付いてきたもの、一本は実家の近所のTSUTAYAで買ったペんてるの使い切り、もう一本は同じくTSUTAYAで買った呉竹のカートリッジ式。どれがどうと言えるほど、文字のことも筆記具のことも知らない。

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熊本熊
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