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食堂車の赤子

 ある国で、長距離列車が動いている。その列車には食堂車が連結されていた。次の都市までは数時間止まらず列車は走り続ける。目的地はそのさらに先だ。ここで時計を見た。ちょうどお昼を過ぎたところ。よく考えたら腹の虫が鳴ったような気がした。ならばと、座席を立ち食堂車に向かう。

 移動中の列車は高速に走行。食堂車は進行方向とは逆方向にあった。ときおり体を襲う揺れ。線路の継ぎ目と思われる車輪の衝撃音。両手を座席シートに置いて支えながらゆっくりと車両を移動した。ふと窓の外を見る。そこには何もない平原地帯が続いていた。山も見えない地平線のかなたまで同じような光景が続いているかのよう。平原をよく見ると、それほど高くない草があちらこちらで多く生えている。色はやや茶色っぽいものが目立つが、緑色したのもあった。それらが進行方向から急速に近づくと、それがあっという間に後ろに移る。どうやらこの列車の速度は結構早い。よく考えたら直線を走り続けている。ゆうに時速百キロは軽く越えているだろう。

 ようやく食堂車に到着した。通常の客車は薄い緑色をした内装だが、食堂車の内装は黄色っぽい。入り口にいちばん近い席は埋まっている。仕方なく次の席に腰を掛けた。その席から入り口側の席が見える。斜め前には白い服を身にまとった赤子が視界に入った。
 メニューを確認。ランチのメニューにはいろいろある。ここでハンバーグに決めた。食堂車のスタッフが水を持ってくる。ハンバーグを注文。スタッフは頷いてメモを取ると、併設されている厨房のほうに向かった。

 ハンバーグが来るまで待つ。水を飲む。無色透明で臭いも味もない水。冷たすぎずぬるすぎないちょうど良い温度である。舌を湿らせるのにはちょうど良い。水を飲み、車窓を眺める。ここに来るまでに見た風景と何ら変わらない。単調だとばかりにふと視線を前に向ける。斜め前に見える先ほどの赤子だ。ここで赤子の表情が気になった。あどけない表情ではなく意味深な顔をしている。生まれたばかりのはずなのに眉間などに皺が目立つ。そして目は丸くて黒い。だが笑顔ではなく鋭い視線。口元は小さく開いている。だが笑ってはいなかった。ただ体はほとんど動かない。まるで人形であるかのよう。横に紳士がいたが、彼ですら微動だにしない。

 ここでその赤子と目が合ってしまう。黒い目と焦点が合った。このときまずいとばかりに目を反らそうとする。だがうまくいかない。目が赤子の目から離れようとしないのだ。「どういうことだ」少し恐ろしくなる。
目が動かないなら意識を外そうとわざと別のことを考えてみた。だが考えても視線から入ってくるのは赤子の黒い目。何と鋭い視線なのだ。どんどんその瞳に引き込まれている気がした。完全に赤子に操られている気がしてならない。
 
  そのとき視界が変わった。突然目の前の風景が違う。食堂車全体が見渡せている。そしてどうやらここは最も入口の席。あれ? ここは赤子の座っていたところなのか? 一瞬何が起きているのかわからない。恐る恐る視線を下に向けると白い服をまとっている。右横には微動だにしない紳士の顔。
「馬鹿な。まさか入れ替わった!」恐怖のあまりに少し避けつつも、気になる斜め前を見る。その姿形、そして服装も含め、自らそっくりなのだ。

「魂が入れ替わった。そんなありえない」信じられないことが起きている。試しに泣こうと口を開けようしてみた。だが口がうまく開かない。声を出そうと喉を鳴らして口から息を出すようにするが、何も聞こえない。それ以上に視線以外、体が全く動かないのだ。両腕は下を向いたまま、力も入らなければ上げることもできない。金縛りにあっているかのよう。

 恐怖以外の何物でもない。あのとき赤子と視線が合い、瞳に吸い込まれた。その時に入れ替わったのだろうか? しばらくすると食堂車のスタッフがそっくりな人物の前に来た。そして台車から食べ物を出す。
「あれは先ほど注文したハンバーグだ」食堂車のテーブルに置かれたハンバーグ。そっくりさんは一緒に用意されたナイフとフォークを取り出し、ハンバーグをカット。そしてそのままフォークに突き刺すと、カットしたハンバーグが取り上げられる。そしてそのまま口元に運び、口を開けてそれを食べた。
 そのあと目をつぶり満足げな表情をしながら口を動かしている。顎のあたりの筋肉が何度も動いていた。それを見ているだけで、そのハンバーグがおいしいものに違いないと想像してしまう。

「それは、お前のではない! 注文したのは私だ!」再度声を出そうとしたが何も聞こえない。もし音を発して聞こえたとしても、恐らくは赤子が鳴いているようにしか聞こえないだろう。
「困った」斜め前で黙々ハンバーグを食べている様子を見て打開策を探る。ここですぐにひらめいた。「目に吸い込まれて入れ替わったんだ。ということは、こっちから相手の視線をつかめば戻れるかも」
 そう考えたので、ハンバーグを半分ほど食べ終えているそっくりさんの目に視線をぶつけた。相手は最初、まったく気づかずにハンバーグを食べる。だが一瞬こっちを見た。すぐに視線をハンバーグに戻す。

「もしや、あいつこうなることを知っていたのか......」とはいえこのままではどうすることもできない。ひたすら視線を送り続けるしかないのだ。
 やがてハンバーグをすべて食べ終わった様子。最後に空になるまで水を飲む。その状況を含めてただひたすら視線を送る。飲み終わったところで満足げな表情が憎たらしい。だがそれ以上のに焦りの感情が全身を覆う。「まずい。このままでは席を立ち、客席に行ってしまえば、二度と戻れない」ここで今までにない強力な視線。実際には相手をにらみつけるように送る。

 さて、その効果があったか否か。相手はこっちを見た。「今だ!」最大限の視線をぶつける。睨みをさらに聞かせ、恫喝するかのように相手に向けて集中。すると相手は気になったのか? 視線を返してきた。
「やったー。あいつの視線を吸い取れ」さらに強く睨み返す。睨むというより相手の意識を奪い取ろうという意識。
 すると相手も視線を放さない。そのまま相手の瞳を睨み続ける。

 気が付くと視界が変わっていた。食堂車の入り口側が視線の先。そこで念のために赤子のいる所には目を向けない。目の前にはハンバーグが乗っていたであろう空の皿。ハンバーグについていたデミグラスソースの茶色だけが残っている。コップの水も空っぽであった。
「とりあえず、再び捕らえられていけない」慌てて席を立ち、食べてはいないがハンバーグ代を黙って支払った。そのまま逃げるように食堂車を後にする。だが食堂車から隣の車両に行く前にどうしても気になり、赤子を見た。

「あ、そういうこと!」このときはじめて気づいた。その赤子と動かない人は食堂車の入り口に掲げてあった油絵である。確かに動くはずがない。恐る恐る赤子を見る。視線が合ったがすぐに反らす。そのまま食堂車を後に、客席に戻る。客席は食堂車に向かう前と何ら変わらない。ときおり揺れる高速列車。違うのは進行方向の自らの席を目指しているくらいか。ようやく席に着いた。

 そのときふと赤子の表情が目に浮かんだ。気のせいかもしれないが、なんとなく赤子が食事をして満足げな表情に感じたこと。
 だがそれ以上の不思議。思わず首を傾げた。なぜならば座って感じたことだが食べた記憶が全く無い。なのにすでに食事を終えて、満腹状態になったことなのだ。


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