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駄菓子屋のワニ

「ん? 初日だからか? ずいぶん気合入れすぎたな」早起きした博は時計を見た。予定時間より30分早い。
「ちょっと、自室に入っている。迎えが来たら呼んでくれ」すでに出発の身支度も、朝食も取り終えている。今日から新しいスタートだから気合が入りすぎているのだろうか?

 博は妻にそう伝えると自室に入った。
「30分じゃ、やれることが限られるな」博は自室のデスクに置いてあるパソコンの電源を入れることを止めておく。
「何か時間がつぶせるもの、読書でもしようか」博は本棚に視線を送る。立派な本棚があるが、日々多忙のためゆったり読書する時間がなかった。
 ということで本を漁っていたが、このとき本棚の横に無造作に置いているあるものに視線が向かう。

「お、ワニのおもちゃ。懐かしい。そうそう小学生のときに手に入れたんだ。近所の駄菓子屋で......」


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「それ何? あなたのじゃないわね!」小学4年生で先月10歳になったばかりの博少年。手に持っていたガムの当たりくじを、駄菓子屋を仕切る老婆に見せる。
 すると老婆はこのように一喝し、そのくじをごみ箱に捨ててしまった。

 まさかのことで驚くが、反論できない博はいったん家に戻る。なぜならば、そのくじは3歳年下の弟の幸彦が購入したガムに入っていたもの。
 自宅にいた祖母より「お兄ちゃんが代わりに貰ってきてあげて」と頼まれて行ったからだ。

「貰えなかった。怒られたし」祖母にその旨を伝えると、祖母は黙って立ち上がり「ありゃ? どうしてかしら」と言って、すぐに駄菓子屋に向かう。
 祖母が事情を説明すると駄菓子屋の老婆は「ああ、そういうことでしたか。普通はみんなその場でくじ見せてくれるからね。それ勝手に拾ってきたのかと」とにこやかな表情。
「ごめんね」と博に一言謝る。そして当たりでもらえるガムを、幸彦の分に加えて特別に博にも手渡した。

 そんな駄菓子屋は、博が中学のころまで家の近くに存在。そして店の中あるものに熱中する。それはおもちゃが当たるというくじが引けるというもの。一回20円で三角くじが引けた。
 くじでは蛇や恐竜、亀や蜘蛛といったフィギアのおもちゃがが当たる。もちろん『はずれ』もあった。そのときは、小指くらいのな小さな怪獣の消しゴムがもらえる。だから良くチャレンジするのだ。

 当時の博少年は1日50円の小遣いをもらっていた。2日毎に100円玉をもらう。そして50円のうちの20円で、毎日このくじに挑戦するのが楽しみ。
 残りの30円はそのまま他のお菓子を買うのに使ったり、貯金したりした。貯金箱にはすでに1000円以上溜まっている。

 博がそうまでして、くじを引いたのには理由があった。駄菓子屋の真ん中の柱や天井からくじのあたりでもらえる景品のおもちゃが掲げられている。
 その中でもひときわ大きく目立ったのがワニのフィギア。『特等』という札がぶら下がっていた。「あれが欲しい。絶対に特等だ」

 おもちゃは毎日のように減っていく。だが博は最高が3等まで。1等や2等は別の子が当たった。そして翌日にはそれらのおもちゃが駄菓子屋から姿を消していく。それでも特等のワニは相変わらず健在。
「このままでは、だれかに取られれるかも」博少年はある日、ついに決意した。

 学校が終わり一目散に家に戻ると、貯金箱からお金を取り出す。そして駄菓子屋に。「今日は貯金したお金を全部持ってきました!」と宣言すると、まずは100円玉を渡した。まとめて5枚くじを引く。
 すでにくじは20枚程度しか残っていない。いわゆる『大人買い』状態で、全てのくじを買い取ったのだ。
 そしてすべてのくじを引いていく。この時点で駄菓子屋にぶら下げられていたおもちゃは次々と博の手に入る。だがワニ、そう特等はどうしても当たらない。

 そして最後の1枚。「これで当たっているはず」と博がひいた。だが『はずれ』特等ではない。
「え......」博は顔色が変わった。初めからくじの中に特等が入ってなかったのだろうか?
「これは一体。特等がない??」博は駄菓子屋の老婆を問いただした。
 老婆は黙って立ち上がると。ぶら下げられていたワニのおもちゃに手をかけて、ひもを外す。
「これは本当は飾るためにあるものなんだけど、今日は全部くじ引いてくれたわね。御礼にあげるわ」と笑顔になって渡してくれた。

 ある意味販促品のようなものだろうか? それにしても『特等』とあるのだから、くじがなければ騙しているのと同じ。詐欺といってもおかしくないような不思議な現象なのだ。
 だが当時の博少年は、そのあたりの事情はよくわからない。それでもワニは手に入れた。そして笑顔で「ありがとう!」と礼を言うと、そのまま大切に持ち抱えて家に帰る。

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「懐かしい。そうだこれを持っていこう。いいだろうこれくらい」博は30センチ以上はある、少し大きなワニのフィギアを手に取ると、本革でできたアンティークなトランクの中に入れた。

「お迎えが来ました」妻の声。博は立ち上がりトランクを右手に持って、玄関に向かう。お迎えの高級車が家の前で待っていた。運転手が丁寧に頭を下げる。

「いよいよ今日からですね。私は今でも夢のようです」
 妻は玄関まで送ってくれた。
「そうだな。取締役になれたのも奇跡だったが、そこから常務になって1年。副社長や専務を飛び越していきなり社長に抜擢されるとは、今考えても気味悪いわ」

 こういって博は後部座席に入った。とある業界の一部上場企業に大卒として入って早45年。今年67歳になる博は、新社長として後部座席に座る。車はゆっくりと会社に向かって走り出す。その道中、置いたトランクを嬉しそうに見つめた。
「社長、随分トランクが気になっている御様子で」
「ああ、今日から社長室だからね。ちょっといいものを調度品に置こうと思ったんだよ」

「それは、宝石か何かですか?」この運転手は博が常務になってから毎日送迎で顔を合わせていた。だから親しさもあって運転中は気軽に声をかけてくる。
「ハハハハ、宝石じゃあないんだ。もっと価値のあるもの。言って見れば爬虫類だな」

「は、爬虫類! それはそれは。さぞかし入手困難で希少価値の高いものなんでしょう。新社長に相応しいものでございますね」
「確かに、これは簡単には手に入らなかったな」と博は笑った。そして頭の中で思う。トランクの中には57年も昔の思い出が詰まったもの。
 駄菓子屋で手に入れたワニのフィギア。この価値は、宝石ごときでは勝ち目がないと。



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シリーズ 日々掌編短編小説 459/1000

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