エメラルドとヒスイとガラスのブッダ
緑の空間が広がっている。濃い色と薄い色が混ざっていた。見たところ360度その空間。横だけでない上も下も同じ世界が広がっているのだ。まるで緑の宇宙のような海のようなところの浮かんでいる。不思議な感覚。そしてわずかに聞こえるのが『エメラルドブッダ』というキーワードだ。そして目覚める。
2017年のGWを迎える半年前くらいだろうか? 村田みどりは2・3日に1度くらいのペースでこの夢を見るようになった。名前が『みどり』ということもあるのだろう。みどり自身、緑色のものが好きである。そして誕生日もみどりの日。ただし5月4日ではなく4月29日である。
その理由は彼女が生まれたときは、4月29日が『みどりの日』だったからだ。
この不思議な夢。最初は『疲れているだけだ』と思って気にしない。だがその日から頻繁にこの夢を見続けるのだ。「エメラルドブッダって何?」
みどりは不安になる。いろんな人に聞いてみた。心療内科にも相談したが『気にしすぎです。疲れているだけでしょう』としか言われない。
だが、あるときヒントになるものを見つけた。それはタイのバンコクの王宮と同じ敷地内にある、ワットプラケオ......。
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そしてこの年のGWに、みどりはタイ・バンコクへの旅に出かけた。女ひとり旅。だがそのことを心配した父は、会社の役員の立場を利用し、現地駐在員をガイドとして娘に同行させる手続きを取った。
「心配いらない」とみどりは断ったが、父は「海外は日本とは違う」の一点張り。仕方なく引き受けた。
そしてついにバンコクにやってきた。スワンナプーム空港で迎えてくれたのは黒田という駐在員男性。とてもイケメン男性とはいえないが、見た目誠実そうな男である。みどりは『信頼できる』と思った。空港からホテルを経由。
荷物を置いて早速向かったのが王宮・ワットプラケオだ。
「うわぁ。怖そうな像!」建物の入り口の象を見で驚くみどり。
「みどりお嬢様、こちらですよ。どうぞ」黒田は営業スマイル。みどりにとって初めてのバンコクは、とにかく暑かった。
知らぬ間に体中から汗がにじみ出る。ついついペットボトルの水を飲んでしまう。そんな不慣れなみどりを、黒田は丁寧にエスコートしてくれる。
エスコートというより重要な顧客の接待を受けているような感覚か。
「あれが」「はい、エメラルド仏と呼ばれている。タイ最高の寺院の本尊です」
みどりは、エメラルド仏を見る。だがしばらくして首を傾げた。「違う、これじゃない」「え?」横で戸惑う黒田。
「あ、あのうお嬢様。エメラルド仏はこれです。ただ『エメラルド』とはついていますが、実際はヒスイでできているようです」「ヒスイ??」
みどりは、一瞬エメラルドとヒスイの違いが解らなくなってしまう。
「材質はともかく、この仏さまは伝来も非常に古くはっきりしていないのです。ただ事前に調べたところ、東インドにあったマガタ国に安置していたものを、ミャンマーのパガン王朝の王が西暦400年代に自国に持ってこようとしたそうです。ところがカンボジアのアンコールのあたりに流れ着いたとか。
それからタイのアユタヤやカムペーンペッ、チェンラーイなどを経てこの地に来たと伝わります。とにかくタイはおろかこのインドシナ半島内でも、非常に重要な存在であることは間違いないのですが......」
黒田は必死に説明する。とにかく目の前のエメラルド仏は、そこらの仏像とは格が違うことを言いたいようだ。だがみどりはそんな肩書や経歴など興味がない。「黒田さん。説明ありがとう。でも私が不思議な夢を見たものはこれではないわ。あのう、他にないかしら」
「ほ、他にですか!」
黒田はその場でしばらく固まった。その間10秒程度。少し長くなったので、みどりは咳ばらいをしようと手を口元に当てる。そのとき黒田の口が開く。「あ、お嬢様。ありました。バンコクにもうひとつエメラルドの場所が」
「本当ですか、そこには」
「今日はもう夕方で遅いので、明日がよろしいでしょう。明日は予定どうだったかなあ」スマホを見ながら黒田は考え込んだ。「あの、場所教えてもらったら私ひとりで行きますよ」
「いや、それは...... 僕が怒られます。わかりました。みどりお嬢様。このあと会社の上役と掛け合って見ます。村田本部長のお嬢様ですから恐らく大丈夫でしょう」黒田はそう言って笑顔になる。
「いいの? それで」「ハイ大丈夫です」
「わかったわ。明日お願いします。でもひとつ気になってるんだけど、『お嬢様』は恥ずかしいからやめて欲しいわ。『みどり』だけにしてもらえないかしら」
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そして翌日、ホテルに迎えに来きた黒田。
「みどりさん。おはようございます」昨日はやや堅苦しい空気があったが、今日は少しこなれてきた雰囲気だ。
「よろしくお願いします」みどりはこの日、薄い緑のワンピースを着てロビーで待っていた。
こうして黒田が運転する車に乗って移動開始。途中でバンコク市内を流れるチャオプラヤー川を渡っていく。「川の向こうに行くのですか?」
「はい、今から行くワット・パークナムは、川の反対トンブリー地区にあります。昔は観光客が生きにくい場所でしたが、2013年にスカイトレインの駅が近くに開通して観光客でも行けるようになりました。でも、まだまだ不便です」
「じゃあ結構マニアックなところかしら」
「そうですね。来年か再来年にはもっと近くに地下鉄の駅ができるので、そうなるともっと行きやすくなるでしょう」
ちなみにその地下鉄の駅は、2年後の2019年に開通した。
「さ、着きました。みどりさん行きましょう」みどりは黒田の後をつける。昨日の王宮のワットプラケオはいかにも観光客の場所という雰囲気だが、こちらは比較的静か。それでも大きな仏像や建物が並んでおり、日本の寺院とは明らかに違う派手さのインパクトは大きい。
「この階段の5Fに、エメラルドのエリアがあります」
みどりは黒田の後を追うように階段を上っていく。そして5Fに到着し部屋を見ると、緑は思わず目を見張った。
「こ、これは......」みどりはしばらく言葉が出ない。
「これはエメラルド色していますが、もちろんエメラルドでもヒスイでもありません。ガラス製の仏舎利です」
みどりは黒田の説明も耳に入らないように、ただ眺めつづける。どのくらいの時間がたったのか? ようやく口を開いた。
「たぶん、こっちが近い。私の見た夢とこの空間の色合いが似ている気がする。黒田さんありがとう」
「いえ、そんな」黒田は戸惑いながらも嬉しそう。
「よかった。半年の悩みが全部解決した。さてこの後どうしようかしら」みどりは解放されたような笑顔。
「あのう」黒田の目が泳いでいるように見える。
「はい」「今日は僕、実は有休をとりました。だから一日空いているので、もしみどりさんが嫌でなければ。夕食までバンコクをご案内しましょうか?」
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「今考えたらあのみどりの夢が、出会いのきっかけだったのね」みどりはそういいながら、緑色したふたつの指輪を眺めた。
ひとつはヒスイの指輪。安物だが、あの後黒田が『お土産に』と買ってくれたもの。何を隠そうあの後でふたりが急接近して、遠距離で付き合うようになる。そしてちょうど2年前、2019年5月4日に結婚した。
黒田は現地駐在者の中でも優秀で、管理職も近いという。だから父は反対せず、むしろ喜んでくれた。だから結婚を機に、みどりもバンコクに住むようになる。もちろんタイでは日本の祝日『みどりの日』は無意味。だが結婚記念日にしたことで自然と意識できる。
そしてもうひとつが、エメラルドの指輪。1年前の結婚記念日でもらったものだ。「私が緑色が好きだからって、どんどん緑のものが増えてくるわ」
緑は嬉しそうにふたつの指輪をはめる。
「今日は2回目の結婚記念日ね。あ、そろそろ帰ってくるわ」
あのときと同じ薄い緑色のワンピース姿のみどりは、夫が帰ってくるのを待ちわびる。
するとドアが開く。すぐに「ただいま」の声が聞こえた。
参考
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