十五夜の動物園 第607話・9.21
「今度近くの動物園で面白いイベントがあるのよ」桜奈が同棲中で、リモートワークをしている蓮太に声をかける。「面白いイベント? 動物園で、何だそれは」蓮太は作業の手を止めて桜奈の方を向く。
「1日限定で夜に動物園がオープンするの」「ほう、ナイトZOOか。うーんそれはいい。懐かしいなあ」蓮太は視線を遠くに向けながら、過去のことを思い出す。
「え、なに? 私、知らないわよ」「ああ、ごめん。君と出会う前にシンガポールに旅行したことがあって、そのときにナイトZOOを見たんだ。あれは今でも忘れられない。良かった。だって昼間は大人しい動物が、夜になるとすごく元気がいいんだ。夜行性が多いのかな。すごい声で叫ぶように鳴いている鳥とかがいたな」
「シンガポール......」蓮太が嬉しそうに話をしている横で、桜奈の表情が少しずつ暗くなる。「おい、どうしたんだ。そんな暗い顔して」「だ、だって。それ、私の前の女のひとと行ったの?」
複雑な表情の桜奈を見て、大声で笑う蓮太。「ハハハハハ、何勘違いしているんだ。違うよ。俺が中学のときに両親といった海外旅行の話だ」
ーーーーーーー
数日後、夜に動物園が特別にオープンするイベントの当日。ふたりは仲良く動物園の前に来た。夜はすっかり暗くなっている。しかし1日だけのイベントということがあり、人出は多い。
「あ、やっぱり今日は多いわね」「まあな。普段営業時間外の動物園が開くんだ。それは皆行くだろう」
「それに今日は天気が本当に良くてよかった」桜奈は空を見上げた。この日は満月十五夜の月だ。何を隠そうこの日のイベントは十五夜に動物園の動物を見ようという趣旨の企画。
この日、蓮太がシンガポールで見たというナイトZOOを意識しているのか、園内の照明は極力抑えられている。そのため檻の動物もはっきりとは見えない。だから入場の際には懐中電灯を持ってくるような指示があった。ただし、懐中電灯の光を動物に向けるなとの注意がある。
この日は十五夜。満月から放たれる月光はそこそこ明るい。照明が無くても人の影は十分に分かる。みんな懐中電灯を照らしながら動物園の園内の道を歩いていた。桜奈と蓮太も各々小さな懐中電灯を持参。園内にある檻の中に入っている動物たちをひとつずつ眺める。
「やっぱり夜行性の動物は元気が良さそうだ」蓮太は嬉しそう。桜奈は蓮太と手をつないだ。昼間はのんびりと檻の中で、昼寝などをしている動物たちの動きがこのときは機敏。特にネコ科の猛獣たち。彼らは昼間と違い、立ち上がってうろつくように歩いている。そして獲物がいないか狙っているかのように視線が鋭い。
見学者たちは普段見ない猛獣たちのある意味本当の姿を興味深くみていた。猛獣のコーナーは夜も大人気で黒山の人だかり。
「ここは人が多いな。どうせ見えないから空いているところに行こう」と蓮太。桜奈は黙ってついていく。こうしてふたりが来たのは小動物のコーナー。ここは確かに人の数は少ない。
「よし、ゆっくり見ていこう」蓮太が一つの折に近づくと「き、きゃー」突然大声を上げた桜奈。
「どうした!」蓮太が振り返ると、桜奈はいきなり蓮太の体に抱き着いてきた。「ちょっと、あれ怖い!」顔をうずめるように怖がっている桜奈に対して「おお、これだ!」と、なぜか蓮太は嬉しそう。
見ると大きなコウモリが、木をよじ登っている。視線はやはり鋭い。羽根をつけたままだが、ゆっくりと上って行くさまは猿のよう。確かに不気味だ。
「ちょ、ちょっとこれ!」「おお、いいよ! これだシンガポールで見たのと同じだ」コウモリの威圧的な動きを見て嬉しそうな蓮太。対照的に桜奈はコウモリを見ないように背中で隠れている。
「ねえ、もう、行こうよ。ここ苦手!」
桜奈が怖がるので、渋々その場を離れた蓮太。「じゃあ、お前の好きなところに行こうか」「やったぁ!」途端にうれしそうに声を出す桜奈。「実はどうしても行きたかったところが、あったの。ほらあそこ」足取りも軽く、蓮太を引っ張っていく。
「ほら、皆来ている!」「うん? ずいぶん人が多いな。何がいるんだ?」
桜奈は蓮太の手を放し、ひとりで駈け寄った。そこには子供の姿も多く、みんな嬉しそう。歓声を上げていた。だが蓮太はあまり乗り気ではないのか、ゆっくりと歩いていた。
「ほら、早く、ねえ、これよ」先ほどとは別人のように嬉しそうに大声を出す桜奈。「なんだ一体」蓮太はようやく歩く速度を上げた。
「ねえ、ほら、かわいいわ」蓮太が見ると、普段は使われていなかったはずの大きな檻の中に、多くのウサギがいた。「ほう、ウサギか」
「ほらあれ!」桜奈は手を伸ばして指をさす。「ほう、なるほど。そういうことか」蓮太は指の先に大きな満月が見えるのを確認した。
「月とウサギは、セットだもんな。しかし月の影を見て餅をついているとか。すごい想像力だ」
蓮太はようやく口元が緩む。そして桜奈は歓声を上げている子供たち同様に、純粋無垢に檻の中を動き回っているウサギたちを、楽しそうに見つめるのだった。
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