広南従四位白象
「昨日4月27日は世界バクの日。おかげでバクを見に多くの客が来てくれた。さて今日4月28日は象の日である。多くのお客さんが象を見られると思う。抜かりはないな」
動物園の園長は開園前の朝礼で、飼育員たちに檄を飛ばす。
「はい、問題ありません」飼育員のリーダーが代表をして返事をした。そして開園の最終準備のために朝礼は解散。それぞれの持ち場に向かう。
「おい新田」リーダーに呼び止められたのは、新人飼育員の新田である。
「今日は象の日。お前、象担当だな」「はい!」
「よし、先輩の横山と一緒に頑張れよ。今日は我が園でも古株の象『エツ』の晴れ舞台だ」
新田は、エツが飼育されている場所に来た。ちょうど就寝用の建物から巨大な体をゆっくりと動かして外に出てくる。
それをサポートしているのは、新田よりも早く来て、エツの世話をしている先輩の横山。新田を見ると声をかける。
「よし、新田、俺は開園まで10分間休憩する。まあ何もないと思うが、エツを頼むぞ」
そういって横山は、休憩室に向かった。
ひとり残された新田。とりあえずエツが不愉快な思いをさせてはいけないと思い、周りに糞が落ちていないかなど、汚れているものがないかチェックする。「先輩がいたから大丈夫かな」このとき新田はふとエツと目があった。
エツの鋭い視線が新田を捉えると、新田の体が動かない。「あ、あれ? 体が」
「おい、新人」新田の耳元に呼びかける声がする。その方角を見るとエツがしゃべっているではないか!
「え、エツがしゃべっている......」新田は頭の中が混乱した。
「新人、まだ不慣れなようだな!」新田は何かを発しようにも、象が言葉を発しているという事実。恐怖のあまり声が出ない。
エツはややエコーがかった野太い声で話をつづけた。
「まあ、突然俺が話をしたのだから驚くだろう。実はな俺には横山や園長らも知らないある秘密がある。せっかくなので、お前にだけ教えてやろう」
「エツの秘密......」新田は体を震わせながらもうなづいた。
「おれは、日本にいたある象の生まれ変わりだ。それは江戸時代に初めて日本に来た象『広南従四位白象』である」
新田はエツの言っていることが何のことだかわからない。ただ目の前の風景が動物園の飼育場ではなくどこかの時代劇のセット、屋敷の中のようなところに変わったことだけは理解した。
ーーーーーー
「上様、どうやら長崎に例のものが到着した見込みでございます」
「そうか、ついに来たのだな」ときは江戸の享保年間。8代将軍の徳川吉宗は今の報告を聞き満足げな笑みを浮かべた。
吉宗はキリスト教以外の西洋の書物の輸入制限を緩和している。西洋の科学技術などが産業開発に役立つとの判断。これはいわゆる『蘭学』の始まりである。
それらの書物から海外の動植物に興味を持った吉宗は、ある存在に着目した。それが象。さっそく象の購入を指示した。
ここで場面が港に変わる。そしてエツが語りだした。
「当時のベトナムは複数の国に分かれていたんだ。象は戦争の道具としても重宝しているため、それぞれの国家が象を管理していた。俺の名前にその中のひとつの国『広南』という名前がついているが、そこで生まれたのではない。当時の俺が生まれ育ったのは西にあるシャム。つまり今のタイである」
「た・タイ!」
新田はこれには理解した。実は学生時代にタイに行ったことがある。そして観光用の象に乗った経験があった。石のように固い皮をまとった象のボディとそこから見上げる優越感ある風景。象の飼育担当を希望した理由は、その経験がスタート地点だ。
「一旦広南に連れてこられてから、中国・清の貿易商・鄭大成(テイタイセイ)の手によって日本に行くことになった」エツは前世の記憶? を思い出しつつ、ゆっくりと語る。
「つまり、その商人の手で一頭の象が日本に」
「いや実は一頭ではなく、俺の他にメスも一緒だった。おそらく日本で子供を作らせようとしたのだろう。当時俺たちはまだ子供だったから、お互いそこまでの関係ではなかった。
だが唯一コンタクトが取れる相手だったので不安の中、お互い励まし合う。何しろ狭い箱の中に閉じ込められて、左右斜めに揺れるような中での長旅だったからな」
この後エツは船に入れられて、日本で向かった時が一番つらいと付け加える。
「それで長崎に来たのか・じゃあ日本でそのメスとは夫婦に?」ようやく状況に慣れてきたのか、新田は積極的に質問する。だがエツは長い鼻をブランコの様に左右に振る。
「あいつは俺より2歳年下の5歳だったな。どうにか長崎という町に到着した。だがメスは間もなく死んだ」「......」
「まあ環境になれなかったのと、合わないエサだったのだろう。あいつ甘すぎる菓子を与えられて、舌に腫物ができていたからな」
「江戸時代だもんな。象に適した餌なんて」
「ああ、初めて見るわけだから仕方がない」といいつつも辛い思い出だったようだ。新田はエツが下を向いて辛そうに見えた。
「最後は、か細い声で鳴いていたな。本当に哀れであったが、そのときの俺は、どうしてよいのかわからなかった」
今度はエツの目に涙のようなものが浮かんでいるように見える。気のせいかもしれないが、新田にはそう見えた。
慌てて新田は話題を変える。「あ、悪いこと聞いたかな。で長崎からは」
「ああ、俺はそのまま長崎で初めて日本の冬を体験した。シャムや広南は年中暑いのに対して本当に寒い。
それでも西暦でいう1729年になって温かくなると、いよいよ東に向かって歩き始めた。俺を運ぶの物などもなかったようだからずっと歩かされたぜ。
ただ長崎の責任者(奉行)は気を使ってくれた。見物人が大声を出したり、寺の鐘を鳴らして俺が驚くのを止めさせるようにしたらしい」
「少しは賢くなったんだね」
「ふん、すでに一頭死んだからな。やつらは焦ったのだろう」
ここでエツはゆっくりと三歩ほどあるく。そして新田のすぐ目の前に近づいた。
「今日が象の日というのは、京都で表向きの日本のトップ『天皇』に、俺が会った日だからだそうだ」「天皇? 将軍とは」
エツは長い鼻を上に大きく上げるとそのまま下げる。
「まあ、まて。順番に話をしよう。たしか3月13日に長崎を出発して京都に到着したのが4月26日。その2日後に中御門天皇とその祖父の霊元法皇と会った。天皇も周りの公卿たちも俺様を見て本当に驚いておったわ」エツはここで大きく鳴き声を出す。
「ただ、天皇に会うためには官位が必要ということで『広南従四位白象』という名前を付けたらしい。くだらん奴らだと思ったよ」
「ハハッハ! 確かにくだらないね」新田は思わず笑った。
「それから、いよいよ江戸に向かう5月5日に名古屋。途中いくつもある川を越えるときには、船を使って即興の橋を作るなどみんな大変そうだった。
そうそう途中の箱根というところでは本当に苦しい思いをしたな。でもみんな気を使って何度も休憩しながら、薬などをくれた。どうにか超えられたな。それで5月25日に江戸に到着してようやく購入者である、将軍吉宗に会えた」
「ようやく会えたんだ。でその後は」エツはそこで辛そうな表情になる。
「最初は物珍しさでみんな嬉しそうだったが、飼育費が高いという理由で1年後には売りに出されてしまった」
「ひどい、確かにわかるけど。僕たちはそんな」
「言われなくても解っている。今とは時代が違う。えっと令和だっけ、ずいぶん快適に過ごさせてもらってるよ」
エツが笑顔になった気がする。
「結局10年も買い手がつかなくて、俺も荒れた。ついにそばにいた象使いを殺っちまったよ」
「......」新田は、当時の象使いに限りなく近い立場。今のエツの言葉で顔色が変わった。
「おい、心配するな。今の俺はそんなこと絶対にしない。最終的に源助という男に引き取られて象小屋を建ててもらった。しばらくは俺を見に多くの人が来て、源助も儲けたようだが、それから2年ほど、21歳で死んだ」
「それは若い。確かアジア象は、60歳くらいまで生きられたはず」
「そう、今の俺はもう42歳。すでにあの頃の倍を生きているが、まだまだ元気だ」と言い終えると、元気さをアピールするかのように大声で鳴いた。
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「おい、エツが大声で泣いているが、新田どうした!」
新田が気が付くと元の飼育場に画面が変わっていた。体も自由に動く。そこへ横山が走って戻ってくる。「え、あ、いえ何もありません」
「本当か! エツはめったにあんな大声を出さない。本当に何もないんだな」
「はい、何もありません」「わかった。さあいよいよ開園だ」
横山は慌ただしく、エツのほうに向かった。
新田は少し離れたところにいるエツの目を見る。エツは新田のほうに視線を送りかえした。先ほどとは違い優しそうな瞳。
ただ『今のはお前とだけの秘密だ』とコンタクトを投げてきたように感じるのだった。
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