昭和からの贈り物
「ほう、もう使っているのか?」今日は昭和の日。太田健太はデートの待ち合わせのために、あるカフェに入ってメニューを眺めていた。ところが途中から視線がその先。気になるものを見つけている。
「ごめん、太田君待った」ほどなくして恋人の木島優花が近づいてきた。だが健太は、モスグリーンのワンピース姿の優花を見ず、ある一点に視線を向けたまま。
「何見てるの、ちょっと!」優花は不機嫌そうに大声を出すと、ようやく健太は我に返る。「あ、あれ? 優花、いつのまに」「じゃないわ。さっきから何見てるの?」
「ああ、あれ。あの子どう見ても小学生だよな」「うん」優花は健太の言っているほうを見る。「そ、そう多分ね。でもそれがどうしたの?」
「うん、いや手に持っているものがね」
「手に持っている? シャープペンのこと? あの子勉強しているのかしら、何か真剣に字を書いてるわね」ふたりが向けた視線の先では小学生がシャープペンで何かを書いている。その前には、その子の母親らしき人がいて、スマホをチェックしていた。
「ああ、だけどそれよりもだ。俺は小学生のときにシャープペンなんて持ってたかなぁと思って」「どういうこと」
「え、だって小学生のときはずっと鉛筆だった」
「え、ああ。そういえば、そうね」「だろう」
「それはいいけど、とりあえず注文しない」優花は話を途中で中断。メニューを見る。
「ここはコーヒーにこだわっている店ね」優花は、世界各地のコーヒーの豆の種類が書かれているメニューを見てつぶやいた。
「ああ、こだわり方がな」健太は店内を見渡す。少し薄暗い店内。木目を基調としたレイアウト。席も濃いブラウン色の木を使ったテーブルとイスだ。雰囲気からして歴史を感じる。
とはいえ昭和の喫茶店のような雑然差もなく、店内は完全禁煙でクリーンだ。それでもいつもふたりが使うような開放的で、日差しが入り込むようなカフェとは明らかに違う。
さらによく見ればコーヒーの豆袋をおしゃれにアレンジして、店内のインテリアに使っている。そして大きく書かれた『自家焙煎』の文字。
カウンターのほうに視線を送れば、確かにこだわっていると、素人が見てもわかるような機器類が置いていた。
それにしても健太は、どうしてここにしたのかわからない。ただ近所で行ったことがないのと、評価が高いという2点で選んだだけなのだ。
「よし、せっかくだから普段飲まないけど、このマンデリンにしようかな。インドネシアのスマトラ島で取れるコーヒーだって」
「へえ、チャレンジャーね。私は普通のエスプレッソでいいわ。コーヒーのことあんまりよくわからないし」
それを聞いて健太は店員を呼び、それぞれのドリンクを注文した。
「優花よ、俺はシャープペンを初めて手にしたときの感動。それは凄かったよ」先ほどの続きを語る健太。「そんなに感動したの?」少し呆れたのか、冷めた表情の優花。だが健太はそれに気づくことなく大きく頷いた。
「だってさ、それまでの苦労が一気に吹っ飛んだんだぜ」
「どんなの?」
「削る必要がなくなったことだ。もう鉛筆のときはいくら尖らせても、ちょっと使い続けると、先がどんどん丸くなり線が太くなる。そしたらノートの文字が荒くなり、ひどいときには手の平の小指側の横の部分が、鉛筆の書いた面に擦れてしまう。夏場は特に汗が紛れて滲むことすらあった」
健太は記憶が一気に蘇ったのか、流れるように語り続ける。本来滲むことは、線の太さとは直接関係ない。だが健太は鉛筆の先が丸くなったときに線が太くなると、その分芯の粉が多い目にノートに張り付くから余計に滲みやすかったんだと、熱く語った。
「そ、そう、確かにね」
「だろう。だからすぐに削らなくてはならない。鉛筆削りを使えば簡単に削れるといっても」「といっても?」優花は健太の饒舌な語りの前に、知らぬ間に引き込まれている。
「稀に内部で芯が折れてしまうんだ。そしたらもう一度最初からやらなくてはならないし、かつその削り器の中に折れた鉛筆の芯が詰まってると、取るのに一苦労だ」
「太田君、それ削るときのやり方に問題あるんじゃない。私が鉛筆削ったときに、そんなのあんまりなかったけどね」
ちょうど店員がふたりのドリンクを運んできた。優花はエスプレッソで、健太は普段飲まないストレートコーヒーのマンデリン。
健太はさっそく香りを嗅ぐ。「あ、違う。いつも飲むのと」とコーヒーから鼻に通じて感じる上品な香りに感動する。
「うん、ほろ苦さがあるけど俺好きかも」さっそくコーヒーを口に含んだ健太は満足げ。優花はこだわりの店で、無難なものを選んだと内心残念がる。
「あ、さっきの話の続き。俺が中学入学後、初めてシャープペンシルを手にしたとき。感動したねえ。ペンのお尻を押すと出てくる芯。いくら書いても0.5ミリと一定だ。途中で線や文字が大きくなることがない」
「そうね。でも私は、ボールペンのほうが好きかな。シャープペンシルは芯が折れちゃうときが嫌なの」直後に優花はエスプレッソに口をつける。
「ボールペンって、それ一度書くと消せないじゃないか?」
「間違えたら修正液とか修正シールがあるし。それに今は、こうやって指で特定の文字を選ぶだけで、好きなように文字が入力できる。結局これが一番楽かしらね」
優花はスマホを取り出してチェックする。
「まあな」健太もスマホを取り出した。しばらくふたりの指だけが、軽快に動きつづける沈黙の時間が続く。
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「あ!」優花は突然何かを思い出すと、バックから何かを取り出した。
「これ、太田君。シャープペン。レトロでしょう」
優花が取り出したのは濃いブルー色のボディをしたシャープペン。先の部分やポケットに引っ掛けるところなどはシルバーであった。決して高級そうではないが、年代物だということは一目でわかる。
「ずいぶんレトロなシャープペンだな。え? ひょっとして昭和のころの」
優花は小さく頷くと「だって、これ成人式のときにママからもらった記念のものだから」
「そうか。それは大切にしないとな」
「でもね。実はママもそのママ。つまり、おばあちゃんからもらったんだって。そう考えたらこれすごくない」
「おばあちゃん。ああ、吉祥寺の」健太は、昨年吉祥寺で偶然に出会った優花の祖母を思い出す。
「そうママの話では、元々おばあちゃんが自分で買ったものらしいの。それをママに引き継ぎ。それから私に引き継がれたの」
「すごいな。シャープペンで親子三世代に引き継がれる。それはお宝だな。だったら」「そうね。もし将来私に娘が生まれたら......」優花は意味深な笑い。視線を一瞬健太に向けた後、大切に両手で持っているシャープペンを眺めた。
「それ、今は使ってないのか?」
「うん。貰ってから一度も。そもそも記念品だし、使えるかどうかもわからないしね」健太はコーヒーを口に含む。カップのコーヒーをすべてを飲み終えると、今度はコップの水を手前に置いた。
「じゃあ、今使って見たら」「え? 使うって。今ノートなんて持ってないわよ」
「ほら紙ならあるよ」健太は自分のかばんに入っていたノートの無地のところを開くと、テーブルの上に出してくる。
「あ、じゃあやってみる」優花はシャープペンを利き手で持つと、芯が入っているか確認。そこでシャープペンを振ると中に芯が入っていることが分かった。
そしてペンのお尻を繰り返し親指で押していく。最初は押したときに『カチリ』と衝撃のような小さな音が鳴るだけで、何も反応がない。だが繰り返すと、やがて音と共に先端から黒い芯が、わずかばかりに顔をのぞかせた。
「大丈夫かしら? これで壊れたらショック」優花は恐る恐る紙にシャープペンの先を近づける。芯の先と紙が接触。そして利き手で持ったペンを動かした。するとペン先の芯から黒い帯が出てくる。それが優花の指示通りに動かしていく。やがてノートの上には、ひとつの文字として浮かび上がったのだ。
「うわぁ。太田君ちゃんと書けるよ。30年以上前の昭和のシャープペンが」「そりゃそうだ。書けないとシャープペンの意味ないじゃん。あ、何? ハハッハハハハ、俺の名前書いているんだ」健太は笑った。
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「ねえ、太田君今からどうする」会計を済ませ店を出たふたり。「どうしようかな。そうだ。優花、コーヒー豆買いに行こう」
「え?」「俺、さっきの店でコーヒーに目覚めたみたい。自分でこだわりの豆を砕いてハンドドリップで入れたくなったんだ」
「いいわ。それじゃあ専門店に行って、コーヒーミルとかも買いに行こ。それで太田君のハンドドリップコーヒー。私にも飲ませてね」
こうして笑顔で答えながらモスグリーンのワンピースを健太に近づける優花であった。
こちらの企画に参加してみました。
「画像で創作(4月分)」に、五輪さんが参加してくださいました
これまでとは趣向の違う参加方法。これには驚かされました。さて多くの人が気軽に電子書籍を出せる時代。敷居が低くなる分ライバルも激しくなりますが、売れるなど次のステップへのチャンスでもあるのだと思いました。
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シリーズ 日々掌編短編小説 464/1000
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