新しいふとんと大きな犬

「エドワード、家までもうすぐだから頑張って」
「でもさ、ジェーン。これネットで買えばよかったな。見た目よりこれホント重いよ」
 エドワードこと江藤は、新しい布団を両手で抱えて辛そうにしている。見た目は柔らかくて軽い布団。まくらなどがセットになっていてひとつのパッケージになっていた。ただでさえ大きいのに、それなりの重さで江藤の両手は限界に近づいている。ふたりは車を持っていないから、あろうことか歩いて持ち帰ってしまったのだ。
「いいのよ、今日2月10日は布団の日。だから布団を新しくするのに、Good timing!」

「でもさ、布団だけならふたりでいっしょに運べるのに、何で緑のペンキまで買うんだ?」
「DIYよ。あの棚の色が好きじゃないから」
「それに何で、その使い終えかけているペンキまで持参するの!」江藤は顔を赤くして不満をぶつける。
「色の確認よ。緑って言っても微妙に違うの。昔それで失敗して変になっちゃったから間違いないように持ってきたのね」
「それなら帰りに捨てろよ! 用が済んだら持ち帰るな」江藤はついに大声を出す。
「エドワード! まだ少し残ってるわ。もったいないからダメ」ジェーンも向きになって大声を出した。

「だけどもう両手・両腕が限界なんだって」江藤は首を横に振って不満をもらす。「もうちょっと、あの角を曲がったらすぐよ。無事についたら今日からふかふかの布団で寝られるの」辛そうな江藤と嬉しそうなジェーンは対照的だ。

「キャー!」角を曲がろうとした突然ジェーンが大声を出す。「おい、大丈夫か」「び、びっくりした」ジェーンは持っていた古いほうのペンキを落とす。江藤が慌て駆け寄ってみると、そこには還暦近くの帽子をかぶった男がいる。さらに彼は1メートル近くはあろうかという、茶色の大型犬と散歩をしていたのだ。
 その犬の体の艶は光り輝いていて美しいが、とにかく眼光が鋭い。ジェーンは、犬と視線が合ってしまい、驚きのあまり声を出してしまう。

「飼い主の男はジェーンと江藤を一瞥したが、黙って犬を引っ張りながら立ち去った。
「もう、油断しちゃったわ。もし戦闘モード全開なら」立ち去ったのを見届けてからなぜかファイティングポーズをとるジェーン。
「馬鹿なことを言うな! あんな大型犬と戦ったらとんでもない目に遭うぞ」「え! まさかあの人ヤクザ?」
「どうだろう。でもこの近くにそんな事務所なんてあったか?」
「あれ、何かしら」ジェーンは目の前に落ちていた紙を拾った「うん?写真かしら?」
「ジェーン。何見てるんだ。早くこの布団を。家はそこだから」「あ、うん」

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「アミ、さっきは怖かったか。外人のカップルが急に来たからな。もう心配ないよ。もう家に着いたからゆっくりしろ」ジェーンと江藤に遭遇した男は、そこからすぐ近く。庭付きの一軒家に住んでいた。
 そして庭にいるアミと名付けられた大型犬の頭をゆっくりなでる。アミは心地よさそうに目をつぶった。

「しかしアミよ。お前が来てからもう10年か。布団も随分ボロボロになったなあ。まあお前に言ってもしょうがないけど」アミは庭に置いている汚れで所々に穴の開いた布団の上でゆったりと横たわっていた。

 男はアミをながめながら、ポケットからいつも持ち歩いている一枚の写真を探した。ところが見つからない。「あ、亜美の写真が、え、ウソ!あれだけは」男は慌てて立ち上がり、服やズボンのポケットを片っ端から探し出す。男の顔色が変わっている「ま、まさかさっきの外人と!」

 ここでドアのブザーが鳴る。「誰だ、こんな大事なときに」
 男がインターホン越しに見ると、そこには金髪の女性、ジェーンが映っていた」

「すみません」「あ、さっきの が、外人? は、ハロー な何の用 ハロー 」これまで外国人との接点がないためか、男は少し恐れながら弱弱しい声になる。

「あのう、この写真はあなたのものですか」とジェーンはインターホン越しから一枚の写真を見せる

「あ、あああ、そ・それ! イェス。マイ写真!」ジェーンは不可思議な英語交じりの男のしゃべり方に笑いをこらえるのに必死。
「OK! お渡ししますので開けてください」と数秒の間をおいて言った。

 男は恐る恐るドアを開けると「心配いりません。私は日本語普通にわかります」とジェーンは笑顔で答えると、先ほどの写真を男に渡す。
「おお、亜美の写真!」男は受け取ると写真を見ながら微笑んだ。
「さっきぶつかりかけたときに、落とされたのかと思ってきました。本当だったようで良かったです」ジェーンは笑顔になる。

「でも、な、何でここがわかったんですか?」男は驚きのあまり声が裏返る。「あ、そのペンキが多分ワンちゃんの足にぶつかったようで、緑の足跡が」
 男が見ると確かに遠くから緑色した足跡が男の家まで続いていた。
「ああ、アミの足跡だ」男は目を見開く。
 そして「あのう外人さん。亜美の写真を見つけてくださった御礼と言っちゃなんですが、お茶でもどうですか? 庭にアミがいるので」
 ジェーンは「いいんですか。じゃあ」と言って何の抵抗もなく男の家に入った。玄関からすぐ庭に通じる通路がある。そこに先ほどの大型犬のアミが先ほどとは違い、優しそうな瞳で見つめていた」

「さっきは、失礼しました。急だったので」ここは庭とアミが見渡せる縁側。男は緑茶をジェーンの前に出す。
「ありがとうございます」と言って、ジェーンは緑茶に口をつけた。
「あ、アミは大型犬なので、最初見たときはみんなびっくりするのですが、本当は心の優しい子なんです」

「では写真の女の子は」「あ、亜美。そうこの子と同じ名前です」男は亜美と若いときの自身の写真をしばらく見つめる。
「そうだ外人さん。宝物にしているこの写真を拾ってくれた恩というわけじゃないですが、よろしければこの子にまつわる話を聞いてほしいですが」
「はいそれはぜひ。ただ外人はやめてほしいです。私の名前はジェーンなので」ジェーンはちょっと不機嫌な表情を見せた。

「あ、失礼! ジェーンさん。私は山口です。40歳を前に10歳年下の妻と知り合って結婚しました。そして娘の亜美が生まれたのが42歳だったかな。もう18年前になります」
「この写真は?」「亜美が5歳のときですね。このときからあと3年は生きてくれました」

「え!生きてくれたって、娘さんは」
「はい、亜美は、生まれながら病弱で心臓が良くなかったのです。病院に通いながら妻と必死に育てました。おかげで3歳を過ぎたころには心臓も丈夫になり、病院に行くこともなくなったのです。だけどこの子が8歳になったある日の朝。起きてこないので様子を見たら、そのまま急性心不全で」

 山口はここまで言うと目から涙があふれ出す。ジェーンはどういう言葉を掛けたらよいのかわからない。
 数秒後、ハンカチで目を当て鼻を大きくすすった山口は再び語った。
「亜美の葬儀が終わって、遺骨となった娘と帰る途中。近くで子犬の鳴き声がしたんです。それがこの子。生まれて間の無い捨て犬だったようですが、妻と同時に「アミ!」と言って迎え入れたんです。後日、獣医さんから聞いたら女の子ときいて、やっぱり娘が戻ってきたんだと、妻とふたりで大喜びしました」

「オー素晴らしいエピソード。あの子は大切な娘さん!」「あれから10年。私ももう還暦ですが、今でのあの子を見ると亜美の生まれ変わりのような気がしてなりません」山口はここで視線をアミのほうに向ける。当のアミは気づいていないのか、じっと寝そべったまま。

「あれを見てください。アミの下に敷いてあるもの」ジェーンが眺めると、古びた布団が見えた。
「アミはもう、10歳。あの布団は人間の亜美が死ぬ1週間前に、彼女のために買ったものなのです。あれだけ新しい布団が来て喜んでいたのに。その布団の中で... ...」 
 再び涙があふれる山口。ジェーンは慌てながら「あ、あのう。山口さん。多分アミちゃんって結構な年齢ですね。大型犬だから人間だと還暦を越えていると思います!」

「そうか、アミは親よりももう年を取ったのか」山口は涙をこらえて、笑顔でアミを見つめた。「ところで山口さん。お、奥様は」「ん?ジェーンさん。本当に日本語がお得意ですね」
「私はイギリス人ですが、親の仕事で子供のときから日本にいたので英語の次に、I am good at Japanese.」

「ほう、やっぱり英語のイントネーションはすごい。 実は妻は今買い物に行っております。デパートに行ったからあと1時間くらいは戻ってこないでしょう」


 ここでジェーンのスマホに音が鳴る。「あ、エドワードからだ。もう大事なときに」ジェーンはメッセージを見る。その際に何かひらめいた。

「あ、ちょっと待ってください。今からアミちゃんにプレゼント持ってきます」「え、アミにプレゼント?」驚く山口。しかしジェーンはスマホを操作しながらそのまま立ち上がる。
 そして入力を終えると「Please wait 10 minutes!」といって山口の家を出た。

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そして10分後にジェーンは江藤を伴って戻ってくる。
「あ、こちらはパートナーのエドワードです」「エドワード!」「いえ、それは愛称、名前は江藤です」と訂正する江藤。両手にはピンク色をした大きなものを抱えている。

「さっき私たちは新しい布団を買ってきました。それでこれは古い布団です。もし邪魔でなければアミちゃんのと思って」

「なに、アミのために。この布団まだ綺麗では... ...」山口は突然のことで言葉を失う。

「いえ、新しい布団がもうあるので。どうせ粗大ごみに出さないといけない代物です」
「エドワード! ゴミって」
「あ、あ。いやそういう意味ではなくプレゼント!」必死にごまかす江藤。   
 しかし山口はにこやかな表情になった。
「ああ、わかってます。うん、亜美の布団はもうボロボロだ。よしアミも新しい布団にしてあげたほうが、この寒い冬も耐えられるな。ぜひありがたく」

 こういって山口は、江藤から布団を受け取った。山口はそのまま外にいるアミの前に開けると、アミは大きく吠えながらその布団のほうに歩いて行く。そして寝そべって心地よさそうな表情をした。
「アミが気に入ってくれたようだ。ありがたく頂きます。本当にありがとう」山口はふたりに頭を下げる。

それを見たジェーンと江藤のふたりは、お互い見つめながら照れ笑いを浮かべるのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 386

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