ナミブの鷲獅子 第581話・8.26
「まさか我が生涯で、アフリカの地に足を運ぶとは思わなかったな」
プロカメラマンの田吉は、アフリカ大陸に来ていた。ここは世界最古とされるナミブ砂漠。真ん中だけ舗装された道路で、両端が砂漠地帯を車で走っている。また遠くには、ときおり砂の山(砂丘)が見えるが、それがオレンジ色に染まっていた。
感動の連続で息する暇もないほどの田吉が、こんなところに来たのは、ちょうど半月ほど前の仕事依頼がきっかけだ。
「これを撮るためにアフリカですか?」「そうです」主に鳥や動物の撮影を専門とする田吉に、この日あるエージェントから話が来た。エージェントは一枚の絵を田吉に見せて説明する。
「これは鷹ですか?」田吉の答えにエージェントはあっさり「違います」と答えた。
「あ、僕の言い方が悪かったですね。鷹や鷲が含まれた、いわゆる猛禽類」「いえ鳥のようですがが、少し違います。もういちどこの絵をよく見てください。特に後ろ足」
「あ、はい」エージェントに言われ、絵を再度凝視する田吉、そして後ろ足と言うキーワードを意識すると思わず顔をしかめる。
「これは、あ、想像上の生き物ですかね。なぜ後ろに猛獣の足としっぽが付いているのですか?」田吉の語気が強くなる。想像上の動物を撮れとは、まるでエージェントに馬鹿にされた気がした。
「田吉さん、まあ現実的ではないと、お怒りなのはわかります。まずは私からのお話を」エージェントが田吉をなだめる。
「この絵は鷲獅子です」「しゅうしし?」「はい、いわゆる伝説上の生き物グリフィンの絵です」
「それが私と何のかかわりが? 私はカメラマンですよ」再び田吉が怒りの顔になる。
「まあ、驚かないでください。実は本来想像上の生き物と言われていたグリフィンが、実在するという情報があるのです」
「まさか! 一体どこで?」田吉はまだ信用しない。
「アフリカの南西部、ナミビアに広がるナミブ砂漠と言うところです。あるスポットでは、早朝の太陽が昇った直後に現れるとか」
「信じられん!」田吉は腕を組んでうなり声を出す。
「もちろん最初は、私たちも疑いました。しかし考えてみれば、恐竜も爬虫類から鳥類に進化した過程で誕生したともいわれています。それにクジラやイルカのように海に生息する哺乳類も現にいるではないですか。
となると、もしかして鳥類と哺乳類との間の進化の過程で、このような生命体が誕生していて、その子孫が『生きた化石』として、存在しても不思議ではないとの結論に達しました」
「うーん」田吉は腕を組んだままうなり続ける。まだ完全に信じているわけではない。だがもしいるのなら、この未知の生命体。鳥と猛獣が融合した鷲獅子・グリフィンの姿をぜひ撮影してみたい気がしてきた。
「もちろん、現地までの渡航費や宿泊費等の諸経費をギャラとは別にお支払します。撮影に見事成功すれば、それこそ世紀の大発見! 当然成功報酬としてそれなりの報酬の上乗せも考えておりまして、それに」「それに?」「実はもうひとり、井石さんにも依頼しました」
「井石!」田吉の表情が変わる。田吉同様に鳥や猛獣の撮影を専門とするプロカメラマン井石。彼は田吉よりも20歳近くも年下だが、若い彼は田吉以上に勢いのある撮影をする。あたかも被写体としてして映し出された生き物が、写真からそのまま浮き出て来そうな勢い。そんな撮影が大注目され、目下人気急上昇。
田吉の新たなるライバルである。だが田吉はそれ以上に、井石と一度会って話をしたいと思っていた。あわよくばコラボでもできればと願っていた矢先の話。田吉は迷うことなくこの仕事を受けた。
ーーーー
「憧れの田吉さんと一緒にできるなんて、僕はうれしいです」20歳代と言う若い井石の顔には、まだ子供のようなあどけない表情が垣間見える。「そうか、井石君が俺の写真集まで買ってくれてたとは、それはうれしいな」
ライバルと言っても年齢差があるふたり。会うまで緊張していた田吉であったが、日本の空港で知り合ってすぐに打ち解けあう。
そして丸1日かけて数都市を乗り継いだ。最後はヨハネスブルクからようやくナミビア共和国の首都・ウイントフークに到着した。さらにそこから車で5~6時間移動、こうしてナミブ砂漠の入り口にあるセスリエムに到着する。
ここで1泊し、いよいよ翌日の朝からからナミブ砂漠に向かう。砂漠自体は現在公園で観光地でもあるので、見どころまでの道は舗装されている。
「グリフィンは、早朝に確認されています。今日テントを張る、最奥のデッドフレイまでは余裕で行けますので、本日は砂漠の観光をにご案内しますね」
エージェントが手配した現地のガイド。彼の話では若いときに日本の留学経験があるという。そんな経歴を持っているためか、日本語が普通に通じる。これには田吉も井石も安心した。
こうしてこの日は、ナミブ砂漠の観光スポットに立ち寄りながら撮影タイム。田吉は物珍しいアフリカの大地を自慢のカメラで撮り続けた。ところが井石はあまり撮影をしない。「井石君、どうした? せっかくのアフリカの砂漠を撮らないのか?」
「田吉さん、僕は田吉さんを尊敬しています。でも撮影となれば違いますからね」井石の意外な言葉に一瞬驚く田吉。しかしすぐに彼の気持ちが分かった。
「グリフィンを撮るために集中しているのか。若いな」田吉はまだ自らが駆け出しだった、若手カメラマンだった時代を思い出した。あのときは、ターゲットを最高の姿で撮るために、全く余裕がなかったこと。
ここで余計な口出しをすると彼が苛立つと思った田吉は、それ以上は何も言わなかった。
こうして車は、砂漠のスポットでも最も奥にあるデッドフレイに到着。ここは元々湖があったところで、今は完全に枯れあがったが、そこには数百年前に枯れた木がそのままの状態で残っている。
この風景はまさに死の世界。田吉は何度もファインダーからこれらの撮影を行った。
「この先にテントを張ります。そして今日は早く寝ましょう。グルフィンは太陽が昇れば現れるそうです」
日が沈みかけたときに、ガイドが用意したテントを設営。こうしてこの日はテント泊。いよいよ明日の早朝が勝負のときだ。
缶詰などの保存食で夕食を済ませ、早々と眠る準備を進める一行。ここでガイドが意外なことを言い出した。
「実は地元の部族の長老から聞いた話です。迷信だと思いますが、念のために」「部族の長老ですか。で、どんな話ですか?」
「はい、長老が先祖から言われている話として、このグリフィンと目を合わさないほうが良いとのことです」
「目を合わさない? 一体どういうことですか」神経を集中するようにテント内で目をつぶり座禅を組んだまま黙っている井石の横で、田吉が相槌を打つように繰り返し質問する。
「グリフィンと目が合うと、その鋭い眼光に魅了されるそうです。そして意識が完全にグリフィンに束縛されてしまい、砂漠の奥に導かれるように彷徨ってしまうとか。そうなると2度と帰って来なくなるというものです」
ガイドの説明に真顔でうなづく田吉。ところがこの緊迫した空気が突然乱れた。
「ハハハハ!」突然笑い出したのは、静かに黙想していた井石。閉じていた目を見開くとそれを全面否定した。
「そんな地元の部族の迷信が本気だとお思いですか? 今は21世紀科学万能の時代ですよ」
田吉とガイドは井石を凝視。「この砂漠なら、昔の人は迷い込んで命を落とすことは、よくあることでしょう。むしろ僕は、そのグリフィン魅力的な目を、ぜひとも見てみたいものですね」と笑顔で語る。
対照的に田吉は、そのことを念のために意識した。
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翌日まだ太陽が昇る前に、田吉と井石、そしてガイドは目覚める。「暗いうちからスポットに行きましょう。あのあたりが良さそうです。
機材を持ちながらガイドについていくふたり。そしてスポットに到着するとすぐに撮影準備。テントを出たときはまだ暗かった空が、このころにはすでに藍色に変色している。そして東方向に視線を送れば、その色合いが確実に薄くなっていた。
「日が昇るまでに準備万端だ。よし頑張るぞ!」気合を入れる田吉とは対照的に、井石は静かにカメラを調整している。対照的なふたりはいよいよ、鷲獅子ことグリフィンを狙う。
やがて東の地平線から太陽がゆっくりと姿を現した。余裕のある田吉は、勿論その日の出の瞬間を撮ることを忘れていない。
「いよいよだな」田吉は未知の生物への期待が一気に高まった。
「あ、あれでは!」ガイドが大声を出す。太陽から出てきたかのように東の空から大きな鳥がこちらに向かって飛んでいる。「一羽か」田吉はその鳥をターゲットにファインダーを傾けた。
「あ、確かに。あれはただの猛禽ではない」鳥の撮影を繰り返す田吉は向ってくる鳥が特殊なものだとわかった。それも非常に大きく、まさしく獣ほどの大きな物体が、大きな羽根を左右に広げて滑空している。
「翼と前足、そして大きな後足。本当にいたのか? よし」田吉はファインダーを向けてシャッタチャンスを狙う。だがなかなかうまく行かない。
なぜならば、通常の鷹や鷲と比べると、速度が全く違う。
「こいつ、二、三倍早い!」いつもの鳥達と明らかに違う速度の対象物。だが、田吉はプロとしてこれまでの経験を持つ身として、奴の速度に負けるわけにはいかない。
それに今回は井石がいる。田吉は若手有望株の彼の将来を考えると、増長しないように壁として立ちはだかる必要があると思っていた。
田吉はいままで構築したカメラテクニックを駆使し、ファインダーを覗いた。そして対象物の一枚を狙う。
「よしきた!」 周辺を旋回している対象物。タイミングを計るための、格闘が実ったのか、ついに田吉のカメラファインダーが、奴をばっちり捕らえた。そしてシャッターを押す。だかあろうことか直前に手がブレた。
「はるか上空を旋回しているのに、奴からの風圧か?」田吉は、想像以上に強い風を感じていた。砂漠由来かもしれないが、グリフィンが真上を飛んだ瞬間に巻き起こる風。奴が原因に違いない。
こうして一瞬怯んだ田吉だがすぐに再挑戦。そして、改心のシャッターチャンスが到来する。そして今度はシャッターのタイミングが見事にグリフィンをとらえた。
「あっ」だが同時に田吉はグリフィンの目と合う。「こ、これは!」田吉の呼吸が止まった。
あらゆる猛禽や猛獣を凌駕する鋭いグリフィンの視線。まさしく吸い込まれそうな勢いだ。「まずい目を」田吉は視線を外そうとしたが、うまく行かない。その魅力的な視線は、田吉の目の周りの筋肉をも凝固させてしまったのだ。
「ならば精神上だ!」ここで田吉は意識を意図的に外した。そして日本での生活を思い出す。ちょうど彼には小学生の娘がいた。
「そろそろ二学期だ。ちゃんと学校に行けているかな」わざと小声でつぶやきながら娘の顔をイメージする。笑顔の娘の顔が現れて心が和む。そして気がつけば、グリフィンの視線のことをすっかり忘れていた。
「田吉さん、大変です。井石さんが!」ガイドの大声で我に戻る田吉。見ると井石の様子がおかしい。突然カメラをもったまま砂漠の奥に向かっている。「まさか!」田吉は空を見た。そこには西に向かうグリフィンの姿がある。「長老の言うことが現実なのか!」
田吉はカメラ機材をそのまま、井石の後を追う。「井石君、そっちに行くな目を覚ませ!」大声を出す田吉。しかし井石は、全く聞こえておらず、どんどん砂漠の奥に向かっていく。彼の方が若いので、追いつこうにも田吉は追いつかない。そして力尽きて田吉は立ち止まったが、井石はそのままどんどん砂漠の奥に向かっていく。
「田吉さん、今レスキュー隊に連絡しました。私たちはベースキャンプに戻りましょう」ガイドが後ろから来た。彼の言うことは間違いない。このまま井石を追いかけても、自らが二次遭難している場合ではないのだ。
「とんでもないことになった!」田吉は顔色が変わった。あのとき見たグリフィンの視線、思い出すだけでも鳥肌が立つ恐怖。
「あんな生き物は初めてだ」田吉はなおも体を震わせながら、ガイドとともに車に戻った。
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それから半日後、砂漠の入口セスリエムに戻った田吉の前に、レスキュー隊から連絡があったとガイドが伝えてくる。
「井石さん、見つかりました。砂漠の真ん中で倒れているのをレスキュー隊が発見。そのままヘリコプターで救助され、ウイントフークの病院に運ばれたそうです」「容体は?」
「はっきりはわかりませんが、息はあり、恐らく大丈夫だろうと」
「わかった。病院に行こう」田吉は立ち上がった。
田吉とガイドはセスリエムから首都ウイントフークに戻ると、さっそく病院に向かう。
病室に入ると、井石の意識はすでに回復していた。医者の話では熱中症の疑いはあるものの、2,3日で退院できるだろうという。
「良かった。井石君大丈夫か?」「あ、た、田吉さん。よくわからないのです。あのときグリフィンの速度が速く、風も強く。なかなかシャッターチャンスがありませんでした。ようやくとらえたと思ったときに、目が合ったのです。その後の記憶が......」ここで井石は辛そうに両手を抱える。
「わかった。大丈夫だ。もう思い出さなくてもいい」「気がついたらここで寝ていました」
撮影直前の緊迫した雰囲気と違い、日本の空港で出会ったときのようなあどけない表情の井石。取り合えず無事だと知って田吉は安心した。
そして井石は順調に回復。2日後に退院した。「田吉さん、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」頭を下げる井石。
「いや、いいんだ。グリフィンは確かにいた。だが俺たちが撮影するような代物ではなかったな」
「でもせっかくアフリカまで来させてもらったのに、全く成果がなく、僕達どうして日本に帰れば」困った表情をする井石。
田吉はわざと笑顔になって声に出して笑う。
「ハハハハ! 撮れなかったから仕方がないじゃないか。こうなったらナミビアのいろんな鳥や獣を撮るしかないな。あと現地ナミビアの食事とか。
そういう物を今からできるだけ撮って日本に帰ろう。そして君とのコラボ企画として俺がエージェントに提案するよ」
「ありがとうございます。では、さっそく」ようやく笑顔になった井石は一礼すると、早速ウイントフークの街並みを撮り始めた。
「まあ、よかったな」田吉も安心して町の撮影を始める。だがその前にひとつの画像を確認した。
「本当は撮れてはいるがな」実は田吉は決定的な一枚を見事に抑えていた。静止画像とはいえ、見ると画像の中に吸い込まれそうな、恐ろしいグリフィンの視線。
「これは、決して公開すべきものではないんだ」田吉はひとりでつぶやくと、その画像を消去するのだった。
※一部実在の地名、スポットが出て来ますが、ストーリーの内容などは、すべてフィクションで架空のものです。
こちらの企画に参加してみました。
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