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気にしないのが一番だから #月刊撚り糸

「やっぱりここまで来てよかった」美鈴は日が昇ったばかりの海岸で、波打ち際まで来て、静かに遠くを眺めている。
 そしてここ数年のことを頭の中で振り返っていた。

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 5年前、ちょうど大学生だった私が就職活動中のこと。就職先が決まらずに悩んでいた日々。夏の暑いときだったから、途中で太陽の日差しに勝てなくて、目の前のカフェに立ち寄って少し休憩。そのときに私を呼ぶ声がした。「久しぶり。み、美鈴ちゃんね」私が振り返ると涼子先輩がそこにいる。先輩は高校の写真部での2年先輩。
「先輩!」私は憧れの先輩だったから、再会したことを有頂天になって喜んだ。そして先輩と懐かしい話で盛り上がった。このとき先輩は途中からある話を熱く語り出す。

 それはあるネットワークビジネス。私は先輩の口車にうまく乗せられてしまった。「就職活動なんてもう古いわ。私ね、個人事業主として成功しているの。美鈴ちゃん興味ない。絶対に成功するから」

 それだけならよくありそうなこと。だけど私の場合はさらに一歩進んで、先輩とはそれ以上の関係になった。

「ねえ、美鈴ちゃん。それだったらうちに来て一緒に生活しない。共同で会社設立しましょう」勧められて就職活動を断念して始めたビジネス。でも、もともとこういうのが苦手だったようで、とてもうまくいかない。
「何で先輩は、あんなにたやすくできちゃうの?」ビジネスを始めて半年。甘い話に乗ったのが失敗だと、居酒屋で愚痴をこぼしていたときのことだった。  

 先輩はそういって優しく声をかけてくれて、私の手に触れたの。それから酔った勢いもあったのかしら、先輩と口づけを交わした。

 こうして、気が付けば先輩との共同生活。ビジネスの営業は先輩が一手に行って私は事務作業に没頭した。「美鈴ちゃんが来てもっと実績が上がりそうよ。ホント助かるわ」先輩は嬉しそうにつぶやくたび、私に触れてきた。    
 当時の私は特に疑問を持つことなく、先輩に言われるままに従っている。

「だけど、本当に私がしたいことって、これではない」先輩との共同生活を初めて1年後から悩みだす。私はプロのカメラマンになりたかった。中学のころから写真を撮るのが趣味。そのまま高校では写真部で、大学に行っても写真のサークルに入って好きな写真を撮り続けた。
 その間コンテストにも提出。一度だけ佳作を取った。
 だから就職先は、どこかカメラに関係するところを探し続ける。だけど大手のカメラメーカーは競争率が高く、とても私が入れる暇もない。

「もう逃げられないのよ。あなたはずっと私のもの」私が今の生活に疑問を持ったとき、半ば脅迫に満ちた先輩の視線が怖かった。私はいつの間に彼女の奴隷になっていたのかもしれない。洗脳されて身動きが取れなかったのかしら。というより、まだそんな状況になっていることすら知らない。

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 こうして3年の月日が流れた。徐々にこの生活に疑問と不満を持っていたけど、先輩の脅迫に満ちた視線を思い出すとそれ以上は動けない。
 あの視線の金縛りにあっていたのよね。そして私が外に出ることで、何か大きな問題が起きないかって、いつも気にしていた。

 確か大学生まで普通に男の人に興味があったの。先輩に出会う前、半年ほど付き合った彼もいる。だから多分私は同性より異性のほうが好きなの。
 こうして疑問がわいてきたけど、もっと衝撃的なことが。どうやら先輩には別の女の子がいることが分かったの。以前と比べて先輩のしぐさに違和感があったけど、ついに決定的な証拠を見つけてしまった。それは今から半年ほど前のこと。

「でも、私ひとりでは生きていけない」そう思い込んでいたから、先輩にそのことを追求せず我慢した。でもそれを耐えられたのが半年間。ついにピークに達した先月の終わりごろ、私は行動に出た。
 先輩がビジネスで出張しているタイミング。雨の日の朝に荷物をまとめて先輩の家を出たわ。もちろん先輩が浮気していた証拠を置き手紙にして。
 先輩は私が逃げ出すことを心配たのかしら? 毎月くれた小遣いは、ほんのわずか。もちろん衣食住は全く不自由しなかったから、私はそれに不満はなかった。だからそのわずかなお金は、出来るだけ使わないようにして、ひそかに貯金。そして溜まった20万円ほどを握りしめ、最低限の荷物だけ持って逃げた。

「この子だけは、絶対に」それは高校のバイトで買った一眼レフのカメラ。先輩に進められてビジネスを始めても、心の奥底ではカメラマンへの夢は忘れてなかったようなのね。

 でもわずかなお金。できることは限られていた。実家に帰ることもできたけど、先輩との共同生活を始めてから一度も連絡をしていない。今更そんな気が起きなかった。とりあえず長距離バスに乗って、遠い町に。そこにあったネットカフェに転がり込んだ。すぐに連絡先やらアカウントやらを全部変更して、先輩からわからないようにした。そしてバイト先を探そうとした矢先。
「800万円が当たったの。出来心で買ったミニロトでまさかの一等が!」

 こうして私は再び旅に出た。そしてネットカフェで気になっていたこの海岸の前。日の暗いうちから来ている。
「ずっと気にしていた。不思議なまでに先輩のことを。5年もそんな状態だなんて、私ってなんてバカだったのかしら」

 誰もいない早朝の海。波の少ない穏やかな水面の波の音も小さい。水平線のように広がる大きな鏡のような水面。その鏡の先に広がっている水平線を境に視線を上げれば、見つめるだけで眩しい太陽。そして無限に広がっているような空。

 美鈴は今まで気にしていたことが、あまりにも小さいことを感じつつ、新たな人生をスタートさせようと心に誓った。

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「あ! この朝日。そうだ今度のフォトコンテストのお題が『人生の転機』そうだ、この朝日で応募しよう」
 美鈴は慌ててバッグからカメラを取り出す。一眼レフから伸びるレンズが朝日の方向を向く。そしてファインダー越しから見つめる美鈴の真剣なまなざし。ベストのタイミングで朝日が昇っている直下の水平線にピントを合わせると、シャッタを押して、何枚も撮り続ける。「うん、いいわ。ダメもとで出しちゃお」

 そして1か月後、驚きの結果が。美鈴の作品が見事に大賞に選ばれたのだった。




こちらの企画に飛び入り参加しました。

※いつもは毎日深夜に投降しますが、本企画はお昼12時の公開(もしくはその前後)ということでしたので、本日はそれに合わせました。
ひょっとしたら「今日はなぜ投稿がないのだろう」と気にされたかもしれませんが、そういう趣旨。これこそ「気にしないのが一番だから」ですね。


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シリーズ 日々掌編短編小説 411/1000

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