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ボクシングのエキストラ

「横道様、本日はありがとうございました」「ああ、頼むよ。とにかく息子のトレーニングルームが重要だからな」
 ここは住宅展示場。風林ハウスの営業担当・真中俊樹は、注文住宅契約の見込み客が帰るので、モデルハウスの玄関にて営業スマイルを振りまく。
「ええ、ボクシングのですね」「そう、息子は本気で世界を狙っている。トレーニングはジムで行うものだが、何しろ志が高いからな。    
 自宅に帰って来たとき、いつでもトレーニングできるようにさせてあげたいんだ」
「承知しました。設計の者にしっかり伝えておきます。本日はありがとうございました」

 こうして客の姿が見えなくなるまで、真中は頭を下げる。「さて、次はそう御予約のお客様だ」真中は時刻を確認する。
「えっと、時間まであと二十分か。よし事務所で待機しよう」

 事務所の中に入った真中。「えっと基本資料は準備完了」次の顧客まで準備万端だ。余裕があるためか鏡を見ながら髪型とネクタイを整える。
「さてと、横道様のご子息はボクシングのチャンピオンを目指すのか。すごいなあ。あ、そういえば!」
 ここで真中は一昨年に、ボクシング映画のエキストラに駆り出されたことを思い出した。


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「こういうの初めてなんです。本当に大丈夫ですか」
「大丈夫よ真中君。でも急に誘ってゴメンね。もうエドワード、いや、江藤がこれ申し込んだのに『三回忌のこと忘れてた』って5日前に言うのよ。
 エキストラにふたりで申し込んだのに、ひとりできましたというのもあれだし、大体あいつが申し込んだのよ」
 横にいるのは日本語が得意な英国人女性のジェーン。艶のある金髪をかきあげて愚痴をこぼす。実は真中の大学時代、同じゼミだった先輩である。

「あら、噂をしていたらエドワード。え? 久しぶりの実家でゆっくりしたくなった。 Why? 今夜実家に泊るって。もう好きにしてよ!」
 ジェーンは、適当に返事を書いて送り返すとスマホをしまい込んだ。
「さっきも、心配して電話したら『あ、あああ』て、何慌ててんだ。私が電話したら都合悪いのかしらね」
 ジェーンは怒りの矛先を真中にぶつける。「は、ああ、ど、どうなんでしょうね。というよりジェーンさんはボクシングを」営業マンの本領発揮とばかり真中は旨く話題を切り替える。

「そ、そうよ。ダイエットには最適。それにしっかりと教えてくれるから、結構強くなったわ。仮に痴漢が来ても迎撃よ」ジェーンは笑顔のまま両手でボクシングの構え。真中は営業スマイルを見せながら内心安心する。

「で、今日僕は何をすれば?」わけもわからず真中は紺色のスーツ姿で来ていた。「ここでボクシングの試合のシーンを撮るからその観客役よ。細かい指示はスタッフの人が言ってくれるからそれまで待てばいいわ」
 対照的にジェーンは赤いトレーナーと黒い皮のパンツ姿という、ラフな格好で余裕の笑顔。

「は、はあ」緊張気味の真中はこの場所に来たことを内心後悔している。本当にボクシングの試合が始まりそうなシーン。リングを囲うように人が埋まっているが全員エキスストラだ。右横が正面でそこだけ雰囲気が違う。
 映画監督を筆頭にスタッフが集まって何やら真顔で打ち合わせをしているようだ。

「あ、すみません!」若いスタッフのひとりがリングに上がった。それまで自由に会話をしていたエキストラたちが静まり返る。「あれ、あの人焦ってる」ジェーンが小さくつぶやく。
 確かにスタッフの表情に余裕がない。何かのトラブルが発生したかのような焦った表情。額から汗がにじみ出る。
「えっと皆さんには、本日観客役のエキストラをお願いしました。ところが今回のシーンで登場する端役のひとりが、急遽これないと連絡がですね」
「役者がドタキャン?」真中は頭の中でつぶやく。

「それで、急なお願いで申し訳ないのですが、もし皆さんでちょっと代わりに、ボクシングの選手役で出て欲しいのですが」
 ここで会場は糸が張り詰めたような静けさ。
「あ、そんなに難しくないですよ」リングの外から監督が立ち上がる。リング状のスタッフと違い貫禄が違う。監督はごま塩色に蓄えられていた顎髭を右手でゆっくりと撫でる。そして低めながらも、はっきりと遠くまで通る声を発した。
「え、皆さんは、ただ今から登場する役者に一撃で殴られて倒れるだけ。もちろんそれなりに報酬面でも考えます。もしやってみたい人がいたら。数十秒映画に登場しますから、いい思い出になりますよ」
 監督からの誘いに一瞬ざわつくが、また静かになる。
「あ、いませんか。ああいや、すぐに終わります。でないとその......」リング上のスタッフが必死に呼びかける。

「ジェーンさん、確かボクシングを」ここで真中がジョークを飛ばす。
「何、馬鹿なこと!」ジェーンは慌てて否定。

 ところがこのふたりの会話が、リング上のスタッフの耳に入る。即座に視線がふたりを捉えた。
「あ、そちらの方。Hello. Are you American?」とジェーンに向かって語り掛ける。一瞬慌てた表情のジェーン。だがアメリカ人と思われたことと、外国人というだけで英語で話しかけられたのが気に食わない。
「あのう。イギリス人です。それから私は日本語普通にしゃべられるわよ!」やや強気に言い返す。
 ところが監督は、そんなジェーンを一目で気に入った。

「おう、それはイギリスの方でしたか。いやあお美しい。あのお名前は」「私、私はジェーンです」
「OK、ジェーンさん。ぜひこの役やってみましょう」監督はジェーンに選択の余地ではなく決定の口調。
「はあ?」

「いや、実は金髪の女性選手という設定だったんです。ところがその彼女が今日来れない言い出す始末。だったら設定は男女国籍関係なしでいいかと思ってたら、何とジェーンさん! 私のイメージぴったりです」
 監督は歩きながらジェーンのほうに近づき語り終えると、ジェーンに頭を下げた。

「あ、大丈夫です。ジェーンさんボクシングジム通ってます」なぜか真中はこの展開を楽しんでいる。必死にジェーンをセールス。
「あ、コラ!」ジェーンは顔色変えて必死に否定。だがこの様子を見た会場のエキストラたちは、一瞬どよめきのようなものが聞こえると突然の拍手。

「え、わ、私。マジ」なおも慌てるジェーン。しかし場の雰囲気は既に決していた。
「それでは、さっそく衣装に着替えましょう。こちらが控室です。リングを降りた若いスタッフはジェーンの前に来た。ジェーンは目を見開きながら「じ、じゃあ。あの真中君そこで待っててね」
 と言ってスタッフに連れていかれる。


20分後、ボクサーの格好をしたジェーンが戻ってきた。
「ジェーンさん本当に選手みたいだ」このとき真中は初めて笑顔になり楽しくなる。
 ジェーンの横には監督と複数のスタッフが立っていた。そして細かい指示を伝えている。

「えっとですね。今からラッチャラーニが来ます。彼はヒールのムエタイ選手。まあこの映画の主人公での宿敵ですな」監督の説明を真顔で頷くジェーン。
「そこでジェーンさんは、彼の強さを引き立てて欲しいのです。具体的には彼が、最初にリング上でムエタイ選手の演技をします。それから試合開始。いきなり彼が一発殴ってこようとします。あ、もちろんゆっくりと。ご心配なく。それを受けてわざと大げさに倒れてもらう。え、それだです」

「はい、倒れるだけね。OK!」
 リングに上がったジェーンは、大声を出して了承。先ほどと違いノリノリである。頼まれてもいないのに、勝手にボクシングのスパーリングのようなことを始めていた。
「それでは、今からはじめます。エキストラの皆さんは、実際に試合を見ているように各々盛り上がって下さい。では。ハイスタート!」

 監督の合図で撮影シーンが始まった。ジェーンはとりあえず真顔で立っている。軽く体を動かしながら相手を待っているシーン。そしてアナウンスの声が聞こえ、エキストラたちは本物の試合を見て興奮しているかのように拍手と歓声で盛り上がる。ただ真中はやったことが無いのに加え、目の前のジェーンが気になって仕方がない。だからほとんど動かないまま黙ってる。

 やがてラッチャラーニが入ってきた。タイから来たムエタイの選手という設定。実際には日本の役者がそれらしい演技をしているに過ぎない。頭に鉢巻をしたラッチャラーニは、リングに上がるといきなりムエタイの儀式と思われずポーズを繰り返し取り始めた。
 アナウンスはそんなラッチャラーニの動きを無視して淡々と紹介をしている、ちなみにジェーンはテキサスから来た女性ボクサーという設定だ。

 やがてラッチャラーニが構えると、ゴングの音。ラッチャラーニはまたムエタイの儀式のように体をしゃがませるなどの動きを十数秒行った。そしていきなりジェーンに向かって殴りかかってくる。

 本来ならそのままジェーンが彼のパンチを食らい、大げさに倒れるだけで終わるのだ。
 そしてすぐ目の前に、ラッチャラーニーの左からのグローブが向かってきた。ところがジェーンが意外な行動取ってしまう。パンチを右によけてしまったのだ。
「あ、しまった。でも怖かったから」
 普段ボクシングジムで鍛えているためか無意識に、顔が動きパンチをよけてしまったジェーン。
 ラッチャラーニーは「話が違う」と一瞬戸惑うが、まだカットになっていない。「そっか。いきなりではということか」と今度は右からのパンチをくらわした。ところがジェーンはこれもよける。
「な、なに!」ここで明らかに台本と違う動きにラッチャラーニーは、苛立ちから少し熱くなる。
「無名な役者のくせに! 勝手なことを。おのれ、女と思って容赦しない。うりゃーあ」ラッチャラーニは冷静を失い、怒りに任せて突進してくる。明らかに今までと違う勢い。ここでもカットが入らない。
 監督は台本とは違うが、ラッチャラーニーの動きが迫真の演技と勘違い。そのまま続けられる。

 ここでジェーンは慌てて後ろに動きながら、連続して飛んでくるパンチをよけていく。まるでジムのトレーニングのようだ。だが避けながらもジェーンは恐怖を感じる。「ちょっと待って、この人マジだ。こわい」思わずパンチをよけようと右手が出た。

 その瞬間右手に衝撃が走る。するとジェーンのパンチがラッチャラーニの顔に命中。そのままラッチャラーニはダウンした。

「カット!」ようやくカットの声。だが思わぬ状況だ。ラッチャラーニーは気絶して倒れたまま。あまりにも綺麗に決まったパンチに驚くジェーン。スタッフたちも状況が読み込めない。観客たちはよく解らないまま喜んでいる......。

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「あれは凄かった。倒れる役なのに逆にジェーンさん倒しているし。でもあの後、相当怒られたってジェーンさん落ち込んでたな。帰りは『何でこんなときにエドワードがいないの!』って怒りに加えてちょっと悲しそうだった」
 真中は初めての映画のエキストラでの思い出を楽しそうに振り返る。ちなみにそのシーンは本来は違うもののリアリティがあるからと、台本の一部を変えて使用。
 ラッチャラーニは倒れた。が、そこで後日シーンを追加。倒れたがそれは相手を油断させるための罠。
 ジェーンの代わりの女性が、勝利を確信して後ろを向くと突然起き出して後頭部を回し蹴りした。不意を衝かれた女性ボクサーはそこで再起不能。
 勝つためには手段を選ばないという、ラッチャラーニーの極悪非道さを際立たせることに成功した。だが真中は肝心の映画を見ずじまい。

「真中!」突然響いた上司の声。「あ、はい」
「お前さっきから、何ボサッとしてるんだ。ご予約のお客様。酒田様が見えられたぞ」
「はい、ただいま」真中は顔色を変えると、慌てて事務所を出るのだった。


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シリーズ 日々掌編短編小説 484/1000

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