ハモノ 第655話・11.8

「これで何が切れるだろう?」俺は今、刃物を手にした。しっかりと腕で握る。しっかりと先を見ればそれなりの刃渡りがあった。「もしこれを外で振り回せば、たとえ相手や物を傷つけなくても銃刀法違反になるだろう。安易には振り回せられないな」
 だが俺は、刃物を手から握ったまま。よくわからないが、手放したくない。少しずつではあるが、気持ちとしては何かを切りたくなっている。別に切る対象にこだわりはない。

「何を切ろう。切っても問題にならないものがいいな」俺は刃物を持ったまま、周囲を見渡した。
「まずは紙を切ろうか?」俺は目の前にあるノートに照準を当てる。「いやまてよM紙などは、ハサミでも切れるな。その気になれば手の力でも、どうせならこの刃物でしか切れないものがいい」
 俺はキッチンに向かった。そこには一本の大根がある。「よし、大根を切ってやろう。俺は刃物を大根に対して照準を合わせる。ここで迷いが生じた。「片手で切ろうか、いや慎重に両手か」

 俺はしばらく考える。そしてこう結論付けた。「まずは片手、うまく切れなければ両手だ」
 こうして俺は大根をまな板の上に乗せる。そしてまずは片手で大根の中央に焦点を合わせるとそのまま振り下ろした。
「あれ?切れない」確かに刃物が大根を直撃している。鋼がミリ未満のミクロンの厚みしかない鋭利な刃。そして確かに大根に直撃した。だが大根は切れない。刃物を受けたと思われるくぼみのような跡だけが残った。
「何と固い大根だ。よしこうなったら」俺は再度刃物を振り上げる。今度は両手で持つ。「うりゃあ!」掛け声と同時に思いっきり加速度をつけた。そして一気に刃物の先端は大根の白いボディーに突撃。大根にぶつかる際にやや大きい低めの音が聞こえた。

「なに?なぜだ!」俺は思わず声を荒げる。なぜならば両手で思いっきり振り下ろした刃物。それが大根にはほとんど通用しないのだ。刃は大根に直撃後、その鋭利さを利用して大根の細胞同士を引き離し、最終的にまな板のすぐ上の部分まで到達するはずであった。だが、結果は片手とほとんど変わらず。ボティーを多少へこませた跡がついているだけ。つまり刃物の形をしていながら刃物の役目を果たしていないのだ。
「だめだ、こんなはずはない!」俺は大根が切れないことにいら立った。「こうなったら切れるまで」俺はもう一度両手で大根めがけて振り下ろそうとしたそのとき。「何をしているの?」

 俺の耳に聞こえた女性の声。それは妻である。「そんなナイフで大根に何するの。その大根は人にあげるものよ」
「なぜだ、俺は大根を切りたいんだ!」俺は苛立ちから声を荒げる。妻は驚いたのか、目が見開く。そして口をやや震わせながら「ちょっと、あなた変よ。しっかりして! まずそれを離しましょう」と俺の持っている刃物をはずせと言い出した。
「嫌だ、俺は大根を切る」「ちょっと、やめなさい!」今度は妻の肝が据わったのか、俺に対して睨んでくる。そしてこっちに向かってきた。
「近づくな。切るぞ!」俺は気が動転しているのか?明らかにおかしなことを言っている。「え、ちょっと何!」妻はこれには一瞬驚いたが、ひるまない。

 俺はもう何かを切りたくして仕方がないのだ。でもよりによって刃物を妻に向けてしまう。それに対して妻は俺に対峙すると「しっかりして、お願い。それを離して!」
「なぜ、なぜ切れないんだ! 俺はさらに声を大きくすると、妻に対して刃物を振り上げた」「やめて!」妻はその瞬間、前傾姿勢をとり、俺に頭突きをくらわす。それに俺は仰向けにひるんだ。その瞬間、おなかに思いっきり激痛が走った。「うぅぐうああ」俺は、妻からの一撃をくらいその場でうずくまる。そして刃物が手から離れた。


「カット! いやあ、素晴らしい。あなた本当に素人ですか?」この声を聞いて俺は起き上がった。これはミニ映画の撮影である。
「これだけの迫真の演技をやってくれたら、もしかしたら映画祭で賞とかなんて思いましたよ。いやあ素晴らしい。ありがとうございます」
 映画監督とカメラマン、あと照明担当が嬉しそうに俺に頭を下げる。俺は神妙な気持ちで小さくうなづいた。「お疲れさまでした。素晴らしい演技でしたね。私も本気でやれました」妻役の女優さんも嬉しそう。みんなが俺をべた褒めしてくれた。

「酔った勢いで申し込んだオーディション。どうやら俺の年齢や雰囲気がこの映画にぴったりということで、選ばれた。そして今日のシーン。刃物の魅了された男が、発狂するという場面である。

「一発でOKになるとは思いませんでした。もう撮り直しも不要、ではお疲れ様です」監督はそういうと変える準備を始める。「あのこれは」俺は、備品で使った模造の刃物を手にしてスタッフに返そうとした。「ああ、それね、模造刀で役に立ちません。どうです、今回の撮影の記念にいかがですか?」と言われ、俺のものになる。

こうして、監督、女優を含め撮影スタッフたちは俺の家を後にした。

 俺は後片付けをする。それほど汚れてもいない。そしてまな板の上に残された大根、あとはこれを片付けるだけとなる。「うん?」俺は撮影に使った模造の刃物が気になった。「ちょっとやってみようかな」俺は何を思ったのか、刃物を手にすると大根めがけて一振り。すると不思議なことが起こった。「これ切れるの?」目の前の大根は、あっさり切れて刃物の先端は、まな板のところまで到達していた。

 俺は再び刃物を手に取る。そして口元を緩めながら無性に何かが切りたくなった。

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シリーズ 日々掌編短編小説 655/1000

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