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THE LAST OF DEUS EX MACHINA そして伝説へ

THE LAST OF DEUS EX MACHINA――これで解散です。Twitter(X)で知り合ったvanillableepに誘われて、私ことM*A*S*Hを能動的に動かしたテクノ・ポエトリー・リーディング・ユニットは、2023年年末で活動を終えます。解散理由は特に話しませんが、例えるならロックバンドの解散理由によくある、音楽性の不一致だと思ってください。
今回のコンテンツ制作方法は、M*A*S*Hが先にデモ映像を作り、それを見たvanillableepが映像にインスパイアされた曲を作る方法を取っています。それがコンテンツ冒頭から流れる、INNOCENT RAPED NAPALM FIREという曲になります。いつもならM*A*S*Hがリーディングしますが、この曲に限りvanillableepがリーディングしています。そして完成した曲に映像を加えて一般公開する前に、M*A*S*Hのアイディアで、vanillableepの曲をリミックスする感覚でM*A*S*Hが作曲したのが、後半2分48秒後に流れるDO ASIAN PERSONA DREAM OF NAPALM DEATHになります。前半の曲と後半の曲は水と油です。今までのdeus ex machinaの良質なテクノ要素をvanillableepが担い、過激な要素をM*A*S*Hが担っています。
尚、M*A*S*Hの映像は2023年10月から勃発したイスラエル・ガザ戦争に関わる映像とプロテストを引用、曲はスレイヤー、モービッド・エンジェル等のテクノを逸脱したスラッシュメタル、デスメタル要素をサンプリング、リーディングは村上龍のイビサの猥雑性、ジョン・レノンのゴッドのアンチクライスト要素、マニック・ストリート・プリーチャーズのアンチジョン・レノン要素を取り入れて、逆張りに逆張りを重ねたアンチテーゼにガザ虐殺のプロテストを重ねる、複雑な表現を試みています。
vanillableepの曲はストレートなテクノを基調にエレクトロニック・ボディ・ミュージック要素を加味してワイルドに、キング・クリムゾン、坂口安吾の堕落論、ザ・スターリン、INUのテキストをリーディング、サイキックTV、ジョイ・ディヴィジョン、ウルトラヴォックス、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン等のvanillableepが好む映像をサンプリング、サブカルチャーを嗜む者の集大成の世界を描いています。
感想は、観た方々それぞれにお任せします。個人的には過去のdeus ex machinaに見られた1+1=100のバンドマジック要素は、ここには存在していないと思っています。それ故にvanillableep、M*A*S*Hの解散後の互いの可能性が、このラストコンテンツに秘められているのです。

寧ろ上記のM*A*S*Hソロ活動の朗読動画のほうがdeus ex machina要素を充分に満たしています。これは摩訶般若波羅蜜多心経REMIXという題名で、曲はUNIVERSAL INDICATORというアシッドハウスの音源をサンプリング、リミックスしています。BPMを合わせないでフィーリングでシーケンスフレーズを配置して更にSEもふんだんに挿入したので、曲と言うよりもコミックソングに近い雰囲気になりましたね。映像もM*A*S*Hの地元東京都国立市の秋祭りを散策したのを自撮りしただけでチープですが、何故か迫力があります。迫力が出るように工夫して作ったんです。

――水をゆくひとつのパイク(陸をゆくのはふたつのパイク)、これもM*A*S*Hの朗読動画です。曲は直江実樹さんという、短波ラジオをリアルタイムに操作してアヴァンギャルドなノイズミュージックを創出する方の音源を引用しています。直江さん御自身が一切編集しないでリアルタイムにキャッチした大自然のノイズを尊重される方なので、M*A*S*Hも直江さんの姿勢を尊重して、直江さんの音を一切いじらず、音量を下げずに朗読しました。普通のポエトリー・リーディングに慣れている方にとっては驚くような表現に仕上がったかと思いますが、逆にこの濃厚さもdeus ex machina的だなと思っています。

vanillableepはポップになりました。deus ex machinaラストコンテンツを作ったあとで、彼は情熱的にソロ活動を開始したのです。上記Dropboxリンクから彼の曲を聴いてみてください。M*A*S*Hがこの曲を聴いた時は、もう自分と組むのは止めてナチュラルな声質の女性ボーカルを探して新しいユニットを組んだほうがいいんじゃないかと彼に伝えました。deus ex machinaよりも、この曲のほうが彼の魅力を充分に伝えていると思ったのです。

この二曲目の曲もそうですね。一曲目に比べるとボーカルに絡む音の処理がより複雑怪奇になり、単なるポップソングに収まらないプログレッシブでノイジーな要素が加味されています。彼自身もアレンジし過ぎて訳がわからなくなったと言ってましたが、こういうところが彼の長所でしょう。deus ex machina解散後、彼とは話をしていませんが、今後の彼の活躍を蔭ながら応援したいと思っています。

deus ex machinaの報告は上記で終わりです。下記からはM*A*S*Hのソロ活動についてお伝えします。

まず2023年の正月に、詩人の草野理恵子さんの詩を朗読して動画に仕上げました。朗読はボイスチェンジャーを使って子どもの声にして、曲はvanillableepに協力してもらいました。聴いてもらえばわかるけど、私が初めて朗読したInnocentの曲をそのまま引用しています。つまり草野さんの詩に私のInnocentを重ねた想いをこの朗読動画で表しています。これは思った以上に好評でしたね。私も胸の支えが取れた想いでした。

続いて生まれて初めて作曲しました。SOUNDRAWというツールを使ってループ素材を組み合わせて作ったのが、上記Twitter(X)投稿に埋め込んだ曲になります。ミニストリー、フロント242、2ndコミュニケーション等のエレクトロニック・ボディ・ミュージックの特性を意識しつつ、少しだけリーディングして華を添えました。まあ五十代のおじさんが少年の心を忘れずにサブカル趣味全開で作ったと思えば、笑ってくれると思います^^

そして歌舞伎町文学賞にM*A*S*Hの詩集、ЦЕЛУЯ ЖИЗНЬ (KISSING LIFE) / СПИ, МАЛЮТКО, БУДЬ СПОКIЙНИЙ (SLEEP, BABY, BE CALM) / MEIN KILCHBERG LÄUTET JETZT (私のキルヒベルクが鳴っている) / 御前が其れを綴るのだ (YOU SHOULD BE WRITING TO NEW NECRONOMICON)を送りました。歌舞伎町文学賞、上記画像を見ての通り、審査員に大森靖子、高橋源一郎、宮台真司を揃えて、普通の文学賞とは違うことをしようとしていて(賞金は無いみたいですが)、良い意味でも悪い意味でもインパクトあり過ぎるのですが、ここなら私の詩集にも何らかの反応が返ってくるのではと思っています。2023年12月29日現在、歌舞伎町文学賞の進捗は、そろそろ一次選考結果が発表されると伺っています。果たして、どうなるか?
追記、2024年1月1日現在、一次選考通過しました。

ちなみにこれが前回の第一回歌舞伎町文学賞の受賞作です。一見して平易な文体で読みやすく、特にこれが純文学だ!エンタメノベルだ!ラノベだ!なろうカクヨムエブリスタだ!と訴えていないけど、読みやすい中でそっと心のひだに触れるようなことが書いてあるのがいいですね。さて、今回はどうなるか?

あと今年はシン・仮面ライダー、君たちはどう生きるか、ゴジラ-1.0等の映画を観て感想をネットに上げています。ゴジラ-1.0は二人で語り合っていますが、シン・仮面ライダーは私一人で語ったものをYouTubeに上げてラジオのDJみたいに合間に曲を入れたりしていて、君たちはどう生きるかはnoteに二万文字で論考を纏めています。シンプルな映画の感想に留まらず遊び心全開で挑んだのが、得るものがありましたね。

あと謎の【第3回】私立古賀裕人文学祭というネットで行われている文学イベントに、小林猫太さんという作家と共に、私の友人の猫椰子古葉太が書いた小説がなかよしトナカイ賞を受賞したのも、今年最後の思い出になりますね。詳しくは上記の小説を読んで、頭を抱えて笑ってください。猫椰子古葉太はM*A*S*Hの新しいパートナーとして来年も活躍すると思います。そんなこんなで、M*A*S*Hのソロ活動は今年一年、物凄く充実していたなと思っています。

最後に、この一年に亡くなられた方々を偲びます。

人はいつかは死ぬ。だから今を精一杯、生きていきたい。かつて出会ったヴィジュアル系バンドのギタリストの言葉です。彼は二十七歳で死んだロックスターと同じ年齢で、生き急いでる感じがしましたが、死物狂いで無茶をする感じではありませんでした。酒を飲んで筋トレをしてロックンロールと叫ぶ、そんな感じがしました。

それでも年齢を重ねると、思うように動けなくなります。加齢に勝つことは簡単にはできません。運命に逆らうことは難しいことなのかもしれません。

今年亡くなられた、ハードコアパンクバンドG.I.S.M.の横山SAKEVIは年齢が六十代だと聞いています。櫻井敦司は五十七歳で私と同い歳、HEATHとチバユウスケは私よりも若い年齢です。人生百年時代と言われてますが、半世紀も生きていれば身体にガタが来るものです。それでも生きていかなければならないという使命感に駆られることがあります。何故でしょうか?Innocentの詩に書きましたが、私は子どもの頃に死にたいと思ったことが何度かありました。それでも実際に自死を試みようとしても、痛くて、怖くて、死ぬことができませんでした。大人になった今、大学病院で働き必死に生きたいと願っている人を見守る仕事に就いています。障がい者自立支援の仕事も行い自分一人の力で上手く生きられない利用者さんの傍に付いてあげています。そんな私が今、希死念慮に陥り、昔みたいに死にたいと思う訳にはいかないのです。それでも大人になった今でもフラッシュバックに襲われて身動きが取れなくなり、涙を流すことがあります。ネガティブな言葉が漏れる時もあります。それを嫌な性格だと言われて差別されるのは仕方ありませんが、それでも自分の影の部分も本質の部分も衒いなく理解して話を聞いてくれる人もいます。草野理恵子さんのような人がいてくれるのが、心の支えになります。だから私も生きていかなけれはならないと思うのです。上手く生きていけないけど、なんとかして自分自身をコントロールして、今まで生きてきました。そして同じように生きづらくしている人に出会ったら、自分が今まで体験して乗り越えたことは、ライフハックのような感覚でその人に伝えてあげたい。おせっかいにならない程度で支えてあげたい。それが生きるということだと私は思っています。たとえ苛められても差別されても傲慢な集団主義に嘲笑されて私刑を受けて殺されそうになっても、殺されてはいけない。生きる権利は自分自身にある。どんなに辛くても、苦しくても、逃げたくなっても、死にたいと思っても、生きるんだ。差別されても負けるな。やられたら、やり返せ。

海の向こうの戦争は終わらない。テロリストのレッテルを貼られた者は、正義を名乗る者の圧倒的な武力によって、抗う術も無く虐殺される。夥しい死者数の現実に打ちのめされながら、もう嫌だ、死にたい、という言葉は口が裂けても言わない。相手が屈服するまで日本を空襲し続けたアメリカのように振る舞えば、敵に敗北宣言をするや否や属国と化した日本は宗主国のアメリカの顔色を伺うようになる。同じことが北ベトナムを空爆したアメリカに、イラクに大量破壊兵器が存在すると仮定した上で侵攻したアメリカに、ウクライナのネオナチを一掃する目的でウクライナ全土に侵攻したロシアに、全く同じことが言える。ウクライナはアメリカの庇護の下でロシアに抗う力を得るが、イスラエルはアメリカが容認する中で虐殺を行い、ガザの人々には抗う術も無い。

それでいいのか?

力の有る者が力の無い者を襲い息の根を止めて存在そのものを絶滅へと導く。それが人間が歩んできた正しい道程なのか?歴史が証明していることが絶対に正しいと言い切れるのか?

違うだろう!
生きろ!
絶対に負けるな!

本当なら同害報復でイスラエルの虐殺を覆す程の力をガザが手に入れて、テルアビブを核攻撃する程の意地を見せて欲しい。でもそれはロシアがウクライナに向かって核攻撃で恫喝するのと変わらない。第三次世界大戦が勃発する可能性を恐れるのと変わらない。どうすれば止められるのか?どうすれば弱肉強食の獣の世界が変えられるのか?プロテスト、ボイコット、力の無い者がやれることは限られているが、ただひとつだけ言えることは、力の有る者に屈服するな!……それだけだ。どんな手を使ってでも、獣から人間に変わるんだ!生きろ!

来年が良い年になるよう、心から願っています。

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