「言葉の呪い」と生きていく方法
適応障害から復職して、4時間勤務から6時間勤務となり順調に一歩一歩進んでいた。
しかし、そんな私にもぞもぞと悪魔のような呪いが現れた。
その呪いとは前の上司に言われた言葉たちである。
今の職場環境はとても良いし、仕事量も調整してもらっている。
ありがたいくらい配慮してもらっているのに、あの頃と似たようなシチュエーションが、前の上司のことをぐるぐると思い出させるのだ。
あの頃は、朝今日1日のやることを入力すると
このタスクはどのくらいの期間に終わらせるの?
この作業にこれだけの時間を使う根拠は?
今日やることはこれだけ?
ここに書く目的は部内の人に共有するため。あなたのメモ帳じゃない。
日本語がおかしい。
…と気を付けながら書きつつも、毎日文章に訂正が入った。
仕事に対する相談は「それは私にとってはどうでもいいことなの」と言われることもあるし、念のため質問すると「それ以外何かあるの?」「あまり話しかけられると手が止まって仕事が進まない」と言われてしまうこともあった。
だからこそ、今もこのスケジュールで正しいのか?
進め方は間違っていないだろうか?
この時間の根拠はなにか?
いつまでにそれをやるのか?
報告はいつするのか?
報告は口頭かテキストか?
ひとまずどこまで進めていいのか?
手戻りしないか?
を完璧に考えようとして頭がぐちゃぐちゃになってしまう。
ルーティンでない仕事になるほど、自分に自信がなくなり、迷いが生まれてしまう。
これを私は呪いと呼んでいる。
環境が変わったのに、質問や仕事を進めたり報告する場面になると、あの頃を思い出してどうしたらいいのかわからなくなってしまう。
そこで気付いたのが、あきらめることが肝心なのではないか?ということだ。
適応障害になった私は、もうこれまでの元の自分には戻れない。
完治を考えるのではなく、これからはどのように付き合っていくかを考えたほうが良いのではないだろうか?
実は私は数年前に神経性の頻尿になってしまった。
プレッシャーがかかると30分ほどしかトイレを我慢できなくなってしまった。
また、トイレに行けない環境になるほど追い込まれてしまった。
例えば、
バスや電車などの交通機関。
ファミレスの窓際席。
グループでの行動。
行列に並ぶことなどがそうだ。
この時の私はこの症状とどのように付き合っていくかを考えた。
そして、周囲に自分のことを話して、トイレに行きやすくする。
あらかじめトイレの位置を確認してなど、安心材料を作るなどした。
するといつのまにかそこまでひどい症状になることは無くなった。
どうして治らないんだ…と苦しむよりも、症状に付き合ってできるだけ事前に対策を行うことでストレスを1つずつ無くしていったのだ。
今回の出来事もおそらく薬を飲んでいるだけではきっと治らない。
自分を理解して、自分の声を聞いて、自分のストレスは何か?どうしたら少しでも緩和されるのかを考えて付き合っていきたいと思う。
また呪いから抜けるヒントを手に入れたら、こちらに追記することにする。
※この記事は私が前に進むためのものであり、前の上司を批判するものではない。
上司の立場からすると、言っていることは間違っていないからだ。