「落下の解剖学」と国際結婚の落としどころ
第94回アカデミー賞発表(日本時間3月11日)翌日、主演女優と犬の名演技話題にそそられ『落下の解剖学』を観にいった。オスカーの主演女優賞は エマ・ストーンにさらわれ、脚本賞のみの受賞となったものの、カンヌ映画祭のパルムドールやもん、期待どおり秀作だった。
ザンドラ・ヒュラーがすご過ぎた。
プロローグ
フランスの雪ふかい山荘に住んでいる、仲睦ましい一家 ...息子はどうやら視力にハンディキャップがあり、愛犬が彼の歩く前を誘導している、と人物と背景の紹介。
作家の妻は、学生からのインタビューを受けている最中、夫は大音量で音楽をかけ、妻の客人を歓待しない。夫も創作の仕事らしい。
そして、次の瞬間あっけなく夫は転落死してしまう。
何があったのか?
自殺か、事故か、殺人か。
を軸に、法廷劇へと展開していく。
夫婦の秘密
被告人は死亡者の妻。
弁護人はシュッとしたイケおじで、妻の大学時代の友人。妻の「私は殺していない」の告白に、問題はソコじゃない、無実を勝ち取るために人びとにどう見えるかが問題だ、と諭す。
検察側は感じ悪いが有能な男で、細部を積み重ね、被告に不利な状況証拠で揺さぶりをかけてくる。
夫側からの視点、妻側からの視点、子供(視覚障害)の視点、三者三様の視点・思考に加え、裁判官や公聴席の人びとが感じる「客観性」の視点が複雑に絡み合う。
徐々に、外面では見えなかった夫婦の秘密が暴かれてゆく。
妻は、か弱い女性として同情をひくような素ぶりは一切みせず、どんな質問や状況証拠にも感情を昂らせることなく、冷静に応じてゆく。
言葉の壁
公判途中、(日本人には欧州三ヵ国の異なる立ち位置が少々わかりにくいのだが) 実は、妻はドイツ人、夫はフランス人、息子の教育のため家庭内言語は英語だった、と明らかになる。つまり、妻は母語以外の互いの共通語・第二言語で会話し、第三国で暮らしている、というハンディキャップが常にあったのだ。夫は自国で暮らしているため、妻に比べればストレス低めだろう。
そして、妻は検察側から厳しい追及をされたとき、フランス語のある動詞が思い出せず、答えに窮し、この一瞬だけ、涙がこぼれ落ちてしまう。
言葉をあやつる(ドイツ語作家)職業なのに、言葉が出てこないなんて。
ヤバい、刺さる、イタい。
私自身も他国で英語以外の言語で複数から声をかけられ、うまく応えられず、言葉が通じない、気持ちを汲みとってもらえない、かなしみに血を流した経験があるから。あの時を思い出し泣けた。
話は変わるが、最近読んだ『世界中で言葉のかけらを』で、とても印象的だった文章
国籍や民族を超えて、友達になったり、家族になったり、そのためには 上記のように歩み寄り、相手側の言葉や文化をリスペクトする気持ちが大事。互いに信じ思いやることができなけば、言葉の壁を乗り越えられないのだ。
判決は?彼女がやったのか?
さて、話を戻そう。
幼い息子の決死の証言と愛犬の実証で、裁判は終わる。(犬の瀕死の演技が素晴らしい!パルムドッグ賞受賞)
さらされた夫婦関係の危うさの下、夫は自らバランスを崩し落下した、と。
しかし、真実は灰色のまま。
Anatomy of a fall (2023年)
監督: ジャスティーヌ・トリエ Justine Triet
脚本: Justine Triet/アルチュール・アラリArthur Harari
主演: ザンドラ・ヒュラー Sandra Huller
個人的な落としどころ
我が家は妻側(私)の母国で常に日本語で暮らしており、夫は第三言語に慣れているとはいえ、感情が昂ると1番最初に習った教科書通りの丁寧な日本語になる...という特徴がある。相方がバカ丁寧な日本語を口にする時は怒っている印。私は先手を取り、大きな亀裂になる前にできるだけ関係改善に努めている。
言葉が通じなくとも心は通い合う。夫婦が互いにリスペクトを、忘れたらあかんよね。
そして、映画後しばらく既視感が抜けずに数日が立ち、何気なくAmazon primeで アメリカ映画の “ゴーン・ガール(2014)”がおすすめに出てきて思い出した。そういや、ゴーン・ガールでもエンドロールに “ what do you think?” と問われ、真相は観る側にゆだねられる。ヒロインが人気作家だった点、夫婦が互いに文筆業だった点も酷似してるなぁ...自らの脚本通りに自作自演だったなら本当におそろしい。
あとは、同じくザンドラ主演の今月公開『関心領域』早く観たいわ。