【退職エントリ】コミュ障がゴリ押し接待営業を辞めた話
初めまして、くまです。
少し前にnote更新を頑張ろうと思ったのですが、挫折してました。
28歳で転職経験3回から4回になり、これを機に更新再開してみようと思ってます。
元々営業をしていたところ職種を変えて、30代いっぱいはこの仕事を極めていこうと思ってます。
コミュ障が紆余曲折ありつつ営業からジョブチェンジする理由を書いていきます。
(自分語り多めなので苦手な方は前のページに戻ってください…)
働いてきた会社と持ってる経験・スキル
くまは28歳になるまで3回転職してきました。
今回の転職で4回目です。
ジョブホッパーとギリギリ呼ばれるか呼ばれないかの瀬戸際ですね。(一部では呼ばれてますが)
業界が全てバラバラなので、浅くいろんな経験をしてきました。
経験した会社
・元国営会社のグループ会社営業(1年程度)
・日系Web系ベンチャー既存営業(2年程度)
・外資系人材会社営業(1年程度)
・外資系再エネ系メーカー営業(2年程度)
やったこと
・整備した車両の入出庫管理
・既存クライアントのフォローと追加提案
・新規/既存の電話営業(コロナ禍のため)
・接待ゴリ押し営業
・ブログ運用(およそ1年間の副業)
スキル
・ブログSEO
・英語
・営業
4月まで働いてた会社がどんな会社
直近までは、中国系のメーカーで働いてました。
外資なので日系より給料が良く、社外と社内の両方で英語を使える仕事だったことが魅力でした。
社長は売上に厳しいところもありつつ行動すれば評価してくれるし、一緒に働く上長や他部署の人たちとも定期的にランチをするような仲。
一応業界の中ではそれなりに知名度があるので新規営業はとにかくやりやすい。
外資なので英語を使う場面もそれなりにあり小学校までしかいなかったギリギリ帰国子女のKumaとしてはかなりありがたい環境でした。
ブランドのある会社で信頼感のある製品を扱うことのやりやすさを感じる会社でした。
なんで辞めるのか
それでも辞めよう、と思ったのは2022年の10月頃からの話。主な理由は以下の2つ。
副業(趣味)を本業にしたかったから
勉強半分、趣味半分で始めたブログが思いのほか続いたので、メディアづくりの仕事ができたらなあ、という思いが日々募っていきました。
正直、成り行きでメーカーの仕事に転職していて、そこまで熱量が高かったわけではありません。
人間関係は良かったけど仕事に打ち込めるわけではない、というなんとも中途半端な状態。
そこで副業を始めたいと思って、ブログを始めました。
めちゃくちゃバズったわけではないものの、平日におよそ毎日4時間も5時間も記事を書いていれば、それだけ作業自体にも愛着が湧きました。
営業よりも形に残る仕事だし、いっそのことこういう仕事を本業にしたいな、と半年ぐらい思っていました。
興味のない商材でゴリ押し接待営業を辞めたかったから
正直、コミュ障のくまにお客さんと仲良くなってゴリゴリ押す営業は厳しいものがありました。
よく言われていた言葉としては、以下のような言葉。
「お客さんと仲良くなった?」
「自分を売り込むんだよ」
製品自体は他社とそこまで大きく変わらないので、営業自身を売り込む必要性は頭では分かっていました。
しかしお客さんと仲良くなることの成功体験がないくまは、半分以上のお客さんと仲良くなるアクションができませんでした。
しかも、売り込む商材は個人的にどうでも良いもので、「やる意味」がよくわからない。
社会的な意義はそれなりにありました。
なぜなら再生可能エネルギーは世界が頑張って取り組まないといけないエネルギー問題を解消するもので、日本も再エネ比率を上げるという目標を(形上)持っているから。
しかし、死ぬほど興味がない。
死ぬほど興味がない仕事に対して、お客さんとの接待をするのはハードです。(お客さんは良い人ばかり、良くしてもらいました)
これだったら興味のあることにシフトしたいな、と1年経った頃から思っていました。
退職エントリを書いてて思ったこと
退職を決めた理由は、正直上の2つだけではありませんが、辞めようと思ったきっかけがどうしても「逃げだなあ」と自分で思ってしまいました。
まだ今のポジションで頑張り切れてない、周りができてることも全然できてないタイミングで決断したことに対して若干モヤっとする自分がいます。
最初の会社を辞める時、先輩にある言葉を言われました。
「次はすぐやめるなよ、辞め癖がつくぞ」
先輩、すみません。もう辞め癖ついてて、これからその癖を治そうとしています。
きっと連絡することも会うこともないとは思いますが、正直、今回初めて先輩の言葉が心の奥にズーンと響いています。
次は何をするのか+意気込み
とはいえ、もう退職してしまったし、5月から新しい会社で働き始めています。
当初の目的通り、Webメディアを作る仕事をすることになりました。
それも海外向けのものを作れる、願ってもないチャンス。
社内で英語を使うチャンスはあるし、メディア作りを0からできるので、このチャンスを最大限活かします。
そしてこれまでの社会人6年分のビハインドを取り戻します。