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「どうすればよかったか?」という問いがもたらしたもの

夫が「ある映画を一緒に見たい」と言ったのは先週のことだった。

映画のおおまかなあらすじや内容を聞いて、私は「いいよ」と返事をした。

日曜日。私たちはこの映画が上映している数少ない映画館へ足を運んだ。開始1時間前に着いたが、すでに座席は満席だった。
「補助席なら空いていますがどうしますか?」と聞かれたので「それでかまいませんので、2席お願いします」と夫が伝えた。館内に丸椅子を用意してそこに座れるようにしてくれるとのこと。静かな熱さを感じる。皆、この映画に何を求めてやってくるのか。

 面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。両親の影響から医師を志し、医学部に進学した彼女がある日突然、事実とは思えないことを叫び出した。統合失調症が疑われたが、医師で研究者でもある父と母はそれを認めず、精神科の受診から姉を遠ざけた。その判断に疑問を感じた弟の藤野知明(監督)は、両親に説得を試みるも解決には至らず、わだかまりを抱えながら実家を離れた。

 このままでは何も残らない——姉が発症したと思われる日から18年後、映像制作を学んだ藤野は帰省ごとに家族の姿を記録しはじめる。一家そろっての外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけつづけるが、状況はますます悪化。両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込めるようになり……。

 20年にわたってカメラを通して家族との対話を重ね、社会から隔たれた家の中と姉の姿を記録した本作。“どうすればよかったか?” 正解のない問いはスクリーンを越え、私たちの奥底に容赦なく響きつづける。

映画ホームページより

「(映画を見ていて)訪問(リハ)に行ってる気分になった」

映画終了後、夫がぽつりともらした。
それは、お姉さんの語り、ご両親の語り、この映画の監督である弟さんの語りのそれぞれが、私たちにとっては、遠い異世界のできごとでは決してなかったからだと思う。

私たちは作業療法士という職業に携わっている。そして私たちは精神科の病院や、精神科の患者さん、利用者さんと仕事で関わる機会がある。夫のもらした感想に対して私は「わかるような気がする」と一言返した。

上映が終わった後、近くの席にいた女性が立ち上がりながら「かわいそう」とつぶやく声が耳に入った。

「かわいそう」

その声は、映画の登場人物の誰に向けられたものなのか。

私はまた黙って考える。


誰がかわいそうだったのだろう。


私が一番印象に残っているのは、弟さんが姉に問い続けていた姿だ。

「お姉ちゃんはどうしたいの?」

「何か思ってることある?」

「怒っていたら怒っていいんだよ」

だいたいの場面で、姉は何も答えない。

視線はうつろで表情を変えない。
と思っていたら、急にばーっと早口で話し始めた。ことばにならないような、形をなさないことばの羅列をまくしたてながら、姉はどこかに歩いていってしまった。そして、また話しながら戻ってくる。言動が支離滅裂である。

彼女の思考や意思をそこから読み取ることは我々は難しい。おそらく弟さんも全てを理解することは難しいように思えた。

それでも帰省するたびに弟さんは問う。

「お姉ちゃんは何を思ってる?何したいの?」


出かける前にひとつ読み終えた本がある。

「病気であって病気じゃない」という本。

 精神科は実体のない病気を扱う診療科である。それゆえに、「病気である」「病気ではない」という判断をする場面で精神科医と患者はときにすれ違う。
 本書では、精神科診療における「病気」の概念を、さまざまな階層で述べていくことで、精神科医と患者の間で起きているすれ違いを臨床的に解きほぐしていく。
 そしてその先に、この「病気か否か」という二元論を克服することを提案したい。
 つまり、私たちが診ている人はいったんすべて「病気であると同時に、病気ではない」という概念を持ち込んでみる、という提案である。
学術と創作の境界が溶けゆく長い思考の旅へようこそ。

上記ホームページより

その人を「病気だ」という視点で強く見すぎたり、また相手を「病気ではない」という決めつけで関わることで、大事なものを見落としてしまうのではないかという作者の声が、私の中にゆっくりと沁み入った。

この本は人を「病気か病気でないか」という二つに分けるのではなく「病気であって病気じゃない」という一つの見方を持つことをおすすめしている。

私は今までの人生において、精神科でいわゆる病気となるような診断を受けたことはない。

けれども、私の中にある健康な部分と病的な部分というものは必ずある。あると思っている。


 特に精神科受診を今していない人も、いってしまえば「病気であって病気じゃない」わけです。私もそうです。すべての面において健康という人はいません。かならず健康な部分と病的な部分がある。ただ、社会において破綻せずに毎日を過ごしている人は、病的な部分をうまく隠せているだけで、なにかの拍子にそれが隠せなくなることなど全然あります。
 不調というのは、この誰もが持っている病的な側面が大きくなり、健康な側面とのバランスがとれなくなって、社会生活に破綻をきたした状態です。だから、突然「病気」が発症するわけではない。もとから持っているものが増幅しただけです。

「病気であって病気じゃない」尾久守侑著

 自分が今「病気じゃない」と思っている人は、では自分の「病気」の部分はどこだろうと考える。苦手なこと、こういう刺激に弱い、感情がかき乱される、人にいつも注意される、そうした部分がおそらく関係しているのでしょう(今現在具合の悪い人は考えないでください)

同著より

私はこの映画を見ながら病気である姉の「病気でない部分」を見つけようとしていた。

世間的にイメージされるような激しい統合失調症の症状を露わにしている彼女に対して、家族のそれぞれが彼女に「こうなってほしい」という希望を持って接しているように思えた。

両親は彼女の「病気である」側面を見つめなかった。病気であることを認めたくなかったのかなと思う。そのため、病院にもつれていかなかったし、最初に精神科の医師に言われたこと(健康で異常はないですと言われたとのこと)を、自分たちの解釈で理解し、それを信じ続けていた。

鍵をかけ、家に閉じ込めた。

「だって、出ていけると前みたいに外国に逃げちゃうから」
「警察に呼ばれたりするから」

自宅を内側から施錠し、姉を監禁していることを弟が両親に問うた時に、彼らはそのように話した。

両親は娘を愛していた。
美味しいものを食べさせ、家族旅行にも連れていった。論文の仕事を手伝わせた。姉の「まこちゃん」を可愛がった。

弟は姉が病気を持っているものと考え、受診するように両親を説得し続けた。それは叶わないまま数十年が経つ。母の認知症の症状が出て、父親が二人を持て余したタイミングで、やっとのことで姉の入院につながった。薬が調整され、そこから彼女は再び人と会話ができるようになった。

弟は姉を病気と捉えつつ、姉の病気でない部分に語りかけていたように思う。

「お姉ちゃんはどうしたいの?」と。

最後まで対話をし続けようとしていた。

そして、これを残しておくこと。

姉が生きてきたことを残しておく。

父や母が生きてきたことを残しておく。

自分がしてきたことを残す。


怒りも
悲しみも
愛も
やるせなさも
憤りも
よるべなさも
笑顔も
日々答えが出せない毎日も

ごろっとむきだしになったそのものを、それぞれが映画を通じて受け取ったのだと思う。

「どうすればよかったのか?」という問いに

「こうすればよかったのだ」と意気揚々と答えを語る人がいるならば、私は正直あまりその相手とは対話をしたくないと考える。

姉が亡くなった時。
父親が論文のプリントを棺桶の中の姉の胸に添えた時に、私はなんとも言いようのない苦痛な気持ちを抱いた。

「あぁ、あの世に行っても彼女には親の期待や論文がずっと追っかけてくるのだな、解放されないのだな」と感じてしまった。
一方でこうも考える。
姉の人生においては「論文」は姉を構成していた重要な要素でもあったし、姉と両親を強く結びつけていたのは、そのようなお互いへの期待や役割意識があったからこそであるのかもしれないと。

その全てを私が否定することができるのだろうか。

否、そんな簡単に言えることではないと今の私は考える。


パンフレットの最後のページに、自宅前の幼稚園が打ち上げた花火を、姉と父が顔を見上げて眺めている写真が掲載されている。

姉は花火や家族の写真を撮ったり、双眼鏡で花火を眺めたり、弟に向かってピースをしたりしている。
心がほどける想いになった。きっと、外側から見たら、滑稽ででこぼこしている三人の家族が、それぞれにあたたかく、それぞれに親密なその時、その瞬間を過ごしていたことを、私は忘れたくないなと思う。

この映画を見られてよかった。
自分の人生においても仕事においても、出会えてよかった映画だと私は思っている。

自分自身へも問い続けたい。

様々な場面で「どうすればよかったか?」と。

そして、早急に答えを出さずに、不安定で、不確実で、揺らぎ続けること。
問いと共に生きること。

社会の不条理な部分にきちんとケアで抗うこと。

そんなことを私はこの映画から受け取ったように思う。

このような機会を作ってくれた夫にあらためて感謝したい。


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くま
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