週末のお買い物と私たちにとってのシャンプー
週末になると買い物に出かける。
買い物にはだいたい夫がついてくる。
「重たいものを運ぶ人がいた方がいいだろうから」といつの日か話していたが、彼はそんなことを心配してくれるような人だ。
私はフルタイムで働いているので、おおよそ1週間ぶんの食料を買い込む。買い物が終わった後は、買い物袋3つぐらいの量にはなるので、確かに重たいといえば重たいのだ。
個人的な見解だが、スーパーはあまり広すぎない方が好ましい。なんでもかんでもたくさんそろっているより、適度に小回りできて、商品の配置を覚えている方が良い。
ある利用者さんのおばあちゃんは「あそこのスーパーはすぐ売り場の位置を変えちゃうから本当に嫌だ」と話していたが、その気持ちは充分わかる。売り場の位置の把握は重要だ。先日もリハ中にその方に共感しまくっておいた。
買い物は自宅から近いところを選ぶことが多い。
各店舗の特売日を本当は把握しておいて良いのかもしれないが、買い物に行ける日が比較的限定されているので、あまりそのあたりは気にしてない。
夫とスーパーに到着すると、カートを使って私はいつも野菜売り場から回り始める。そのタイミングで夫は「〇〇を見てくるから!」と言って離れていく。〇〇には「洗剤」とか「お酒」とか「牛乳」とか、少し先の売り場にあるものの単語が入ってくる。
こうして、売り場を放浪してきた夫がたまに私と遭遇し、見つけてきた商品をカゴに入れて、また売り場へと旅に出ていく。
行ってかえって、行ってかえって、の繰り返しである。
私はいつもブーメランみたいだなと思っている。
おじさんブーメラン。
ごっついおじさんは絶対私の元へ帰ってくる。100発100中である。
遠くから見ていても私の夫は目立つ。体が大きいし、のそのそ歩いている。その姿を見て「あ、また帰ってきた」とか「あ、私を探してるけど見つからないんだな」などと思ったりする。
持ってきた物の中に「じゃがりこ」や「コグミ」が入っていると、これは息子に買おうとしているのだなということがすぐわかる。
子煩悩とは彼のことである。
彼はいつでも子供のことを思っている。
最近「あと何年かしたら2人とも家を出ていってしまうのか」と寂しがっているようなことを言ったりする。私は「それは仕方のないことだよね」となんともつれない返事をするのだが、夫はたぶんそんなことばを聞きたいわけでもないのだろう。
独り言のようなものだ。
私がどう返そうがあまり夫は関係ない。
私はただそれを聞いていることが大事なのかもしれない。
話を元に戻す。
セルフレジにたどり着くと、夫との役割分担が始まる。
バーコードをスキャンするのは夫。
商品を袋に入れるのは私。
夫は構成能力がやや劣っていると自身でも自覚している。整理整頓が苦手なタイプである。
私も袋にうまく収めるのは得意ではないとは思っているが、袋づめはコンビニバイトの経験などもあるため、ある程度入れる順番を夫よりは考えることはできる。
会計を済まし、終わって車に帰る時に、私は「シャンプー」と話した。
行きの車でも「シャンプー」と私は口にした。
その日はスマホに買い物メモもしなかったので、たびたび口に出して買うことを忘れないようにしていたのだと思う。
夫はそれを聞いて
独特なイントネーションで
「シャンプー」
と言い放った。
私は「Aさんだ!」とすぐに人名を答えた。
Aさんは、私と夫が以前勤めていた施設に長く入所されていた高齢の女性利用者さんのことである。
彼女は脳卒中発症により、高次脳機能障害や意識障害が強く見られる方で、リハ中もぼんやりとしていることが多かった。
その方はよく「シャンプーシャンプー」と突然脈絡もなく話した。
私たちはそれを聞いて「シャンプーとは?」と頭の中がハテナでいっぱいになった。
シャンプーをよく使う職業だったのか?
否、彼女は亭主と本屋さんを経営していた。
シャンプーを欲しているのか?
お風呂には施設で週2回入っていたので、彼女がシャンプーを購入すべき機会はないはずだ。
そんなシャンプーの謎もあっけなく答えがわかったのは、娘さんが面会にいらした時だった。
「ああ、シャンプー!
うちの昔の飼い犬の名前です」
なるほど〜
無事解決!
そのAさんが話す
シャンプーのイントネーションを私たちは忘れていない。
私たちは同じ職場だったからこその、共有していた体験がある。
「シャンプー」と聞いて、まさか犬のことを思い浮かべる人も少ないのだろうし、シャンプーとたびたび話す女性のことなんか、普通の人は思い出さないとは思う。そもそもそのシャンプーと会ったこともないので、どのような犬なのかも見当もつかない。
ことばというのは不思議なもので。
概念やそこにまつわるストーリー、連想されるイメージが、本当に人によってひとりひとりが違う。
独特なイントネーションで始まる私たちにとっての「シャンプー」は間違いなく、彼女の思い出も付随しており、彼女の白髪に淡く染められたおしゃれな紫の髪の毛や(娘さんが美容師さんなので、定期的に染められていた)
彼女の眼鏡の縁取りの赤さや、彼女のだらんとした右側の筋肉の弛緩した感じ、表情は少ないが彼女の夫が面会に来た時のやや高揚した笑顔なんかは覚えている。
私はやはり独特なイントネーションの「シャンプー」をつぶやきながら、夫に「隣のドラッグストアで買ってくるね」と伝えた。
『夫婦で同じ職場で働くって大変じゃない?』と今までの人生で何度か他者に言われたことがある。
もちろん大変さはある。ないとは言わない。
けれども、私は思う。
私たちにしかわからない「シャンプー」のような思い出を、ことばで説明しなくとも共に思い浮かべられること。
これは、意外とおもしろいことであるかもしれないなと、ふと感じながら、私は1人ドラッグストアに向かうのだった。