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光の粒とサンタが来た日【創作】

クリスマスツリーを眺める人たちは、きっとどこかの誰かに想いを馳せるのだろう。

吐息は白く、手がかじかむ。
はーっと口を丸い形にして息を手に吹きかけたが、大してあたたまらない指先に早くもあきらめを感じて、コートのポケットに無造作に突っ込む。もう片方の手で襟のハイネックの部分を首にしっかりと立ち上げて、頬にはりつく冷たい風を受けながら繁華街を一人ゆく。

歩みを進めながら目を細めると、背の高い街灯とこの時期にだけライトアップされた街路樹のイルミネーションが滲んで、光の粒になり、世界の境目が曖昧になって溶けそうに見える。

信号で目をつぶって立ち止まった。
「......あいつ、マジやばくね?」
「......この前のLIVEがさー」
「はい、大至急伺います」
「このあとって、お店......」
さまざまな人の声が先ほどより大きく響く。どこかでパトカーがサイレンを鳴らしはじめた。メイドカフェのティッシュ配りの甘ったるい声や、性急さが伝わるウーバーイーツのバイク音、駅前のモニターから流れる薄っぺらい歌詞の恋愛ソングが、頼んでもいないのに耳に無遠慮に流れ込んでくる。じゅんはワイヤレスイヤホンを忘れたことを後悔していた。

だれが悪いひとで
だれがいいひとかなんて
だれが言えるのさ?

小さい頃に母親が買ってくれたピーナッツのコミック本に書かれていたセリフがふと思い浮かんだ。
潤の母親は、幼い潤にたくさんの本を買い与えた。この時期はイエス・キリストの伝記、ポップアップの仕掛け絵本、星の王子さま、クリスマスキャロルなどが本棚に飾られていた。

十二月に入ると、潤は決まって午後三時に、壁に飾ってあったアドベントカレンダーをそっとめくってお菓子を取り出す。キャンディの包み紙をはがして口にほうばると、レモンミルクの甘酸っぱい味が広がる。テレビ画面に映るナイトメアー・ビフォア・クリスマスのジャックを眺めて、勘違いしているこのあわれな骸骨に本当のクリスマスを教えたくてたまらなくなった気持ちを毎年抱いていた潤にとって、クリスマスは他の子となんら変わりない、幸せな冬の行事の一つだった。

あの日、父親が家を出て行ってしまうまでは。


辿り着いた八階建てのビルは、側面にギラギラした趣味の悪い看板が主張激しく輝いていた。カラオケ屋、クリニック、サラ金業者などが入っているこの建物は、ニ階から三階が居酒屋だった。ここのアルバイトは、元々は潤の高校の友人が働いていたのだが、彼は秋頃から他のバイトや最近できた彼女とのデートやイベントに忙しく、都合がつかない時間帯に潤を助っ人として遠慮なく呼びだした。

「間違いなく、僕、いい人やん」


自分で自分をなぐさめながら、ビルに入る前に無意識に後ろを振り返ると、目の前には大きなクリスマスツリーがそびえたっていた。駅前広場の真ん中で、赤や金や青で飾り立てられた堂々とした大きなクリスマスツリーのまわりには、その近くで待ち合わせをする人、カメラを向けて撮る人、ツリーを眺めながら談笑する人たちで賑わっていた。

「あほくさ」

潤はぼそっと小さくつぶやいた。
そのつぶやきは彼なりの世界への抗いだ。
ふと横を見ると、一人の男性と目が合った。

男性は潤が振り向く前から潤を眺めていたようだ。冬にしては薄着の彼は、無精髭が生えており、衣服もややくたびれた印象を受けた。年の頃は50〜60代くらいに見えたが、無精髭のせいか年上に見えるだけなのかもしれない。片手にワンカップの空瓶を持ちながら、壁にもたれてしゃがんでいたが、彼は目が独特で、潤はすぐさまに彼の瞳から目を逸らすことができなかった。

思い直して、ビルのエレベーターのボタンを押す。エレベーターに潤が乗り込んだあと、男は再びクリスマスツリーに視線を向けた。

しばらくして、潤がぶかぶかしているオーバーサイズのサンタのコスチュームを着て、エレベーターから降りてきた。

人生で一番自分から遠ざけたいはずの記憶のイベントに、なぜここで向き合わなければならないのだろう。

はぁとため息をつく。バイトを頼んだ友人にどんな償いをしてもらうかという思案に、頭をいじわるな方向にフル回転させながら、潤は気持ちを紛らわした。

彼の仕事は、居酒屋のクリスマスメニューの宣伝、客の呼び込みであった。嫌だとは言いつつも、潤の真面目な性格がバイトにも充分に発揮され、人に良い印象を与える絶妙な笑みや距離感を作りながら、道ゆく人に声をかけた。

いつもはメガネをかけている。バスケットの試合中でもだ。それが、このバイトのためにきちんとコンタクトを入れてくるあたりが、我ながらおそろしいなと潤は己のあり方に自覚をしていた。
手足もすらりとしていて、部活動で鍛えた筋肉もそこそこついており、さらさらとしたマッシュの黒髪は派手さはないものの、潤は黙っていれば人目につくような好青年だった。お店にまとまった数のお客さんを入れた手応えを感じた時、彼はまた背後から危うい視線を感じた。

さきほどの男性がこちらを見つめていた。よく見ると顔色が悪く、視線がはっきりとしない。

「あの〜......もしもし?」

単なる酔っ払いかと思っていたが、途中から潤はなぜかこの男がホームレスであることを確信していた。彼の体は氷のように冷えていた。この寒い夜の街で薄着で過ごしていたら、この先ますます体は冷えてしまう。

「おっさん、こら、こんなところで寝たらあかん。ほら、これ着といてな」

潤は自身が着用しているサンタの衣装を脱いで、その男に着させた。

「これ、しっかりもむ!ホッカイロ。ポケットにでも入れたらええで」
「寒い夜に何してんねん。酒くさ。あほか。困ったおっちゃんやな」
「こんなところでくたばってもらっても、僕困るねん」

お酒の匂いは得意ではない。しかしそんなことを言っている場合ではない。潤は意識してあえて男に声をかけまくった。彼はあまり反応がなく相変わらず目はうつろだ。

喋ることがなくなってきたが、潤は勝手気ままに独り言をつぶやき続け、最後にぼそっと口走った。

「この世での悪い人、いい人ってのは、誰が決めるんや」

その頃には男性の意識は徐々にはっきりとしてきたようで、体もあたたまってきていた。

男は潤の顔を見つめて急ににかっと笑みを浮かべた。
「にいちゃん、やさしいなぁ」
「あれ?俺気づいたらサンタになってる?なんで?」
男は急に豪快に爆笑し始めた。潤は呆気にとられあきれていたが、男が元気になってホッとした様子も見せていた。

そこから潤のバイトのシフト日に、二人は謎の時間を共に過ごすことになった。

「なんでこんな甘い恋人同士の季節に、身元も不確かな酒臭いおっさんと過ごさなあかんねん」と友人の星一にももらしたが、星一はただ笑って「いや、潤らしいよ」と言うのみであった。

潤はサンタのコスチュームを毎回男に着させた。
「僕よりおっさんの方がよっぽどサンタさんは似合ってんねん」
「ほら、僕の代わりにしっかり働いて!」
「お客さんつかまえんと、僕が店長に首にされてしまう。そんなのごめんやわ」
コスチュームを着せるのは、いつも同じ格好をしている薄着の彼への潤の配慮であり、男もそれを理解して受け入れていた。厚めのコスチュームで若干彼の寒さはしのげたようだ。男性はへらへらした表情で潤に負けじと反論し始めた。
「おっさん、おっさんって人を毎回おっさん呼ばわりして、俺は山崎っていう立派な苗字があるの。だから、にいちゃんもそう呼んでくれよ」
「酒くさ!知らんわ。おっさんはおっさんや。そういうおっさんも僕に名前があること知っとったか?おあいこやな。人のこと言えへん」
山崎はワンカップの残りを飲み干し、潤の頭に視線を動かしながら立ち上がった。
「名前はきのこくんでいいの?今の若い子はみんなそういう髪型してるよね。俺にはコボちゃんにしか見えないなぁ。コボちゃん知らないだろう、若僧だもんな」そう言って、山崎は道ゆく人に声をかけはじめた。酒くさいサンタがどこにおるねんと心の中でツッコミを入れながら、潤はおっさんこと山崎が酔っ払って転倒しないように、近くで彼の行動を見守った。

彼とはバイトの度にくだらない漫才のような会話を繰り返した。目の前の人通りを眺めては、お互いにあの子がタイプで好みだとか、親子の顔がそっくりだけども連れている飼い犬もそっくりだとか、どうでもいい会話をしながら時間は過ぎ去った。
その中で少しずつ彼の身の上話のようなものも、断片的に聞くことができた。彼がホームレスになったのはここ最近の出来事であること。都会ではなかなか寝床が探せないこと。ベンチの形が変わって、横に寝ることができなくなってしまったこと。駅の地下街も追い出されてしまうこと。図書館や公民館のコミュニティスペースもすぐ閉まってしまうこと。最初のうちは漫画喫茶で寝泊まりしてたこと。やけになって競馬を始めたらあっという間にお金がなくなってしまったこと。

お酒がやめられないこと。

「体があたたまるし、飲み始めるとなんだかどうでも良くなるんだよなぁ」

とうとう、25日のアルバイトを迎えた。

このサンタのバイトはこの日が最後であった。

そのことは、潤は事前に山崎に伝えていた。

明日からは店内の仕事に戻る。潤の友人も色々なものが一区切りつきそうなので、潤のバイトの回数も今後は少なくなっていくはずであった。

山崎は「ラストサンター!」とつぶやいた。
「なに、そのラストサムライ!みたいなやつ。おもんな!」と潤はつっこんだ。

二人は壁にもたれていた。

カップルがブランドのバックや買い物袋を抱えながら楽しそうに前を通り過ぎて行った。大きなトラックの宣伝車が韓流スターのクリスマスソングを大ボリュームで流しながら過ぎ去った。きらきらのイルミネーションもクリスマスツリーも今日で全部見納めだ。

「君のおかげで、俺も前に進めそうだ。NPO法人の支援を受けられることになったからさ」

そう言って山崎はポケットから古ぼけた鈍く光る銀色の物体を、おもむろに取り出した。

「人とたくさん話したのも久しぶりだったな。俺からのお返しと言ったらあれだが、一つ聴いてくれよ。酔っ払って手もかじかんでてうまく吹けるかわかんねーけど」

彼は銀色の物体であるブルースハープを口に当てて、音を確かめるように吹き始めた。

旋律は頼りなく、街の喧騒で聞き取りにくい箇所も多かったが、潤はそれが何の曲かすぐにわかってしまった。

その曲はジョンレノンの「スターティング・オーヴァー」であり、潤の父親がよく自宅のレコードでかけていた曲でもあった。

「久しぶりすぎて、うまく吹けなかったなぁ。青年には何の曲かわかるまい」と相変わらず豪快に笑う山崎を潤は直視できなかった。

さまざまな感情が胸のうちをめぐる。
かみさま、どこまでも僕を試してるんやね。
潤は彼から目を逸らしたまま「スターティングオーバー」とだけぽつりとつぶやいた。

そのあと、意を決したように山崎に伝える。
「お父ちゃんが好きだった曲。僕のお父ちゃん、クリスマスに家出て行ってんねん。浮気して、僕とかあちゃんを家に置いてって......もうずっと会ってない」

山崎はブルースハープを潤の手に渡した。
「俺も、女房と子供が出て行ったのはちょうど一年前。だから、正直クリスマスを迎えたくなかった。このまま、この冬と共に世界からおさらばしてやろうかとも思った。たくさん後悔してる。でも変わったことは受け入れていかないとね」

山崎の目線の先には山崎の薬指が伸びていた。ちょうどその指の根本には5mm程度の日焼けしてない部分が残っていて、憂うような独特のまなざしで彼は見つめた。

しばらくすると、山崎は潤の方へと振り向いた。そして、いつもの笑みを浮かべて、あるセリフを力強く言い放った。

「俺が間違いなく言えるのは
君はいい子だってこと」

「潤はいい子だよ。決めるのは俺でいいだろう?ぶっきらぼうで、変な関西弁で口は悪いけども、ちゃんと人を思いやれる確かな奴だよ。じゃなきゃ、こんな酔っ払いのホームレスは今頃どうなっていたのか......」

「アホか......このおっさん......!」

潤の頬には涙が光っていた。
山崎はそれに気づくと、潤の肩を軽くたたいてぎゅっと抱きしめた。

「サンタクロースからの贈り物だ。メリークリスマス!ラストサムライ!ブルースハープも君にやろう!出血大サービス!」

「なんでおっさんが吹いた小汚いハープを僕がもらわなあかんねん」

潤は彼から離れて、まっすぐ見つめ返した。

「......でもな、せっかくだからもらっといたるわ。また会ったらスターティングオーバーを吹いてな」

「もっと上手くなってないとあかんで、山崎さん」


二人がにやっと笑い合ったタイミングで、どこかからか歓声が上がった。
広場の大道芸人がたくさんのギャラリーに囲まれていて、高く高くトーチを夜空に放っていた。大きくくるくるとダイナミックに回転した炎のゆらめきは、残像のようにまぶたに光の余韻を残した。

潤は目を開いて、はじめてこの世の光という光を目に焼き付けたいと思った。

夜空の星も
クリスマスツリーの電飾も
街路樹のイルミネーションも
下品な電飾の看板も
トーチの炎も
ブルースハープの鈍い金属面も
山崎の目の奥のゆらめきも
何もかもが

心に刻まれ、残るように自然と願い、祈りを捧げた。
そして、彼らは街の喧騒に光の粒となって溶けていった。それは合わさって大きな光となって、いつまでも美しく街を、世界を照らし続けていた。



おわり



このお話に出てくる脇役の「柴野潤くん」のお話を書いてみました。
潤くんのお話はこの回。

このお話を書いた理由は、彼のさみしいクリスマス観に違った光を当ててくれる人がいるといいなと思ったからです。これが私からの潤くんへのクリスマスプレゼントかな。

作中出てくる曲


なんとなくイメージしてる曲


読んで頂いてありがとうございました。

明日からそれぞれのクリスマスが過ごせますように。

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くま
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