それは電柱ではありません
訪問先によく猫がいる。
金曜日は3件のおうちで猫を飼っている。1日の訪問が7件。7分の3。約半分。
みんな元野良の子たちばかりだ。猫を飼ったことがないから猫の生体に詳しくない。飼ったことがないのは、猫自体は好きだが私自身が猫アレルギーだからである。
しかし、この訪問の短い時間で接していても感じたことは、彼ら彼女らは本当にマイペースであるということだ。その点、犬は人間の動きを常に気にしているような気もする。
散歩のリードを持ったら最後。「散歩行くの?ねえ散歩行くの?散歩だよね!」と尻尾を振りながら満面の笑みで寄り添ってジャンプしてくる。
嬉しさの表現力半端ねぇ!と思う。
私が甘いものを食べている時もかなり嬉しそうだと今まで色々な方に言われたことがあるが、それをしのぐ表現力であると言って差し支えない。
話を戻すと、いつもはカゴの中で寝そべっている魔女の宅急便のジジに似ている黒猫ちゃんが、その日は私にものすごくアピールをし始めた。
まず、私の体にするんと体をなすりつけてくる。黒い毛並みがきらきらつやつやしている。
そのあと私の顔を見て、ゴロンと仰向けになり、お腹を見せる。私は利用者さんのストレッチをしながら、合間で猫のお腹をなでる。
やめると「え?もう終わり?」みたいな顔をしている。
「そうだよ、お前のお腹をなでに来たんじゃないのよ。私はお仕事があるんだ」
と私は猫に話しかける。そして、ストレッチを再開する。飼い主は後遺症によりことばが話せなくなってしまった方で、そんな私たちのやりとりを見てにこにこしている。
猫の体温が手のひらに残っていた。
運転しながらハンドルと違った、あの猫の感触を思い出す。
あたかかくて
うごめいていて
小さくて
やわらかい。
帰ってから洗濯を畳んでいて、ふとあたたかいあの生き物のことを思い出した。
亡くなってからはや6年。
うちの飼い犬だったハナのこと。
彼はトイプードルで、私たちが結婚したばかりの頃に、店頭での元気な様子に一目惚れして家で飼うことになった。
よくジャンプをする犬で、たまに着地をし損ねてずっこけたり、走りまくってフローリングの上でブレーキがきかずに椅子に追突してしまったりと、どこかまぬけというか、愛嬌のある子だった。
おまぬけエピソードの中で一番驚いてしまったのは、お正月に初詣に出かけた時のこと。私たちは地元の神社に参拝をするために、長蛇の列に並んでいた。その日はハナもリードをつけて、散歩がてら共に神社に連れてきていたのだ。
一緒に並んでいた私の両親は、地元の知り合いも多く、行き交う人たちから、何組かに声をかけられて「明けまして......」と新年の挨拶を交わして忙しそうである。私たち夫婦は、長い行列の退屈さを持て余して会話をしたり、神社の景色を眺めたり、人間ウォッチングに勤しんでいた矢先。
「あ!」
と夫が声を上げて、リードをぐっと急いで引っ張った。
引っ張られたハナが、驚いた顔をしてこちらを見る。私は「どうしたの?」と尋ねた。すると、夫は「前の人の着物におしっこかけようとしてた」と話した。
前の女性は灰色の着物を着ていた。
「お前な、あれは電柱じゃないんだよ」
夫がハナをたしなめている様子を見て、私は笑いが止まらなかった。くくくく、確かにちょうど電柱のようにストンと立っていたものね。危ない危ない、弁償代高いぞーと、うちの両親たちも笑い顔だ。
洗濯物を畳んでいると、よくハナがちょこんと畳んだ洗濯物の上に乗っかってきたことを思い出す。
首をかしげて、私を見る。私が「これは洗ったばっかりだし、赤ちゃんの着てるものだから、乗っちゃだめだよ〜」とハナをどかすが、こりずにハナは何度も洗濯物の上に乗るのだ。
そして、しまいには彼のお気に入りのイボイボがついた小さなボールをくわえて、ポンと洗濯物の上に乗せる。私が「だめだってば〜」と遠くへ投げると喜んでボールを追っかけて、また口にくわえたボールを乗せてくる。この繰り返しを彼を好んだ。
子供が産まれて、自分にかまってくれる時間が少なくなった彼からの、せいいっぱいの私への甘えだったのかもしれない。
もっと遊んであげたかった。
もっといろんな場所に連れて行きたかった。
もっと早く苦しいことをわかってあげたかった。
後悔も楽しいことも、あのぬくもりも全て。
私はまだ忘れてない。
彼のビー玉のような黒い瞳と、やわらかなうす茶色のほわほわとした毛並み。
あたたかい体温が愛おしい記憶を呼び起こす。
今はもう会えないものたち。
呼び起こした気持ちや、巡ってきた感情を、これからも大切にして生きていきたいと思う。