まざる、きえる、とける
さあ、何を書こうかなと思う。
私は私に「記事を書くこと」を課してみる。
しばらく書き続けようかなと、思う。
それに関して理由はない。
そうしようかなと思っただけだ。
今日は初恋のあの日の話でもしてみようかな。
初恋なんてはっきりしたものじゃないけど、私は中学生の頃、気になる人がいた。
まわりの子は誰が好きだの、先輩がかっこいいだの、あの子とあの子が付き合ってるだの、恋や愛の話をよくしていた。
私は置いてけぼりのペンギンのように所在がなかった。
誰が好きだので胸が苦しくもならないし、かっこいい先輩はどこがかっこいいのかよく分からなかった。
誰と誰が付き合ってようがあまり関心もない。
ぽつんと離れた氷の上で、みんなの群れをながめては
UAの新曲の事や
スーパーマリオRPGの攻略法や
友人宅のお寺に住み着いているノラ猫たちの事など
とるに足らないくだらないことばかり考えていた。
それでも、集団生活とはそのように離れてばかりもできないので、私はあまり速くもない急足でえっちらおっちらと群れに合流して、何とか輪を乱さないように毎日やり過ごしていた。
気になる人は、文化祭で私と同じ係になって放課後一緒に残っていた男の子だった。
今でこそ差別用語になるが
彼の当時のあだ名は「おかま」であった。
理由はおそらく
女の子みたいな名前だったから
そして、比較的ことばづかいがきれいだったから
あと、ピアノが弾けたから。
「おかまー」と言われた彼は、いつも笑顔だった。時には美川憲一になりきって「おだまり、おどきなさい」と愛想を振りまいた。
頭のいい彼は、誰に対しても穏やかだった。
私はめずらしく「この人とは 普通 に話せる」と思った。
ふつう
という概念がよくわからなかったが、とにかくそう思ったのだ。
緊張せず、無理にテンションも上げずに他愛もない話ができることは、この年代の男子の中で私にとって「奇跡」だった。
その日も私たちは、放課後の時間に、体育館の壁にかざるモザイクアートの仕上げをしていた。
メンバーは私と友人の小田ちゃん(仮名)と彼。
小田ちゃんは私の友人で、流行りと噂話と恋バナとちょっぴり陰口が好きなスタンダードなタイプの女子だった。
「ねえ、もうあきちゃったー」
と小田ちゃんはふてくされた顔を見せる。
「ちょっと他のところ見てくるねー」と悪びれずにサボり始めた。こういう事をされてもなぜか憎めないところが彼女にはあった。
彼と2人になる。
「小田ちゃんはしょうがない人だねーいつも通りだけどね」と彼がつぶやく。
「〇〇さん(私の名前)はいつも大変だ」となぐさめてもくれる。
私たちは雑談をしながら作業を続ける。
私は知らないうちに折り紙をはりつけている彼の指を見つめていた。
この指であの美しいピアノのメロディを奏でることができるのだなぁと
ぼんやりと考えていた。
そして、ある日
「このまま時が止まらないかな」と
なんとなく思っている自分に気がついた。
帰る時間が来ない事を祈っていた。
けれども時間は訪れる。
玄関で生徒たちが帰り支度をする。時刻は20時。普段よりだいぶ遅くなってしまったので、先生方を中心にお互いに点呼を取り合っていた。私は学校にこんなに遅く残ったのが初めてであったので
心なしかやや気分が高揚していた。
外の暗さに驚く。街灯の灯りが少し離れたところににじんでぼやけて見える。ひんやりとした秋の風が昇降口に入り込む。後ろを振り返れば、暗いひとけのない廊下がいつもと違った雰囲気で存在していた。
この日で文化祭の準備は終わりを迎えていた。明日は本番。
その日は朝方雨が降っていたことを誰かが思い出す。
私たちは傘を忘れないように声をかけあって、傘立てから傘を引っこ抜いた。
その時だった。
彼と私の傘が同じことに気づいたのは。
そして
気づいたと同時に
私の心は
嬉しさのリミットが
ある地点を超えてしまった。
私はそれを伝えたい衝動にかられて
思わず顔がほころんだが
そこで何もことばを発することができなかった。
そのかわりに、私は彼の顔を見た。
彼はいきなり私が見つめてきたので、
よくわからないなぁという表情も交えながらいつもの笑顔を返してくれた。
こんなこと伝えてもしょうがない
私の嬉しさは所詮彼には伝わらないのだ。
傘がたまたま同じだっただけ。
ただそれだけだ。
私と彼は違う人間だ。こんな気持ち共有できるはずがない!
私は帰り道ぐるぐると考え続けた。
ただ「言わなくてよかった」と、それだけを思い出していた。
時は過ぎて...
私はたくさんの好きなものや好きな人に出会うことができた。
私はそのようなものたちと同化できないかなとたまに考えていた。
しかし、近づけば近づくほど遠のく感覚があった。
ラブレターにも書いたが「溶け合えないかな」と本気で思っていた。
溶けさせてほしいと懇願したこともあった。
けれども願いは叶わない。ますます境目を感じるのだ。
ドレッシングはしゃかしゃかと振ると中身が混ざるが、しばらく経つと油と水分が離れて分離する。
分子間力というやつだ。酢と油は分離する。
混ざった気持ちもドレッシングと同じようにしばらくすると沈殿してはなれてしまうような気がしていた。
ドレッシングと同時に、私は「マーブリング」も思い出す。
「マーブリング」は「スパッタリング」と共に私が美術部に入部した時に最初に習った技法だ。水の入ったバットにマーブリング液を垂らすと、水面に色が広がる。そのあと、筆などでゆっくりとかき混ぜると、色が水面上を渦巻きのように移動する。そこに紙をそっと落とすと、その模様が紙にうつる。
水面の色は筆でかき混ぜすぎると跡形もなく消えてしまう。
ゆっくりと、一混ぜで程良い。
その頃合いが一番美しく色を捉えられる。
全てはそんなものかもしれないな、と思う。
それでも、私は今
傘が同じであった事を
あの紺色の傘が同じ高さで同じ形だった事を
伝えてみたいと思う。
分離しても、消えてしまっても
それでもいいから
しゃかしゃかと混ざるように力を加えたい
混ぜ過ぎて消えてしまっても
その一瞬の美しさだけでも
捉えられたらと
今の私はそんな願いで日々を生きている。
まぜて きえて とける
形がみえなくなっても
その一瞬の刹那でつかんだものを
シャッターを切るように
私の心の中のアルバムをあちらに行く時に思い出せるように
例え気持ちが共有できなくとも
伝えたい
傘が同じであった事を
伝えられるように
私は
自分のことばや気持ちを繰り返しなぞりながら
なぞった曲線を何度も確かめて
より自分に近いものを見つけられたらと
そう願って悪あがきをしているのだ。