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また、ここから、のステーキ
私と夫にとって、大事な大事なステーキ屋さんがある。
そのお店との出会いは、かれこれ20年ほど前。
私は当時、専門学校に通っている学生だった。その期間は、都内の病院や高齢者施設で実習を受けることになっていたが、病院も施設も私の自宅からはだいぶ離れていた。毎日通うことが難しかった私は、叔父の好意で都内にある叔父の事務所を間借りしていた。
事務所の場所は「入谷」という地名で、最寄り駅は鶯谷駅となる。
近隣には合羽橋といって全国でも有名な問屋街があったり、もう少し足をのばすと外国人客にも人気の「浅草」の街並みが見えた。
私は実習がお休みの日は、自転車にまたがって、積極的にまわりの街を散策しまくっていた。
上記であげた、合羽橋、浅草はもちろん、もう少し遠出すると上野の動物園や美術館、アメ横などもあったので、若くて好奇心も旺盛だった私は、勉強そっちのけで東京という街並みや風景を楽しんでいた。
当時同じ学校に通ってお付き合いをしていた彼も、浅草の街を私と一緒に楽しみたい気持ちがあったようで、彼は実習の合間に私のところへやってきては、意味もなくあてもなく二人でうろうろと街を歩き回っていた。
その日は「浅草花やしき」という浅草寺の近くにある遊園地のあたりを、二人で歩いてた。
遊園地を囲っている壁の上にひっそりと見える、レトロで歴史のある乗り物たちや、昔懐かしい佇まいの銭湯、雑多な雰囲気の花やしき通りなどをひやかしながら、狭い路地を歩いていたところ、あるお店を見つけた時に彼は「このお店はもしかして!」と驚きの声をあげた。
そのお店は「ミスターデンジャー」といって、「ミスター・デンジャー」の異名をとったプロレスラー、松永光弘氏が経営するステーキハウスであった。黄色の大きな看板には松永氏の似顔絵と思われるイラストが迫力たっぷりに描かれていた。
私の彼は、生粋のプロレスファンであった。
以前からこのステーキ店の事は気になっていたようだが、その日、気ままに歩いていた私たちは偶然にしてそのお店を発見してしまったのである。
「僕はここのお店のステーキを前から食べたかったんだ。まさか、今日見つけることができるなんて思ってもみなかった。まだ、お店は営業時間外みたいだから…….あとで出直してここのステーキを一緒に食べよう。」
普段はあまり感情を露わにしない彼から、とても嬉しそうな様子がひしひしと伝わってきたので、私は彼の提案を快く承諾した。
私たちは、夕刻に再びそのお店まで足を運び、店内に入った。
店舗はビルの建物の1階と2階のスペースがあり、1階はカウンター席が8席。2人掛けのテーブル席が1つ。2階は4人掛けのテーブルが3つ用意してある。
私たちは、1階の2人掛けのテーブルに座った。
カウンターとの距離が近く、店員さんが調理している姿が至近距離で見える。じゅうじゅうと肉の焼ける音が聞こえる。煙が立つ。おいしそうな匂いが漂ってくる。お腹がなってしまいそうになる。
カウンター席には男性客が多く座っており、女性客は私だけであった。
彼は悩んだ末に、1ポンドのステーキ、私はステーキがどんぶりに乗っかっている「デンジャー丼」を注文した。
注文してから待っている間に彼は、自身が知っているプロレスの話や松永氏の過去の試合などについて私に語りだした。彼は自分の好きな分野の話になると饒舌になり、とても楽しそうなのだ。私は話の内容というよりも、彼が楽しくお話しする姿が好きだったので、同じような笑顔で相槌を打つ。
注文してから思った以上に早く、ご飯やスープ、サラダが運ばれて、そのあと、お待ちかねの夫の注文したステーキが、鉄板にのった熱々の状態でやってきた。
デンジャーステーキの特徴は、なんといってもそのお肉のやわらかさである。
松永氏が自ら調理場に立って提供するステーキは、特殊な仕込みを経て、独特のやわらかさを持っている。
私も彼も先ほどとうってかわって、静かに黙々とステーキを食べる。
この日から、私たちはたびたびこのお店を尋ねるようになった。
座る場所は初めて座った「2人掛けのテーブル」が定番となり、メニューも私たちは最初に頼んだものを飽きずに頼み続けた。
彼は自分の元気を出したい時にデンジャーステーキを食べたいと希望することが多く、私もできる限り一緒に同行した。
その後、私たちは結婚した。
結婚とほぼ同時に就職もした。
初めてのお給料をお互いにもらった日に、私たちはやはりあのお店に足を運んでいた。浅草の夜。おいしいステーキ。高揚してはしゃぐ私たち。
きっと、この時は、これからの結婚生活をすごしていく上で、夫は自分を奮い立たせていくためにステーキを食べて、ステーキから元気をもらいたかったんだと思う。
そういうお店だった。
元気をもらえる。
活力をもらえる。
そして夫にとっての「プロレス」という存在は、自身を鼓舞するためのパワーの源となっている大事なかかせないものであることは私も肌身で日々感じていた。私にとっても「プロレス」は大好きな彼が元気に過ごしてもらうために大事なものであった。
しかし
私たちの節目と共にいてくれたステーキ店には、ある日を境にぱったりと行かなくなってしまった。
それは夫に大腸がんがあるとわかったあの日。
その日から、私たちは「豚肉と牛肉はがんが完治するまでは絶とう」ということを決めたのだ。
夫にとってのパワーをもらえるあの場所から縁遠い生活が始まった。
手術、入院を経て、仕事に復帰した彼は、手術後の後遺症に悩まされて身体的にも精神的にも心もとない日々を過ごしていた。
そこから5年。たくさんの想い出がある。
特に3か月毎の定期受診では、祈るような思いで、毎回私も付き添っていた。「君がいてくれた方がいつも受診の結果がいいから」という理由で夫は受診に毎回私がつきそうことを望んでいた。
私もその日は仕事を休んで、夫の横にただいつものようにいようと決めていた。
そして5年。
最後の定期受診。
「もうこれで受診は最後です。5年間頑張りましたね。」
と医師から言われた私たちは、医師に多大なる感謝を述べた。
そしていつものようにおとなしく診察室を出た後に
「やっと終わった!!」と静かにお互いガッツポーズをした。
私は下りのエスカレーターに乗りながら病院の広い天井をあおいだ。思わず視界がぼやけそうになるが、ぐっと涙をこらえる。
そして夫は以前から決めていたかのようにこう言ったのだ。
「デンジャーステーキを今から食べに行こう。」
5年越しのお店は、全く変わっていなかった。
花やしきの裏道、人通りの少ない、5656会館の近く。
変わらない松永氏の看板が私達を迎えてくれた。
その時の場面は今でも私は鮮明に思いだすことができる。
夫がまたステーキを食べた時に「5年ぶりだなぁ」とつぶやいたこと。
「やっぱりここのステーキが最高だね」とはにかんだこと。
私は思った。
また、ここからだ、ね。わたしたち。
あれから3年。
先日も私たちはあのお店のステーキを食べた。
今度は子供たちと一緒に。家族4人でだ。
食べ盛りの息子が、もりもりとステーキを食べる姿を見て、私たちは笑い合う。
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食べるたびに私はいつもあの日のことを思い出す。
また、ここから、頑張ろう。
そして、ステーキと私たちの物語は
まだ、これからも続いていくのだから。
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