縄文人からのメッセージ
自粛下で外出ができず、ふと思い立って始めた家庭菜園。
植物や土にまじまじと触れてみると、その生命力や包容力みたいなものに無性に癒されることに気がつく。
あぁ、自然っていいなぁ。
もし、不安や悩みを『自然』に相談できたのならば、スルッと解消できるんじゃなかろうか、という若干スピリチュアル思考のときに出会った一冊。
《縄文人に相談だ 望月昭秀 著》
「なぜ縄文?」と問われれば、「自然=縄文という直感。論拠はなし」と答えるしかない。
(ちなみに、縄文の前後の時代、『旧石器=野生』、『弥生=農耕』というイメージ)
本作では「テクノロジー最高!スマホ最強!」といったライトな意見や、「将来が不安です」といったヘビーなお悩みに対して、縄文人になりきった著者が縄文的価値観と思考をもってして返答している。
「スマホ?それって千年後も使えるの?土器は今でも使えるよ」
「ぼくたちも不安だった。土偶やストーンサークルで祈っていたくらいだし。でも不安があるから人類は発展したと思うし、不安はヒトの持つ特別な能力じゃないかな」
思わずクスっとしたり、ハッとしたりする言葉が満載。
大きな戦いもなく、比較的平和で一万年ほど続いたとされる縄文時代。
文字がないので文献はないけれど、土器や土偶といった文化の萌芽が、他の時代に思いを馳せるときとは異なる想像力をかきたてる。
だからだろうか、著者の想像であったとしても、縄文人の言葉に説得力とリアリティを感じずにはいられない。
読了後、長雨で草むしりができず、森のようになっていく家庭菜園を眺めながら、「いっとき縄文人になってみるのも良いかもなぁ。心、癒されるかも」などと呟く僕。
「それは癒しではなく、逃避です。いいように解釈しないで、管理をしてください」と妻。
はい、縄文は顔だけにしておきます(汗)