どこの入試でも七割取れば合格する。 ところが受験をしようと思い立ち、いざ塾に通い始めてみると あることに気づく。 それは・・・ 塾は“すべての教科で満点を取らせようとする”指導をしているとしか 思えないことだ。 だが、実際にはそんな絵に描いた餅のような子は居ない。 そもそも11歳や12歳で偏差値を出して割り振りすること自体に 疑問を感じる。 精神的に安定し、かつ受験母集団も“信頼できる最低限”ではなく、 多ければ多いほど信頼性が増す。(数十万人レベル) 親は塾のテスト結
たくさんの子どもを見てきていつも思うことがある。 それは・・・ 狡さというものは、教えて身に付くものではないということ。 よくぞ、そこまで自分に都合の良い引水ができるね、 と開いた口が塞がらない人が居るものだ。 これが、“人”ならまだましだが、“子”であるとぞっとする。 中には、“子どものうちからそんな発想ができるものよ”と 呆れかえってしまう子もいる。 それに比べたら、 現象面では似ているが “我儘”など可愛いのもかもしれない。 要は自分の生理に合わないとむくれるだけ
中学受験、それも難関校受験は過酷である。 難しい問題をしかも大量に『こなす』ことで 試験場で見たことがない問題に当たらぬように準備します! と、大手塾は宣い、 親はそれ(見たことがない問題にあたること)に恐怖し、 子どもに強制する。 今や、小学1年生から『最高レベル特訓』とか、 『灘中特訓』なる講座が散見される。 困ったことには、そのクラスの中には物凄くできる奴が居て、 『あの子にできて、うちの子にできないわけはない!』と お母さんの眉間に深い皺が刻まれるようになる。
私は2000年から2015年まで自塾を開いておりましたが、諸事情あっていったん閉鎖しました(倒産ではなく(^^;) その期間に来てくれていた子ども達は、全員私立中学に進学しました。 卒業後、東大や京大、医学部、農学部、法学部に進んだ子も少なくありません。 他塾の併用などありませんでした。(こっそり家庭教師はあったかもしれませんがw) 私の考える、本来の意味での「塾」でした。 集っているのは仲間だから、塾生同士で競争はありません。むしろ助け合い、教え合いをし、年下に優
タイトル通りの内容が山盛りあるので、小分けにして書いていきます。まずは1回目。どこからやっつけましょうか… その前に、まずここに書くことは京阪神地区限定です。首都圏でも似通ったことがあるのでしょうが、肝心の学校の民度は、あちらが圧倒的に高いということをあげておきます。 で、関西地区の模様…。 まず一番最初に上げるべきは、早くから「させ過ぎ」というか「早過ぎ」ます。いわゆる大手塾の最難関クラスは今や小1から開講されています。そういうクラスに入る子はお受験組も多いはずです。
受験生の母親からよくこういうセリフを聞く。 『先生、うちの子は試験では間違っても家に帰ってやれば全部解けるんですよ!』 はい?だから? それは残念ながら試験では何の役にも立たない言い訳です。 試験は決められた日程までに、決められた範囲(結構、反則を犯す学校もありますが)から出された問題を、決められた制限時間の中でどれだけ正答するかという競争です。ですから残酷な言い方だったかもしれませんが、家で解けても何にもならないわけです。 で、こういう(親)子の場合、必ずと言って
今までたくさんの受験生親子を見てきた。 私などは大手進学教室の大先生とは違って、その“数”は大した数ではないかもしれないが、それも中学受験での弊害をその中に多くを見てきた。 その中でこれは避けたいと思うことを書いていこうと思う。 よく、中学受験は親子の受験であると言われる。(因みに小学お受験は親の受験) さらにこの親は父親ではなく圧倒的に母親の割合が高い。母と子で受験という高いハードルを越えるという運命共同体となるわけだ。 ここで様々なケースが出てくる。私はその中で最
子は国の宝だと有識者がよく口にする。 その『国の宝』である子どもを作物に例えるのは気が引けるが、 言い当てている面が多いので書いてみたい。 話は単純である。 日本は農地が狭い。 農業人口も決して多くない。 手先が器用で、勤勉で、協調性が高い国民性を持っている。 これが農作にも当然影響している。 いわゆる、集約農業である。 その一環で、土地や作物に『サプリ』をふんだんに与える。 稲にたくさんの栄養を与えると成長が促進される。 が、反面、根が軟弱になる。 何も
一般に不登校というのは随分と広がってきて、その対策も充実してきています。 しかし、これは主に公立学校に話であって、実は私立ではほぼ無策です。 せいぜい、様子見で担任が面談したり、電話をかけてきたりする程度です。 保護者もどうしていいかわからず、その対応はまちまちです。 でも共通しているのは、なぜ学校に行かないのか? 一日も早く戻ってくれないと…そういう考えが殆どで、この際わが子をもう一度じっくり見守っていこうとする方は残念ながら少数派です。 この私立不登校の主な原因は学習や
中学受験と関わってもう35年以上の月日が経ちます。実に様々な受験や子育て、親子関係、学校を見てきました。 還暦などもうとっくの昔に越えた自分ですが、ここ数年、特にコロナ禍になってしまってから、「やはり沈黙していてはいけない」と強く思うようになりました。 それは何か? たくさんあるのですが…。子ども達に絞って言えば、真っ当な日本人としての教育がなされていないということが最も心配なことです。そして、物事を見た時に自分から問題点を見つけ、深く考えるということができない子が増え
国語の授業をしていて、子どもが泣いたことが昔はたびたびあった。 今はそんな悠長なことしている時間はないんです! え?なんでですか? 文章読んで感動する時間、ないんですか? ある大手塾の国語を見た。 なんか…小賢しい問題。取り上げた本文がまた、おもんないことこの上ない。 しかも設問が意地悪。 国語嫌いになってほしいんか?と作成者に聞きたい。 そんなとこ、もう辞めますか?とお母さんに言った。 さぁ、どうするでしょ? 最後は、お母さんの勇気です。。。 と、ちょ
子どもを塾の勉強のことで叱るなら、その塾、お子さんに合っていません。 大手塾の宿題、家庭教師や、個別指導で教わってるなら、その大手塾合っていません。 「質問あるか?」とは一応聞いてくれます。でも「無言の圧」で質問できない子がほとんどです。もししたら白眼視。 塾って何なの?勉強するとこでしょ? あるお母さんが真正面から訪ねた。 中学受験の塾は、あれは予備校ですね。塾はあんなではない。 そもそも年間のカリキュラム通りにほんとうにやってしまうことが不思議だ。 我が子、
こう問うと、日本の受験生たちは「合格するため」と答える。 「合格してどうする?」と問えば、「次の試験に備える」と答える。 そういう彼らは演習はしても学びをしない。 〇ロナ禍が未だ続いている。 もう大丈夫だと分かっているのに日本だけが国を閉ざし、人が人を遠ざけている。 何故か? 〇ロナが原因と当初は思っていた。 が、違う。 〇ロナが「それ」を露わにしてくれたのである。 それは何か? 日本が、日本人が「やる気」を失くしていたのである。 動物的な精神を失ってい
私は六十台を折り返している。日本人男性の平均寿命まではまだ随分あるが、さすがにこの仕事はそのあたりの年齢ではできないだろう。 ここ数年から5年くらいか、5年持てばいい方か…そんなことをよく考えるようになった。 理想は「元気で死にたい」のだ。寝込んで迷惑を掛けたくないし、掛けられる人も居ない。 振り向いたら死んでた…みたいにして終わりたい(笑) ゆえに残り時間が乏しい。 ここまでやり続けてきた仕事。 次に繋いで終えたい。 冷たい社会になった日本。 もう一度、暖か
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。…に始まる諭吉さんの書。このワンフレーズだけが独り歩きして、金言にように使う人も居るが。 もう少し読まなくては!数行のちにこう続く…。 曰く。 されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教(じつごきょう)』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」と
伸び悩んでいる子どもや後輩から聞かれることが多い、この言葉。 一言で答えるのは難しいし、一言もらって解決しようする根性もどうかとは思う。いや、まぁ、そう固いこと言わずに…(笑) そうですねぇ…嫌なことからやっていくことでしょうね。 嫌なことを後回しにする人間にはなってほしくないし、そういう人は他人から信用されません。 つまり、勉強ってのはそういうことの練習をしているんだと思う。