誰もができる唯一のこと 〜サンタさんからのプレゼントを開けて〜
私はうつ病になった。
大学2年生の春だった。
最初はメンタルが弱くなってきていると感じる程度だった。しかし、坂を転げ落ちるようにどんどん病態は悪くなった。
気付けば私は橋の縁に足を掛けていた。
大学2年生の夏のことだった。
5年経った今でも私のうつ病はついてまわってくる。
遠く離れたところにいることもあるし、近くのコンビニにいることを感じる時もある。そういう時は良いが、玄関のドアをドン!ドン!と叩き、いよいよ部屋に入って来ようかという時、私は部屋の隅で震えて耳を塞ぎ、静かに泣く。
そんな生活が5年も続いている。
何となく心のどこかで分かってはいた。社会に初めて放り込まれた幼稚園の初日、他人との比較から、そう直感したのである。
私は何かが欠落している。
何かが出来損なっている。
就職して早々、休職を申し出る際には、主治医に「貴方は普通に仕事できない」と言われた。ASD・ADHD。つまるところ、「大人の発達障害」であるからと。
こんな私は、入社して間もなく体調を崩したために、解雇される可能性がある。
そんな自分に何ができるだろうか?
このように自分の人生、自分自身を卑下し、否定することは非常に簡単だ。
一人一人ができること。それは「足りない所をみる」のではなく、「足りないからこそできること」と「足りているところ」に着目し、「考え続ける」ことだ。
例えば私の人生は、この文章だけでは「完全に終わっている」と思われるだろう。しかし、そこには書かれていない「まだ終わっていない」何かが隠れている。
私は自分が「足りない」のではなく「特別な何か」があると信じる。だから「まだ終わっていない」のだ。
あなたにはどんな「まだ終わらないはじまり」があるだろうか。
全ての人に良い面があり、見方によっては悪い面も良い面に変えられる。
うつ病にならなければ見えなかった景色を観てこなければ、私は他者の努力不足にもっと厳しい人物になっていただろう。うつ病は私を寛容にし、より多角的な視野をくれたサンタさんなのである。
人類全員にサンタさんは来てくれている筈だ。サンタのプレゼントは時に分かりにくいところ、靴下の中じゃなくてもソファの隙間なんかにあるかもしれない。
私たちができることは、「サンタさんがくれたプレゼントを開けてどう生かすか考える」それだけである。