#19日光街道古河宿を歩く③【古河市】
稲荷神社の道を挟んで隣にも立派なお寺があり、思わず吸い込まれるように入っていきました。
何の前情報もなく、伽藍に魅せられて直感的に立ち寄ったこのお寺、
後から調べてわかったのですが、土井家歴代の墓所だそうです。
なんと大失敗!!
それだったらもっとくまなく、しっかり見ておくんだった〜(涙)
今回は伽藍を中心に写真を撮るのみに終りました。
(次回必ず立ち寄って、後悔のないように見ることにします)
でもおかげで、今回の日帰り旅の中で最高のショットが撮れました!
『杉並通り』に出ると、長屋塀の続く立派な武家屋敷が。
古い建物も敷地内に残されていますが、現代の住居もあるのでちゃんと人が住んで昔の建物を維持しているようですね。
ここからいよいよ古河宿、『よこまち柳通り』へと出ます。
とは言っても、宿場町の名残を感じるお店はほんの数件、後はほとんど最近の建物と混在していました。
川越のように観光客もほとんどいないので、ゆったりと歩けます。
するとここで嬉しい出会いが2つありました。
武蔵屋さんの写真を撮っていると、お店にいたおばあさんが私に声をかけてきてくれました。
まだ1人での観光に慣れていないので、なかなか自分から地元の人に声をかける勇気がなく、先方からお声掛けしていただくのはすごくありがたいです!
お話を伺うと、この建物は3·11の大震災の数日前に、改築のため骨組みだけにしたとのこと。
ただし昔ながらの瓦や柱等はそのまま使っているそうです。
瓦の屋根は長ければ長いほど良い色が出るともおっしゃってました。
最近屋根にはまっている私としては、確かにこちらの瓦屋根にすごく惹かれました。
そして、改築前の建物が載っている本も見せてくれましたので、写真を撮らせてもらえました。
こういう本があるとは知りませんでした!!
お礼を言って別れた後、宿場町の気になる建物の写真を夢中になって撮っていると、脇道から1台のトラックが…
私が写真を撮り終えるのを待って停まってくれました!
「ありがとう」の会釈をすると、運転手のおじさんも「気にすんなよ」の会釈を返してくれて、少しほっこりしました♡
(同じような場面は川越でもありましたが、大体停まってくれるのはなぜかトラックの運転手さん)
そして次の目的地、『鍛冶町通り』に入ります。
ここで見たかったのは、現在は飲食店として営業している「みらい蔵」
写真だけ撮らせてもらいました。
駅前に向かう途中、また気になるお店発見!
そしてもう一つすごく立派なお寺があったのですが、もう相当疲れて余力がなかったので今回はパス!
今度は駅前のお寺から攻めてみよう。
やっと駅に着きました〜!
今回は全行程、歩行距離8.4キロ、13,000歩弱🚶♀️
今集めている御宿場印はまだ2枚、、、
日光街道の宿場町あと28ヶ所・・・ハァ〜
まぁ、数年かけてゆっくり行こう!
今回の総括
今回は観光案内所でマップをもらってたり、回るコースはネットで調べていたのだが、それでも見落とした箇所が多くて後悔。
特に坂長は2度も行ってるのに文庫蔵の存在すら気がつかず、まだ1度も見れていないし、正定寺もその場でネット情報を確認すればよかったと反省。
次回、古河に来る時は渡良瀬川近くの古河城址や、神社仏閣を中心に散策してみたいと思う(文庫蔵と正定寺もリベンジ❗️)
参考
【正定寺】
江戸時代初期、家康・秀忠・家光の3大に仕えた古河城主・土井利勝の開いた寺で、土井家歴代の墓所。
また、4代将軍家綱の母お楽の方の供養塔、芭蕉塚など歴史的文化財に飛んでいる。
【武蔵屋】
旧日光街道沿いにある宿場町の面影を残しているお店。
江戸末期に茶屋として創業したが、明治44年に料理店に転業し「武蔵屋」に名称を変更。
現在の建物は明治中期に建てられたもので、国登録有形文化財に指定(10年ほど前に骨組みだけ残してリノベーション済み)
【みらい蔵】
古河鍛冶町の由来は江戸時代に野木町野渡から鍛冶職人が移転したといわれ、明治期以降は卸問屋の町として栄えてきた。
「みらい蔵」は弘化年間(1844〜1847年)に開業し、綿・タバコ・ヨシズの販売、塩の元売りなどを行ってきた商家「今城商店」の店蔵・煉瓦蔵・座敷蔵を改装し、食の複合店舗として装いも新たにオープンした。
(公式ホームページより引用)
【お休み処 坂長】
古河で酒屋を営んでいた佐藤家の蔵と自宅。
文庫蔵(安政5年建立)、袖蔵(文久3年建立)は、古河城の遺構と言われている歴史的価値のあるもの。
その他敷地内には、石蔵(組積大谷石蔵造り、大正11年6月建立)、店蔵(現在のショップの部分)、中蔵(現在のトイレ)を見ることができる。カフェ部分は歴史的な由来はない。
(古河市商工観光課に問い合わせ)