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【駄文】ついついやっちまう

この文章は、風呂にスマートフォンを持ち込んで湯船に浸かりながら、実験的に音声入力で綴り、風呂上がりに微調整した、赤裸々な駄文です。

こんにちは。工藤友美/駆動トモミです。
またお会いできて光栄です。

先日こんなことがあった。

「工藤さんてお肌きれいですよね」
「ズームでの打ち合わせで、画面見てお肌きれいだなぁと思っていたけど、実際あったら本当に綺麗だ」
「毛穴が全然ないんだもん」

といった類のことを、別々の日に、別々の女性から言われた。妄想ではなくて本当に言われた。

わたしは社交辞令が通じない女、そう日ごろから事あるごとに宣言しているけれど、自分でちゃんと判断付けられないことに対しては、素直に受け止められなくて、反応に困ってしまうことがよくある。

年中すっぴん、肌のケアのことなどよくわからないわたし。だから、褒められても疑ってしまう。

お肌きれいですねって言ってくれた女の子に対し
「騙そうとしてるんじゃないよね?」
と返してしまったら、
「わざわざ騙したり嘘ついたりしてなんになります?工藤さん、それは照れ隠しなんですか?素直に受け取ってください」
と言われた。

おそらく、褒められ慣れてないので、一瞬褒め言葉を聞くと、脳みそがたじろいでしまい、正確な判断が遅れるのだと思う。

もちろん照れや恥じらいもあるけど、ぱっと第三者がジャッジした物事に対してどういったリアクションをすべきなのか、とっさに判断するのがどうも苦手なようだ。

というか、第三者の褒め言葉に対しては、こちらは何も言わなくても良いのよな、たぶん。できるならば、嬉しかったら嬉しい・ありがとうと言えばいい、それだけ。

わたしがよくやってしまうこととして、大好きな人や憧れの人に「会いたいです!」とお願いをした際、「いいよ!時間を作ってあげるよ!」と快諾していただいたにもかかわらず、つい確認として「ご迷惑じゃないですか」なんてことを訊いてしまったりする。

本当は私のために時間を割いてくれた時点で、その人に感謝すべきなのに、急に自分にその人の時間を奪う資格がないような気がしてしまって、疑いの言葉を口にしてしまうことがあり、それはその人に失礼で、よくないなぁと思うわけなのです。

よくも悪くも、私の評価、もしくは私の価値はその相手の基準で決まることなのですから、私がとやかく言う事でも何でもない。そもそも私と言う人間がその人にとって無価値なのであれば、そういった心遣いも起きないだろうと。だったら、堂々として、ありがたく、その行為を素直に受け取ればいいじゃないか、その気になれよ!なんて思いますが、どうもうまく振る舞えない。こんな自分が嫌だ。

あと、長年、本音と建前がどうなのかはっきりさせたい癖がぬけない。

本音と建前が実際のところどうかなんて聞いたところで傷つくのは目に見えていることなのに、なぜか白黒はっきりつけたがるのは本音でぶつかり合う関係の方が正義だと思っているからなのかなぁ。

気持ちの良い建前と言うのもあるはずなんだけど、多分後から後出しで建前だったんだよねーって言われる恐ろしさを事前に回避したいのかもしれない。

後出しされると、あの時のわたしの頑張りは、情熱は何だったのかとひどく嫌な思いにさいなまれるのがわかっているので。自己中心的だなぁ。本当にこんな自分が嫌。だけどなかなか変えられない。

社交辞令が通じない女、そう日ごろから事あるごとに宣言するのは、ある意味「自衛」なんだろうなぁ、なんて。

…とまあ、音声入力で喋りつつ自分のことを見つめようとしてみましたが、なんだか自分ってやっぱり堅苦しいしめんどくさいしよくわからない。

おい、とりあえず自信を持てよな、クドウ。

真面目さとめんどくささだけが取り柄なのに、好きだと言ってくれたり、ほめてくれる人がいるんだからさ!


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